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せきかわ歴史とみちの館『古文書WEB分館』 
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歴史館の会報紙「いわかがみ86号」(2021年9月発行) ⇒こちら  
古文書でタイムスリップ・江戸時代わが村の暮らし 
歴史館には、819点もの「平田甲太郎家文書」が保管されています。小見村(現関川村小見)で代々庄屋を務めた平田家の文書で、読んでみると江戸時代の関川村の人々の暮らしが蘇ってきます。江戸時代の社会は意外なほどに発達していましたし、現代の私たちの暮らしに繋がっていることも多く、なかなか興味の尽きない文書です。平田家文書以外の古文書も含めて、解読の終えたものからジャンル別に整理して、ここに掲載しています。
 <ジャンル> 新田開発 山林 納税 交通 村の暮し 水争いの訴訟 村の自治  明治維新 その他
原文を次の三種類の文に直してみました。読み比べていただければと思います。
「釈文」・・・くずし字を現代の活字になおした文です。翻字とか翻刻などとも言います。原文と比較しやすいように、区切りに空白を入れてあります。
「読下し文」・・・最小限の現代語訳です。実際には、このように読んでいたのではないかと思われます。
「意訳」・・・意味が分かるように、現代の言葉に大胆に訳した文です。
関川村広報紙に平田甲太郎家文書の紹介を連載中‼ 掲載済みの原稿と原文、解説もここから見られます。
新田開発
享保年間 平太郎の上野中野新田開発 関係文書 五通   
  a 享保12(1727)年 平太郎から御役所宛 願書 平田家文書№614
  b 享保13(1728)年 三ヶ村百姓38名から平太郎宛 證文 平田家文書№502
  c 享保13(1728)年 三ヶ村三役から平太郎宛 證文 平田家文書№557
  d 享保13(1728)年 三ヶ村三役から御役所宛 願書 平田家文書№526
  e 享保17(1732)年 上野山村田主から平太郎宛 證文 平田家文書№532
村の山林
ナタとられ詫状 二通 村広報紙連載⑥
   a ナタ取られ詫状 年不詳(元禄12年か?) 平田家文書№681
   b ナタとられ詫状 元禄5(1692)年 平田家文書№189  
納税 
① 海老江湊廻米関係文書  三通 村広報紙連載⑤
各村々から集めた幕府領の年貢米は、日本海を運行する千石舟に積んで新潟、大阪を回り、江戸へ送られます。これを廻米といいます。次のa、b、c、d四通の文書から、廻米の仕組みを読み取ることができます。米で納税する制度というのは想像外に大変な作業であり、仕組みであることに驚きます。
 a 海老江住人からの貸付依頼状 嘉永2(1849)年  平田家文書№666
   海老江村と小見村との間には、意外な関係がありました。
   その関係を探っているうちに、当時の年貢米上納の仕組みが垣間見えてきました。
 b 御廻米諸入用取極書 文化10(1813)年 平田家文書№632
   年貢米を江戸まで届けるのも納税する百姓側の責務でした。
   そのための費用を少しでも減じたいという、幕府領の蒲原郡・岩船郡代表庄屋による取決め書です。
   米による納税がいかに大仕事であったか、思いやられます。
 c 江戸廻米入用受取書 文化14(1817)年 平田家文書№685
   小見村庄屋平太郎は、この年、海老江湊詰めの当番でした。このことが、文書aの貸付依頼に繋がります。
② 江戸大坂廻米関係文書
 京屋七左衛門差配御用船積立一件  天保3(1832)年 平田家文書№627
   年貢米が無事江戸浅草の幕府御蔵に納まるまでが、納税側の代表庄屋たちの責務。
   そのためにかかる莫大な経費をどうやって捻出するか、なかなかうまい仕組みを考えたものです。
③ 関組庄屋連名上納金延納願 天保4(1833)年  平田家文書№703
