綿野舞(watanobu)山歩紀行2017
 
 2月19日 鳥坂(とさか) 侮り難し 四十度
鳥坂山 438.4m 新潟県胎内市  地理院地図は→こちら
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当初計画は西吾妻山だったのだが、前日までの予報で、高山は軒並み20m超の強風とのこと。安全第一の我ら、こんな日は、手近に雪山を楽しむに限ると鳥坂山へ登りついたものの、胎内観音のコースは40度の急斜面がアイスバーンに新雪、アイゼンとピッケルを持たなかったのを悔やんだほど。お陰で、侮りがたい手応えがあって雪山を満喫。その上に、山頂テントではトマト味のイタリアンに舌鼓を打ったのでのありました。
渡辺伸栄watanobu 
観音様の裏手、暫く林道らしき雪道を行く。その道が消えて急斜面に登りついたものの、道らしき跡がない。どうやら林道は夏道にクロスしていて、行き過ぎて途絶えたようだ。こんな時頼りになるのがガーミンのGPS。息子の払下げ品でその後も相当使い込み、戸隠の蟻の塔では岩に擦れて傷だらけの古強者。スマホのGPS地図アプリもあるにはあるが、常時ザックにぶら下げて取出しやすいのは、ガーミン。頼るは古参兵に限る。お陰で、尾根筋の岩壁下へトラバースして戻ったら、夏道に出逢えた。その間、少々、急傾斜の藪の漕ぎ分け、これがまた冒険気分。
つづらに刻まれたはずの登山道なのだが、固く凍った雪で刻みは埋められ急斜面に戻った状態。スノーシューの歯を食い込ませて、何とかアイゼン代わりにした。ただ、ワカンのYoumyさんは大苦労。カンジキの二本歯程度では、滑り止めの用をなさない。で、Unqさんのスノーシューと交換。その威力は絶大。とはいえ、本来ならここは、アイゼンとピッケルがあれば楽だった。帰宅後にカシミール3D地図で計測してみたら、何とほぼ40度の傾斜で、蔵王のあの名高い横倉の壁クラス。しかも北風吹付けのアイスバーン。標高200m程のところでしかないのだが、冬の低山侮るべからずと、教訓を得た。 
下赤谷城址に向かう尾根で、眼下に胎内川の谷と黒川中学校が見えた。ここも、カシミール3D地図では40度弱の急傾斜。下の斜面と違うのは、スノーシューを履いていても足首の上位まで埋まる積雪の量。
真っ白な無垢の新雪を掻き分けて急傾斜の尾根筋を登る。息弾ませるこの快感、新雪ラッセルの先頭の役得というものだ。
いつもは最後尾にいてテレテレと写真を撮りながら遅れて歩くのに、先頭になると別人のようだと、Youmyさんは私を評する。それもそのはず、後ろから速く行け速く行けとせっつかれているような気がして不安になり、どうしても真面目に歩くのだ。私は本来的に、人の先に立つのは向いていない性質(たち)なのだ。
写真撮影の邪魔になるので、多くの場合ストックはザックに収納して登る。だから、この急斜面では、空いた両手を雪面について雪を掻いて登った。時には膝をついて正真正銘の四つん這いになったところもある。それほどに急傾斜だったということだ。そういえば、あの戸隠の岩場も蟻の塔も四つん這いだった。四つん這いと言うとどことなく聞こえが悪いが、登山用語で三点支持といえばなんとなく立派に聞こえる。三点支持は三点確保とも言い岩山登攀の基本中の基本で、今日の3人組は、あの時のチーム戸隠。
ようやく標高330m下赤谷城址のある稜線の先端に登り上がった。ちょっとした広場になっていて、雪が積もってはいるが切岸(きりぎし)や帯曲輪(おびくるわ)を見て取れた。まぎれもなく山城の跡だ。その先進むと、少しピークになっていて、驚いたことに城址風に石垣が積み上げられている。まさか、山城にこんな石垣があるはずもない。それに、石垣の石は河原の丸石のようだ。どうにも違和感がある。おまけに石垣の上段部にはU字溝のようなものが突き出ていて、どうやらコンクリ製らしい。何だこりゃ?近づいて中を覗いて分かった。巨大な箱形のコンクリート構造物で、その周囲に丸石を張り付けてある。いわば城址石垣もどきのまがい物。スロープの登り道があるところからすると、どうやら展望台として造ったもののようだ。バブル期の予算過剰時代の遺物のように思えた。帰宅後ネットで調べてみたら、ブログなどでは、これを下赤谷城址の本物遺跡と思い込んでいる登山者もいるようだ。何とも罪作りな話だ。
まがい物は無視することにして、れっきとした山城跡である下赤谷城址の小ピークから先は、緩やかな稜線の道が続く。先頭に立って、無垢の白雪を踏み分けて山上を歩く。3000mのアルプス稜線歩きは勿論いいが、300mの雪山稜線歩きも、決してひけはとらない。山の尊さは標高にあらず、だ。晴れ時々吹雪。青空が出て日本海に粟島も見える。北から雲を連れて風が走ってくると極少の霰混じりの雪を吹き置いていく。そうやってできた小さな雪庇、丸みを帯びて風下に膨らみ、その純白さといい柔らかさといい、まるで雪見だいふくか。前方に鳥坂山の山頂が見える。
10:27山頂に到着。登山開始が7:18だから3時間、無雪期の3倍かけた。苦労した分実りは多い。まずは、山頂からの景観眺望をたっぷりと確かめた後、日本海の白波をバックに登頂記念撮影。昨日、一眼レフとスマホのSync遠隔操作を練習してきたのを今回初めて使ってみた。なかなかいい塩梅、これでもう12秒ダッシュをしないで済む。上手くいったということで、記念に綿野舞流山歩徘徊句を一句
  山頂で スマホ新技 離れ撮り
毎度のごとく山頂の風除け地にテントを張って、山頂宴会。Unqさんの大ザックにはテントと炊事用具一式と欠かさずビール。蔵王熊野小屋の氷点下ビールは冷たすぎて喉を落ちなかったが、ここも若干氷点下ながらテント内は湯気の籠る温かさ。ノンアルのその喉越しのいいこと。さてメーンは、Youmyさんのザックの中から、海鮮野菜具沢山イタリアンパスタトマトスープ味。チーム戸隠はチーム野須張でもあって、一昨年12月の野須張山頂でも同じメニュー。ただし、あの時はリゾット、今回はパスタ。どちらも間違いなく五つ星。あまりの美味さにまた一句
  山頂の 雪のテントの イタリアン

