荒川沿岸の風物、旅の出会いなど、折々に綴る 綿野舞watanobuの 風物記 2016 |
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10月15~19日 山行ついでの九州路 歴史マニアの旅 | |||||
15日 Margoの運動会 騎馬戦の奮闘 大将騎同士の一騎打ち 前足の競り合いを見よ‼ |
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18日 島原の乱の激戦地、原城本丸跡 当時はすでに廃城だったというがその規模の大きさは意外‼ |
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16日 糸島半島今津の元寇防塁 砂に埋まった石垣の防塁 |
Margoの運動会 1,2度欠いたことはあるが、保育園からずっと見てきて、今回も感動した。 年長さんの組体操以来の大感動だったかもしれない。 騎馬戦の大将騎の前足になって、大奮戦。 思わず涙をこぼしたところを、Margoの父親に見られてしまった。 下校して、Youmyさんから頂いた菅井農園の名品ブドウをパクつく姿を写真に撮って、九州へ向かった。 元寇防塁 中世史マニアとしては、見逃して通り過ぎるわけにはいかない。 ふつう、頼朝の幕府政治から中世が始まったことにされているが、鎌倉時代の実際は、殆どの期間、古代と中世の並存だった。 元寇を経てその矛盾が噴き出し、尊氏によって中世の体制が全国に敷かれていく。 だから、言ってみれば、元寇が真の中世の始まりだと思っている。 その現場を目の当りにできた。 もっとも、今津のそこは一面の松林になっていて、防塁から博多湾の海は見えず、元寇の図で見たイメージはなかなか湧かなかった。 唐津城と高島 この城にそう興味があったわけではない。 今津から、折角だからと三大松原の一つ、虹の松原を通った。これで、気比と三保と、三ヶ所見たことになる。 その通り道に唐津城がある。 城下の海上に高島があって、そこの宝当神社は宝くじが当たるというので霊験あらたからしい。 この日も、連絡船を待っている参拝客が桟橋に群れていた。 島まで行く時間はないので、Okkaaは橋の上から手を合わせた。問い質すと、宝くじは持ってこなかったそうな。駄目だこりゃ。 長崎市内観光 長崎へ来たら、何はともあれ、平和公園へ。 爆心地には、被爆当時の地層が露頭となって保存されていた。 食器や瓦などのカワラケがそのままに見られる。時には人骨も出たという。 何を勘違いしたのか、大笑いしながらやって来た一団、さすがにこの地層の前では声が潜まったようだったが。 今はどこでもボランティアのガイド流行り。 観光地はそれでもよいとして、せめてここくらいは、独り静かにもの想う場所にしてほしいと思う。 全体を把握するには、高いところから俯瞰するに限る。 RWで稲佐山に上った。頂上展望台には小学生の一団が遠足中で、こんにちはと挨拶する子。 これみよがしではなく、静かに、ごく自然でとてもいい。 お昼食べたの?と尋ねると、ハイ、ここでと、これも極自然に答が返る。 引率の先生が、 賑やかにしてスミマセン と、これもまた自然に穏やかに声をかけて通る。 落ち着いた人々だ。 そういえば、この後見物した町の中も、みな穏やかに落ち着いていた。 歴史ある街とは、そんな街なのかもしれない。 領事館の小路 現役の赤ポスト お出かけの親子 べっ甲店と旧英国領事館 原城址 元寇が真の中世の始まりなら、原城は、真の中世の終わりの場といえるかもしれない。 島原の乱は、天草四郎に代表されるキリシタンの反乱と言われるが、その実態は、中世の気風をもった荒くれ武者たちの最後の抗い。 大阪の陣で豊臣は滅び、中世は終わったと思われているかもしれないが、どうしてどうして、あの逞しくも荒々しい中世人は、そんな簡単には引っ込まない。 その12年後、九州の地で立ち上がって、徳川幕府に冷や汗をかかせた。 中世人は、中央統制を何よりも嫌った独立心旺盛な自活人だったのだ。 原城本丸跡で、彼らの匂いを嗅いだような気がした。 体中あちこち蚊に刺されながら。 祐徳稲荷 実は我が家は親の代からの竹駒稲荷信者で、私の代になってからも毎年お札をいただいていて、感謝状か賞状かを何枚か送られている。 大震災前だったが、岩間の竹駒様を参拝したし、Margoのいる伏見稲荷ももちろん参拝した。 だから、三大稲荷の祐徳稲荷にも参拝したかった。 しかし、帰路を地図で辿ると、かなりの寄り道回り道になってしまうということで、今回は、見送ることにした。 