江戸時代の税は年貢米が知られていますが、それ以外にも、臨時的な税とされていますが金銭で納める上納金があって、月割で納めていたようです。天保4年は全国的に飢饉と米価高騰で大変な年でした。関組(一部を除く現在の関川村一帯)各村の庄屋23名が連名で水原代官所に提出した、上納金の月送りを要望書です。
街道と川の交通
① 渡船の舟賃に関して「覚」 正徳5(1715)年   平田家文書№669 村広報紙連載②
海老江代官所から、川水の出水量別に舟賃の指示。馬は人の1.5倍。舟賃を取る人と取らない人の別。きめ細かく江戸からの指示だとあります。
② 米沢街道・貝附村地内普請に関する二文書  平田家文書№690 №504  村広報紙連載③
二通とも、当時(天明2年)上関村にあった米沢藩の代官所に宛てた文書です。一通は、貝附村地内の街道が洪水で欠けたので工事を請け負わせてほしいという小見村佐源太の願出と、小見村庄屋と上関村庄屋外1名の保証文書。もう一通は、当時幕府領だった岩船郡内各村の代表庄屋から、佐源太請負の了解と差出し人足数についての念押し。高100石に付40人が仕来りで、それ以上は出し難いと、意外とはっきりと御上にも物申しています。
③ 米沢街道・赤谷橋の所属と管理に関わる三文書   平田家文書№735 630 644  村広報紙連載①
三文書とも大嶋村庄屋三太郎からのもので、赤谷橋と大嶋村との関係が書かれています。関川村の領主の変遷なども関係していて面白い文書です。平田家文書に大島村庄屋の文書が残っているのも興味深いところです。小見村は、米沢街道筋とは対岸になっていますが、田麦堀割訴訟でも大嶋村が加わっており、平田家と大嶋村の三太郎家は親しくしていたのかもしれません。
④ 米沢街道・下関村上関村宿場出入一件 文化7(1810)年  平田家文書№670
越後米沢街道十三峠道の起点宿場だった下関村と上関村との係争、街道荷物の継ぎ送りに関する取り決めについての和解文書です。原則は月半分交代ですが、複雑な例外規定。隣接する二つの宿駅、競合し合ってなかなか大変だったようです。
村の暮し
① 戸籍異動通知書  三通   村広報紙連載④
嫁入り養子入りにともなう戸籍の異動は、庄屋同士の通知書によって行われていました。庄屋は村の役場です。現代で言えば、役場同士の移籍通知。当時の行政の仕組みが分かります。
 a さた除籍通知状 安永6(1777)年 平田家文書№657
    下関村庄屋から小見村庄屋への戸籍異動通知状。下関村の16歳「さた」が小見村の平太郎家へ嫁に行きました。
   それで、下関村の戸籍を抜くので小見村の戸籍に加えてほしいとい依頼状です。
 b しと入籍通知状 安政4(1857)年 平田家文書№758
   小見村庄屋から聞出村庄屋への戸籍異動通知状。聞出村の26歳「しと」が小見村の甚五郎家へ嫁に来ました。
   それで、小見村の戸籍に入れたので、聞出村の戸籍を抜いてほしいという依頼状。
   aの除籍通知だけの一方向でなく、このように入籍側からの双方向の通知状で確認をとっていたもののようです。
 c 乙吉除籍通知状 嘉永2(1849)年 平田家文書№658
   小和田村庄屋から小見村庄屋への戸籍異動通知状。小和田村の32歳「乙吉」が小見村の喜次右衛門家へ養子縁組。
   それで、小和田村の戸籍を抜くので小見村の戸籍に加えてほしいという、aと同様の依頼状です。
② 長寿褒賞 文化11(1814)年  平田家文書№286  
川内村(現・河内)の104歳仁蔵さんへ、江戸幕府(代官所)からの報賞状です。褒美に米10俵と絹1疋、江戸城にいる老中・松平伊豆守(いずのかみ)様からのお声がかり、すごいですね。
③ 詫證文 天保12(1841)年  平田家文書№516
乙(現・胎内市)の花火大会の出来事、羽目を外した若い衆のやることは変わらないようです。庄屋の忰さんには、とんだ災難でした。後始末に、親たちは大慌てのようです。
田麦堀割を拡張された訴訟の記録
