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ギター抱えて生き死に考 
過日、「清流会」という仲間の会で、頼まれて
「ギター抱えて生き死に考」というタイトルで話をした
   サブタイトルは 私たちはどこから来てどこへ行くのでしょうか
           ~下手なギターを聞きながら考えてみませんか~
その時に使ったスライド15枚をここにUPした
今、改めて、その時の話を整理しなおして、 各スライドの下に書いていこうと思う
ただ、一気には書けないので、YouTubeの下手なギターでも聞きながら
何日かかけて整理していくつもりでいる
そもそも「生き死に考」などという固い硬い話
せめてギターでも弾きながら、ゆったりと柔軟に考えてみたい
いや、ギターだけでなく、ジムのランニングマシンに乗っかって
ただ只管黙々と走る90分
それがまた、絶好な瞑想の時間なのだ
これまでUPしておいた『早回し全歴史』からの敷衍は
⇒こちらに移動した
 

今日は2025年10月30日、70代最後の歳を迎えた日 いよいよ終活期
毎朝音読している『修証義』は、その冒頭で
「生死の問題を明らかにするのは仏教徒の責務だ」と迫る
この問題を明らめないまま旅立つのは無様 そんな終わり方はしたくない
それにしても、この問題、みんなは一体どう考えているのだろう
清流会の仲間に聞いてみたいのだが、聞けば多分
お前はどう思ってるのだと、聞かれるだろう
ならばまず、自分の思っているところをぶっつけてみようか

『早回し全歴史』を経糸に、『原始仏典』以下の8冊を緯糸にして
編みこんでみたのが、これから綴る「渡辺の妄想」
果たして単なる「妄想」か、あるいは「仮説」か、いやもしかしたら「真理」か
熱心なクリスチャンになって信仰生活を送っている友人は言った
真理は真実とは違う 真理は信ずること信仰だ、と
自分では、もはや真理の域に達したと思っているのだが
さて、仲間はどう聞いたか
納得した人 共感した人 半信半疑の人 様々だったように見えた
今回はここまで、つづきは気ままに・・・2025.10.30