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     雲の湧く稜線に私の桃源郷がある
安 久 昭 男 


 四十半ばで行き詰って、ふと昔を思い出して山登りを始めた。東京に居た頃友人に誘われるまま山梨や長野の山に年何回か登っていた。駅から登山口まで一日掛けて歩くようなストイックな登山で、水場を求めては幕営する気儘な山行でもあった。
 再開して数年は単独行、ひと月に十日山のこともあった。飯豊に登ったのは二年目、朳差の頂上で見たタカネナデシコを自然に生えた花だとは思えず、誰かが植えた園芸種だと思うほど花には疎かった。その後気の置けない仲間と登るようになったが、独りは修行、徒党を組めば娯楽だと思っている。いずれ日常を背負って喘ぎながら登ることに変わりないが。
 飯豊連峰は新潟、山形、福島の三県に跨って南北に連なる山脈で、主峰は飯豊山2,105m、大日岳を最高峰として2千mを越える山々が連なっている。日本海に近いため冬は豪雪となり、真夏でもあちこちに雪田雪渓がある。稜線にはテント場を隣接する八つの避難小屋があるが、基本寝具持参の自炊である。深田久弥の「日本百名山」にも名を連ね、花の多い山としても有名であるので、山岳誌の人気アンケートでは例年上位となる。四つの登山口がある飯豊温泉の駐車場は夏の週末には全国からの車で溢れるが、大概は行き交う人も稀な静かな山域である。
 そんな山に近くの我々が登らないとしたら、浦安に住みながら一度もディズニーランドに行ったことがないようなものかもしれない。おまけに山は無料である。
 苦しい息抜きが登山だが、特に飯豊はどこから登っても、登る人の覚悟を問うようないきなりの急坂で始まる。重いザックを担いでの登りは、「山登りは日常を忘れさせてくれる」と云いながら終始世間話に余念がない人さえも黙らせる。しかし、苦労して辿り着く稜線はさながら桃源郷のように登山者を迎えてくれる。延々と続く雄大な緑の稜線、風の吹き渡る草原に色とりどりの花々が咲き乱れる。

 雲の湧く稜線に私の桃源郷がある
 どんな感傷も許される場所
 歩けなかった道も
 再びは会えない人も
 花のように
 風のように
 やさしい
 どんな思いも
 残雪に光る雲のように
 眩しいだけ

 永劫と刹那を同時に感じることがある。岩稜に人が連なる山ではないことだ。
 御沢から入って大石に下る縦走をした際、送ってくれたのも迎えてくれたのも横山征平さんだった。登れるうちに登った方が良いと、送迎を買って出てくれたのだ。最終五日目、西俣のへつりの先で冷たい飲み物を沢山持った彼が待っていた。二時間も歩いて迎えにきてくれたのだ。
 それから六年後の2012年の同じ8月、同じ西俣で彼は命を落とした。沢山の事を彼から教えてもらったが、登れるうちに登ることだけ忘れないで守っている。


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