さて、となれば小生のザックからも何かしらと、リンゴを取り出し皮むいてデザートに。実はこれ、庭に遊びに来るヒヨドリから三つも掠め取ってきたもので、内緒内緒。もう一つ、昨晩煎っておいたコーヒー豆。登山用のミルで挽いて食後の茶会。戸隠でYoumyさんの焼肉の脇でこのミルを回していたら、通りがかりの登山人曰く、ああ、胡椒ですかと。今回は、少々焙煎が浅かったようで味はイマイチ。翌日煎りなおしてみたら、味に深みが出た。いつも世話になっているお二人に、この深みを味わってもらいたかったのだが、すみません。次回はぜひとも。
 
1時間半もテントで宴をしていたら吹雪はすっかり治まったが、40度の雪坂を下るのはキツイし危険だし、白鳥山を周回して帰ることにした。山頂を少し下ると見晴らしのよい断崖がある。無雪期もここの眺望は抜群なのだが、それが雪景色となればもうこの通り。
山城跡から歩いてきた稜線の道も一望できるし、その先には、高坪山の山塊。反対側に目を転じれば櫛形山の山脈。
それにしても、ここ鳥坂山の山塊の急峻なこと。まるで墨絵の山岳絵の世界。鳥坂山は鶏冠(とさか)山とも言われた。トサカがトッサカに訛って鳥坂の字を当てられたものか。急峻な山並みはまさに鶏冠のよう。ここに比べれば、高坪も櫛形もなだらかな山並みに見える。どうしてここだけこのように急峻になったのか、まさか両側から二山に挟まれて肩身の狭い思いでかくもとんがった山になったわけでもあるまいに。
下山路に二か所ほどゴルフボールが吊るしてあった。テグスを丁寧にボールに取り付けた様子から、単なるいたずらとは思えない。あるいは目印にと奇特な行為か。それにしては、目立たないし数が少ない。何だろうと思っていたら、突然Unqさんが言いだした。カドノトレタ マルイニンゲンニ ナレマスヨウニと願掛けしてある、と。純文学の方(かた)は、時々真偽不明の可笑しいことを言う。
作家の森敦もそうだ。「月山」を最近読み終えたばかりなのだが、そこにも真偽不明の可笑しいことが書いてあった。月山山麓の湯殿山信仰の地では即身仏が著名だが、昔のこと、吹雪で行き倒れの「やっこ(乞食)」を燻製ミイラに即製して即身仏の代わりにしたものだとか。おどろおどろしい話だが、なぜか私には可笑しくて可笑しくて、炬燵の中で独り笑ってしまった。
多分、しょっちゅうUnqさんの真偽不明の話を可笑しく聞いているせいかもしれない。この日だって、下山して駐車場に戻ったら、胎内市美術館では奥山庄秘宝展が開催中で、秘宝て何があるのかと呟く私にUnqさん曰く、どこかに板額御前の八歳のときの頭蓋骨というのも仕舞われているらしいから、とまことしやかにこっそりと教えてくれた。
最近、関川村図書室の入口コーナーに展示されたUnqさんの作品「悲しいことなど・・・」もそうなのだが、純文学がかくも可笑しいものなら、七十路を境に大衆文学派から移籍してもいいような気がしてきた。
ただ、誤解のないように付け足せば、Unqさんの作品にしろ森敦にしろ、生きることの不思議さとか寂しさとかが底に流れていて、決して面白可笑しがらせるための物語ではないのだが、霞のように漂うユーモアがその重々しさからの救いとなっていて、だからこそ笑いたくなるほど可笑しいのだ。いや、余りに重すぎて笑うしかない気分と言えばよいだろうか。
だんだん純文学づいてきたようだ。
<コースとタイム>胎内観音P発7:18-9:31下赤谷城址-10:27鳥坂山山頂12:45-14:06追分コース分岐-14:47白鳥公園-(用水脇道路)-15:49胎内観音P着
YouTube「低山も雪の40度は 侮れません」は→こちら
 
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