で、一路福岡に向かって高速を走っていたら、武雄JCTで道を間違え下道に降りてしまった。 カーナビの指示で、高速の分岐を左に折れるつもりだった。左車線に乗ったら、そのまま出口に出た。JCTにIC出口があるというのは困りものだ。 おまけに、そのIC、一旦出てしまうと同じ方面には絶対に乗れない仕組。 次のICを探して下道を進むしかない。ふと、道の脇の看板を見たら嬉野とある。 待てよ、嬉野といえば、祐徳稲荷のある所だぞ。地図を見ればその通り。ナビで探せば、そこから30分ほどの所。 これは、素通りするなという神様のお告げに違いない。 到着が8時ちょっと前、開店?前の静かな静かな境内で参拝できた。 長い階段を下りてくるころ、巫女さんたちが出てきて、境内の掃除など、勤務開始。 門前町の土産店、精勤の店2軒ほどが開業。 そのうちの1軒、実に気持ちのいい爽やかなお母さんの店で、桜湯などご馳走になった。 陳列の小さなカエルが気に入って数匹購入。 山からカエル、無事カエル。 これはきっと、霊験あらたかなり。 大宰府天満宮は完全な観光地と化していて、ここで記すことはなにもない。 ただ、学問の神様のこと、Margo用の知恵袋でもあったらと思って探してみたが、どこにもなかった。 そもそも、両親の話では、どうも神頼みは無用のことらしい。 あ、そうそう。 旅行中、今年は2日ほど、ランニングができた。 1回目は、運動会が始まる前、30分弱、宇治川の土手を4㎞。 そのまま、運動会を観戦しながら陽射しでシャツとパンツの汗を乾かした。 誰も知らない所というのはありがたいものだ。 2回目は、キャンプ場の朝。 ここは標高500m近くの山の中。 道は当然坂道。 標高差130mほど下って吊り橋に出、そこから上り返す。 それが意外と心地よい。 GPSの平面距離で3㎞だったから、多分、斜面としては4㎞はあったろう。 朝のランニングとしては、ちょうどよいくらいの距離だった。 来月、今季締めくくりの五泉マラソンハーフ。 忘れかけていた、気持ちよく走ることに徹したい。 |
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16日 唐津城その右海上に高島・宝当神社は知る人ぞ知る |
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17日 長崎平和公園 新発田高校の献花があった |
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爆心地に立つ旧浦上天主堂遺壁 |
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RWで上った稲佐山からの長崎港 雲仙岳は厚い雲の中 |
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グラバー邸にオランダ衣装の女子高生 なかなか似合っている |
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正面奥に大浦天主堂 京都八坂の塔あたりを思い出す風景 |
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静かな静かなオランダ坂 |
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18日 原城本丸跡から眺めた天草の島影 |
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原城本丸跡 左端に天草四郎時貞像 |
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18日 雲仙岳から戻る途中の大村湾夕景 まるで湖のよう |
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3晩を過ごした県民の森オートキャンプ場 出立の日の朝 |
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19日 三大稲荷の一つ祐徳稲荷神社 怪我の功名で参拝 |
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今回の最終立寄り地は大宰府天満宮 伝説の飛梅 |
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