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平田甲太郎家文書<金俣村 木伐り訴訟 文化11(1814)年 文書№547> | |||||
<解説> 金俣村で立ち木の伐採に関して、所有権を争う訴訟があった。 小見村庄屋平太郎と下関村組頭半十郎が扱人となり、争いをまるく収めた。 江戸時代は実力行使は御法度。代官所に持ち込まれた訴訟は、地域の大物庄屋級を噯人(取扱人)にして、損得偏らないように配慮して丸く収める。これが平和のもと。長く続いた土地争いが戦国時代の実相。そこから得た知恵が、江戸時代の訴訟解決に見える。 訴訟人1名 金俣村 組頭兵右衛門 相手方14名 金俣村 庄屋七三郎外5人 新六、金左衛門、平七、弥兵衛、五左衛門 鮖谷村 庄屋惣左衛門外6人 弥左衛門、平左衛門、三右衛門、藤蔵、世之介、佐太郎 上関村 百姓弥惣次 ※文書の最後に訴訟人と相手方の名がある。上記以外に、金俣村庄屋弥之助と上関村庄屋利左衛門の名があるが、この2名は、それぞれ兵右衛門と弥惣次の付き添い人のような形か。 訴訟人の訴え ア 自分の持山六ヶ所で、立ち木を切り取られた。 イ 自分の田に、新道を造られた。 相手方の言い分 アについて その場所には、自分の持ち分があったので切った。 イについて その場所は、以前、道であったが、川の出水に流され次第にごみが溜まった所だから、元通りの道をつけたのだ。 扱人の仲裁(和解内容) ①六ヶ所の内、二ヶ所の立ち木について 切り取った木22本のうち、15本は相手方のもの。残り7本は訴訟人のもの。 ②六ヶ所の内、一ヶ所の立ち木について 切り取った47本は、相手方と訴訟人とで、半々に分ける。 ③六か所の内、三ヶ所の立ち木について 切り取った35本のうち、17本半は相手方のもの、残り17本半は訴訟人のもの。 ④以上の場所については、以後は、訴訟人のものとし、相手方は一切立ち入らないこと。 ⑤新道を造った場所は、新道を取り止め、訴訟人の土地とすること。 ⑥六ヶ所の内の二ヶ所には、畑地になっている所がある。そこは、相手方6人の土地であるが、今回、代金6両で、訴訟人と相手方代表(七三郎)の2人に譲渡すること。 ⑦相手方の内1名は、切った木を買っただけで、訴訟人の土地に立ち入ったわけではないので、無関係とする。 ※この1名は、文書では、金俣村百姓弥惣次となっているが、上関村の弥惣次の書き誤り。 基本的には、訴訟人の言い分が通った形。ではあるが、相手方の取り分も相当確保してやっている。これが丸く収めるコツなのだろう。 なお、金俣村地内に字高見町とあるのが気になる。推測だが、かつて金採掘が盛んな頃、町であった名残だろうか。 |
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原文 | |||||
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釈文 | |||||
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読下し | |||||
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