女川支流藤沢川の上流の「田麦堀割」を新規に拡張され、門前川へ取水されたことで女川の下流域は大困惑。訴訟に及んだものです。関係すると思われる文書が数通あります。内容が入り組んでいるので、分かりやすいように、解説と現代文の意訳を付けました。水を取られた側の切実さが伝わり、村相互の利害関係が興味を引きます。 
出入(訴訟)一件、6通の文書で完結しました。実に面白い一件でした。特に、最後の⑥で、訴えられた側(村上)の言い分が明らかになって、クライマックスです。結末の和解は、尻すぼみかと一見がっくりしましたが、なんとそこにも秘められた男のドラマがあったのです。まずは、⑥の冒頭の解説から読んでみてください。
 「文化3年田麦堀割訴訟顛末記」⇒こちら ⑥の済口證文の真実がついに明らかになりました。
① 我儘伐り出しの件 一札   文化2(1805)年8月  平田家文書№529
② 新規掘割用水路出入(訴訟) 訴状 文化3(1806)年7月  平田家文書№543
③ 新規掘割用水路出入(訴訟) 訴状 文化3(1806)年9月   平田家文書№766
④ 新規掘割用水路出入(訴訟) 調停破談 文化3(1806)年11月   平田家文書№747
⑤ 新規堀割用水路出入(訴訟) 訴状と裏書 文化4(1807)年1月と4月  平田家文書№732
⑥ 新規堀割用水路出入(訴訟) 済口證文 文化4(1807)年4月   平田家文書№698
村の自治
① 小見村庄屋の後役願い 文政3(1820)年   平田家文書№595
② 村定め  寛政12(1800)年   平田家文書№522
徒歩の旅
① 道中記 万延元(1860)年~ 近祐司家伝来 
万延元(1860)年11月19日~万延2年2月6日、関川村上関と下関の住民5人が日光・伊勢・金毘羅を参拝したときの旅の記録です。歴史館では、平成30年度から「道中記解読会」を開き、現在も開催中です。これまでに解読の進んだところまで掲載してあります。
明治維新前後、激動の時代の記録
① 硝石製造の土集め大庄屋所廻状 幕末 津野庄衛氏所蔵
時世を反映した文書です。幕末、越後の各地は会津藩領となりました。そこを管轄する(会津藩の)「福岡代官所」と郡役所から出された、硝石(火薬の原料)製造のための協力要請文書です。ということは、幕末戦乱に備えてのことかと一層興味が惹かれます。当時、硝石は民家の床下の土を採集して製造していたようです。戊辰戦争にも使われたのではないでしょうか。小見組の大庄屋から回状として出されたことが読み取れます。
② 福岡代官所から上関村庄屋宛  元治元(1864)年前後  渡辺家文書
③ 郡役所から岩船郡大庄屋宛  元治2(1865)年  渡辺家文書
④ 渡辺友之助から渡辺三左衛門宛 元治2(1865)年 渡辺家文書
上の3通は、歴史館の田村さんが重文・渡辺邸の書画を調査していて偶然発見したということです。多分、渡辺家文書リストにも載っていない新史料だと思います。①同様、阿賀野市(旧水原町)に置かれた会津藩の「福岡代官所」関係の文書です。幕末の関川村は米沢藩だけでなく、会津藩とも深くかかわっていたことが分かってきました。
⑤ 明治元年諸觸書留帳  明治元(1868)年 平田家文書№42
⑥ 明治元年諸書留帳  明治元(1868)年  平田家文書№47
上の2通は、維新の直後から、主に村上民政局から次々に出されてくる触書を書き写し、村民へ伝えたものです。外に村々の回状などもあります。2つの書留帳を合わせ読むと、明治維新の年のあわただしい世の動きが刻々と伝わってきて、激動の時代にいるような臨場感があります。
そのほか古文書いろいろ
大石村古絵図 天保8(1837)年  高橋正衛家伝来
大石村の絵図面です。残念ながら末尾欠如していますが、絵の具の色などきれいに残っていますし、添えられた文章もなかなか興味深いものがあります。 大石川支流の沢沿いに点々と開が田あり、その箇所を役所に報告したのでしょう。
上杉景勝書簡 天正19(1591)年か 重文・渡辺邸所蔵
重文・渡辺邸所蔵の上杉景勝の書簡です。1週間かけて苦労して何とか解読したら、上越市発行の市史にきちんと掲載されていることが分かり、照合すると94%の出来でした。
 
