荒川沿岸の風物、旅の出会いなど、折々に綴る 綿野舞watanobuの 風物記 2016 |
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9月19日 つけたしの青森路 只管組のRUNトレ山行(3) | |||||
8:37 田代平 八甲田山の北東に広がる大湿原 大カルデラ湖の埋まった跡だとか |
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10:00 雲谷峠から 青森市街 左に津軽半島 右に下北半島 その中間奥、幽かに北海道か |
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7:43 昨晩の宿泊地 七戸町の家族旅行村ケビン |
登山キャンプの朝は、いつも3時4時の起床で、とにかく早い。 ところが、今回は、昨日も今日も、ゆっくり目の朝となった。 昨日は、八甲田のRW始業が9時。 だから急いでも仕方がないと、ゆっくりの朝。 今日も今日で、三内丸山遺跡へ向かうことにしたので、急ぐ必要はない。 誰からともなく出たのが、こんなにゆとりがあったのなら、ランニングシューズを持って来ればよかったという声。 とりわけ、今朝の家族旅行村は緩やかな傾斜道のある林間にあって、朝のジョギングには最適の場所。 惜しいことをした。 その代わりというか、道中のところどころで、マラソン談義のおさらいRunをちょこちょことやった。 Shynさん曰く、山道の下りは身体を反らせ気味にして、爪先を持ち上げるようにして着地すると膝のクッションが効く、と。 雪中行軍遭難者像を見て、その下り道、実際にやってみた。 なるほどなるほど、塩梅がいい。 しかしだ、考えてみれば、マラソンにこんな段差の道はないぞ。 Shynさんは、トレランにも出場していて、その経験を話していたのだ。 とてもトレランは無理として、このときふと思い至ったことがある。 普段、あまりあれこれ考えることもなく、只管走るだけだった。 とにかく走り込みが足りないと思い込んできた。 しかし、こうやって、いろいろ試しながら走ってみるのもいいものだった。 もしかしたら、腰の痛みを消す走り方もあるのかもしれないぞ、なんて思い始めた。 帰宅して、その翌日、関川ドームで25㎞走り込んだ。 その日の調子によって違うのだが、大体、15㎞くらいから腰が痛み出すことが多い。 2週間前もそうだった。最後の5㎞は痛む箇所を押しながら何とか20㎞走った。 去年のフルは、35㎞あたりで痛みに耐えきれず、かなりのタイムをロスした。 第8、9関門が制限時間ギリギリになってしまったのは、それが原因だった。 不思議なのだが、腰の痛みは、走るのをやめれば、すっと消える。 歩くのには何の差し障りもない。 だから、どこかを致命的に傷めているわけではなさそうだ。 そこで、その日のドームでは、25㎞の途中、いろいろ試してみることにした。 例によって、いつもの痛みが来た。 そこで、腿上げ走、小ダッシュ。 効き目が、大いにあった。 すっと痛みが消えていく。 10㎞も走ると、また痛みが出だした。 腿上げダッシュ。 すっと痛みが消える。 その繰り返し。 考えてみれば、走っているとはいえ1時間、2時間、3時間と同じ姿勢をとり続けているのだから、体が痛くなるのは当然のことだ。 ただ立っていたとしても、それだけ長時間同じ姿勢をとっていたら、腰が痛くなるに決まっている。 。 身体は、別な動きをしてほしくて、駄々をこねていたのだ。 そのことに、今まで気づかなかった 困難に対しては、何かしら打つべき手はある。 そのことを教えてくれた、青森Runトレ山行3日間の旅だった。 只管組の同志の皆さん、本当にありがとうございました。 |
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8:05 雲が上っていく八甲田山 昨日と今日でこの山を一周 |
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8:27 田代平 神秘の竜神沼 異様なほどに透明な水 |
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9:22 田代平 雪中行軍遭難者銅像 この辺りが事件の現場と |
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10:55 三内丸山遺跡 只管組の三人初訪問 |
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以前ここを訪れてもう十何年か、経た年月を物語る屋根の草 |
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平和で長閑な縄文の里の太古を偲ぶ |
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12:46 車中から岩木山に別れを告げて一路南下 |
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