2015.7.27鳳凰三山
  山歩紀行 2016

 人と交わり、草木と交わり、山気と交わり
それら一瞬の表情を写真で切り取る楽しみも広がって
単独行もいいし、仲間とならなおいい
そんな山歩きの楽しみを今年も綴ります
 
2015.9.21栂海新道へ
 
   2016年2月11日 三角点山・今日もまた故郷の雪山登る
三角点山 576.6m  新潟県関川村      

午後からは日も射して青空 三角点山の山頂は、たおやかなブナの美林に囲まれておりました

三角点山へ続く尾根の途中から、我が家の辺り 改めて、狭い谷間に住んでいることを思わされます

登山口7:53-10:10平ノ木平-11:20ナガメ場-11:40山頂14:04-17:19登山口

YouTubeの動画

 →こちら から どうぞ。


三角点山の山名は、国土地理院の地図にはない。ただ、576.6mの三角点表示が記載されているだけだ。
その山を、地元では三角点山と呼ぶ。
三角点があるから三角点山だとしたら、日本国中、三角点山だらけになってしまう。
何故この山だけを三角点山と呼ぶのか、理屈に合わない。が、理屈に合わないことなど世間には山ほどある。我が故郷のこの山は、理屈に合わない事象の代表格かもしれない。

そもそも、雪の時季のこの山に4時間もかけて登ろうなどと、しかも山頂で2時間も過ごし、3時間もかけて下るなんて、だれもやらない。
キノコの時期ならまだしも、まったく理に合わない。その非合理を最も好むのが、我が阿賀北山岳会。

まして、いい年こいた大人が、谷間に雪玉を転がして、大きくなったの長く転がったの、足下に我家の屋根瓦が見えたのなんだのと、大はしゃぎ。その行為たるや、合理性に欠けること甚だしく、児戯に等しい。
日ごろとりわけ取り澄ましたように過ごしているこの人々、山に入ればこの体たらく。いやいや、卑下はすまい。
生まれ故郷の穏やかな里山の雪の中だからこその幼な心。幾つになってもあの頃に戻れる幸せ。
それはまさに、わらべ歌の世界。

 故郷の雪山登るわらべ歌

三角点山へのルートの南側の谷を挟んだ山の尾根に、昔々、スキー場があった。小学生のときだから、もう60年も前のことだ。
高学年になると、肩にスキー板とストックを担ぎ、背には弁当と薪1本をくくり付けて、山道を歩いてそのスキー場へ行ったものだ。
確か1年に1度のスキー授業だった。
掘立小屋だったような気がするが、そこに背の荷を下ろし、長靴にスキーをはいて、何列かになって雪を踏みながら横歩きで斜面を登ると、スキー場の完成。あとは直滑降で滑り降りるだけ。
一人1本ずつ持ち寄った薪は昼食時の湯沸し用。

今回、そのスキー場だったはずの斜面を探したが、定かでなかった。確かあの辺りと見当をつけて対岸の尾根を見るのだが、麓から見上げている地形と、上から見下ろす地形は一致しない。それに、木が生茂ってしまい、スキー場らしい斜面にも見えない。当時は、おそらく一面伐採された山腹だったのだろう。
幼心にこわごわ滑り降りた斜面と焚き木の炎と煙だけが思い出に残っている。

結局、あの頃と半世紀経た今と、やっていることにどれほどの違いもない。
この日の翌日は、学校スキーボランティアの6回目最終日で、青空の白銀を小学生と一日中滑りまくった。
もちろんのことだが、スキー板で雪踏みしてゲレンデを作る必要もないし、火を焚いて暖をとる必要もない。
この子たちの60年後、故郷の雪山にどんな思い出が残っているだろうか。
せめて、わらべ歌の如く安らぎの山であってほしいと願わずにはいられない。

スノーシュー・デビューのJunjyさん、Topを狙って虎視眈々

湯蔵山まで行くのだという二人組、誰も登らない山だと思っていたらしい

三角点山山頂 新品のスノーシューを見せたくて見せたくて

君今日は雪の山頂焼肉亭  その美味かったこと

山頂から、左に元光兎山、右に湯蔵山 4月残雪期に登る予定の山

三角点山々頂のブナ林に佇む人「いつまでも遊んでないでもう下ろう」と

Junjyさんが「ダイオウイカ」と名付けたブナの巨木

その巨木の下で、なおまだ新品のスノーシューを見せたがる人

前回歩いた朴坂山を木々の間から撮ろうとする人、それをまた写そうとする人

午後からは飯豊の雲もすっかり晴れて、朳差から本山までくっきりと

夕焼けの朳差と二王子をバックに雪原に立つ山歩人たちでした
      ― ページのTOPへ ―