「村上町年行事所日記」流し読み ⇒こちらから  (最新追加12月14日)
江戸時代の村上町役場の日記です。村上史楽会の皆さんが現代の活字に直して出版しました。漢字の羅列でとっつきにくいのですが、お茶の時間にペラペラめくって流し読みしていると、時々面白い記事が目につきます。当時の庶民の暮らしがリアルに浮かんで、さながら山本周五郎の人情時代劇のような話です。そんな記事を紹介して、時々追加していきます。  
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スタッフ紹介 
  館長 安久昭男さん(愛称 Unqさん)
<プロフィール>
早稲田の文学部に目一杯7年在籍した猛者。大学への財政寄与大。精進の甲斐あって早稲田文学新人賞受賞。プロの純文学作家を目指すもマルチな才能が邪魔をして一途の道を歩まず、マラソンにバドミントンに登山に学芸に社会教育にと諸々多彩な分野で大活躍。いずれ純文学作家に回帰すべく準備中で、すべての経験は大作に向けての蓄積醸成物。周囲の人々はいずれ作品に登場する人物のモデルになる宿命にあり、よって須らく今から身を慎んでおかなければならない。 
   早稲田文学新人賞受賞作品への渡辺の読感文は ➡こちら 
学芸員 田村舞子さん(愛称 Tamuちゃん)
<プロフィール>
つくば大卒の才媛。専攻は民俗学。古民具の解説で年寄りを癒す「民具セラピー」の第一人者。専攻分野に留まらず歴史、古文書、書画骨董に研究心鋭く、重文渡辺邸はじめ各家の文化財の鑑定解読を依頼されて超多忙。歴史館主催「古文書解読講座」の専任講師、門弟十数人を古文書読みに育成。今年度から米沢街道13峠歩きで館長代理を務める予定。そのため登山靴を新調してウォーキングに勤しみ中。
   米沢街道13峠下見中のTamuちゃんは ➡こちら   
  WEB管理人 綿野舞watanobuこと渡辺伸栄
<プロフィール>
登山歴12年マラソン歴7年の超高齢アスリート。関川マラソンのハーフ70代の部で6位入賞が生涯只一度の表彰台。10年後を目途に大冊「上関城主三潴氏の研究」を出版すべく資金調達中の歴史マニア、よって篤志大歓迎。歴史館主催「古道探索会」の先達を拝命し藪漕ぎ2年、ダニとヒルの治療で診療所名医に切開されること数回。Tamuちゃんの門下生で古文書読みの実力急進中。それで歴史館の応援団を勝手に買って出てWEB管理人に。
   上関城主三潴氏の研究は ➡こちら 
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教育委員会に勤める鈴木政信さんとその仲間の皆さんによる「かな漢字五人展」 4月18日まで開催中。5人とも個性あふれて、見ごたえのある作品です。 
1月29日(金) 関川小学校3年生が歴史館で<昔のくらし>を体験学習。洗濯板、石臼、藁沓など様々あったのですが、写真は、雪国に欠かせなかったカンジキの体験。初めは恐る恐る、すぐに慣れて走る走る。カンジキが足りなくて、登山用ワカンにスノーシューまで総動員。 
12月3日(木)から、冬季古文書解読会が始まっています。近祐治家の「道中記」いよいよ神宮参拝です。毎週木曜午後開催。田村舞子さんの解説を参加者一同、ただうっとりと聞くだけの会で、決して、宿題が出たりかけられたりはしない気楽な会ですので、皆さんこぞってぜひどうぞ。下の写真は、12月10日の第2回目の様子です。 
10月10日(土) 「米沢街道13峠を歩く会」は、第4峠「萱野峠」と第5峠「朴ノ木峠」を歩いて、小国町まで達しました。来年度は、小国町からスタートして小松まで、残りの8峠を踏破します。お楽しみに。
6月28日(日)  「米沢街道13峠を歩く会」 第3峠・大里峠を歩きました。

詳しくは ⇒ここをクリック して下さい
5月24日(日) 「米沢街道13峠を歩く会」 第1峠・鷹巣峠 第2峠・榎峠を歩きました。 

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