綿野舞(watanobu)猫額苑四季(ねこのひたいのにわのしき)2017
 
 3月30日 冬と春 行きつ戻りつ 時は過ぐ
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去年と比べると、今年の春はずいぶん寒いようです。日によって寒暖の差が大きく、晴れても寒風身を刺す日もあります。そんなこんなで、開きかけたフクジュソウは、咲けばいいのか待てばいいのか迷っているふう。が、ニシキマンサクは、淡雪が降ると何やら喜んでいるように見えます。春は行きつ戻りつ、しかし、時は確実に過ぎ、花が動き出している春遅い猫額苑の花便りです。
渡辺伸栄watanobu
富士には月見草が似合うと言ったのは三ツ峠山での芥川だったか。マンサクには春の雪が似合う。まだ厚い雪の山で、残雪に咲くマンサクの花、出逢った登山人で歩みを止めない者はいない。まず咲くマンサク、よくぞ名付けたものだと思う。猫額苑でも一番の開花。残雪の中もいいし、一週間前のように、淡雪の中で咲くのもいい。マンサクには雪が似合う。
 
今日のマンサク。もう雪はない。花の中心に赤味が入ったのを特にニシキマンサクというのだそうで、新潟県に多いのだとか。登山中によく見てみると、ニシキのとそうでない黄色だけのと、2種並んでいることも多い。この花、意外と長く咲いている。見かけによらずシンナラヅヨイ花なのだ。
山採りしてから30年以上も庭の片隅に放置し、雪に潰されてすっかりいじけた木を、日当たりの良い場所に移植して大事にしだしてから7年くらいか。登山でこの木の良さに気付いてからのことだ。ようやく近年いじけが融けてきたようで、花の数が年々増えている。
一週間前のフクジュソウ、淡雪に遭ったり寒風に吹かれたりして、開きかけたり閉じたり。今日、午前中の陽射しに思い切り開花。束の間の歓喜といった風情。
梅はようやく咲き始めたばかり。庭の木々をよく見て回ると、桜も杏も花芽の先が少し白っぽく心なしピンクがさしかかっていた。みな、ムズムズしているのがよく分かる。春はまだかーと。
この時季、猫額苑を彩るのはアセビ。Unqさんの、確か天城の山の写真で見せてもらったから、元来は暖国の産か。この辺りの山で自生は見かけない。我が家の庭が気に入ったのか、年々勢いを増している。

ようやくの春。この冬はろくに除雪もしなかったから少雪だったのだが、長い冬だった気がする。珍しく本をよく読んだ冬だったからだろうか。これだけ本を読めれば、長い冬も悪くはない。

「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)
 昨秋、遭難現場に立ち、改めて事件の経緯を知りたくなった。作家の筆力には感歎するも、突っ込み不足。割りきれなさだけが残った。

「旅をする木」(星野道夫)
 Youmyさんから回って来た本。星野はほぼ同年代。あの頃、彼のような選択肢は全く夢想もできなかった。悔やまれる。

「神奈備」(馳星周)
 かつて登った御嶽山が舞台。リアル感で、一気に二晩で読んだ。神を切実に求める少年と神を信じない強力と、切迫する二人に思わず涙。

「月山」(森敦)
 舞台の七五三掛、注連寺にはずっと以前参拝した。庄内弁が面白く、つい森敦の世界にのめり込んでしまった。蠢く善男善女がいい。

「鳥海山」(森敦)
 短編集。古い友人がいた遊佐町も舞台に。富山と越後燕の行商人の宿での会話が印象に残る。舞台は「われ逝く・・・」につながる。

「われ逝くもののごとく」(森敦)
 Murandoさんの故郷が舞台で親近感。が、とにかく長い、貸出期間2週間を延長した。Unqさんの作品「悲しいことなど・・・」を彷彿。Unqさんのは中天の聖なる悪戯の世界。そこを経て天空へ昇る人、下界へ赴く人。森のは、その下界に蠢く善男善女たち。すべて本性は凄まじく醜い、それを隠して只管善男善女で生きる群像。生きるとは演じること。哀れな人間たちを温かく見下ろす目、それは神仏か。森は、文学には背景原理が必要だと言う。深い。

「山の自然学」(小泉武栄)
 山の自然を丸ごと学問の対象にした書。高山植物の植生と地質と気候の関係が興味深い。覚えられないのが最大の難点。購入して手元に置くべきか。

「日本の山はなぜ美しい」(小泉武栄)
 ただ今読み込み中。海外の高山との比較論あり。
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