綿野舞(watanobu)只管走記(ひたすらはしるのき) 2017
 
3月20日 ネガティブに行くべし 山も マラソンも
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新潟ハーフマラソン大会 記録 グロスタイム 2:10:41
ネットタイム  2:06:35
ようやく出ました、2時間6分。
ハーフ21.0975㎞を1時間30分で走る人からみれば、冷笑の対象かもしれませんが、2時間10分がこれまでのベストの私、1㎞6分ペースで21㎞完走することを次の目標にして練習してきたのです。
今回、新潟ハーフマラソン大会でなんとか達成できました。気持ちの良いテンポで走ることだけを心掛けたら、70歳以上の部13位という結果も後からついてきました。
まっ平なコースと絶好の気候条件に恵まれたこともありますが、成功の秘訣は、どうやらネガティブ思考にもあるようです。
 渡辺伸栄watanobu
6:30から、ウォームアップ開始。あのビッグスワンのトラックを走れるなんて夢のような気分。普段、山から見下ろす気分は堪能しているが、グラウンドからせり上がったスタンドを見上げる気分は、選手にしか味わえないものだろう。フィニッシュで、マラソンゲートから入りこのトラックを100mほどスパートしたが、それもまた、実に気分のいいものだった。
7:40スタートブロックに集合。スタートラインにつけるのは招待選手、そのすぐ後ろに登録選手のスペシャリスト。その後は、A~Cブロックの長~い列。私はCブロックの中でも遠慮してずっと後方へ。
8:00スタートのピストルがなってもほとんど動かず、200mものろのろ歩いて、ようやくスタートラインをまたいだのは4分6秒後。
ゴルフなら、ハンディを差し引いてチャンスが公平になるようにするらしいが、マラソンは、これだけのハンディを背負わされたまま走る。
この大会では、ハンディを差し引いたネットタイムも出してくれたが、公式記録はあくまでもハンディを差し引かないグロスタイムで、順位をきめる。理不尽な気もするが、私のような者は、着順よりも自己のタイムとの競走だから、ネットタイムを出してもらえるだけでもありがたい。まだまだ、それすら出さない大会も多いのだから。
Cブロックの後方に位置づいた。
なぜ、こんなに遠慮したかというと、事前の調子があまりよくなかったからだ。
2月3日のこと、練習中に右足母指球と甲に激痛がきて走れなくなった。5日間休んで恐る恐るジョギングしてみたが痛くてキロ8分程度がやっと。また3日休んだ。1月ひと月で182㎞走り込んだ疲労が右足のアーチ部に溜まったようだ。
隣家のWさんが秘薬を持って来られた。猟師代々の秘伝の薬だという。秘剣「熊の爪」ならぬ秘薬「熊の骨」。
痛めて10日後、10㎞走れた。初めの5㎞は痛いのを我慢してジョギングペース、すると不思議、5㎞を越えると痛みが消える。だが、夜には腫れが出て、翌日走れば痛く、それも5㎞で消える。毎日、その繰り返し。
15日経って、痛みは残るものの、どうにか10㎞の後半はキロ6分で通せるようになった。
しかし、3月になっても痛みは消えず、走った翌朝は腫れがある。
痛みが消えたのは、3月7日、15㎞を走り通すことができた。
13日と17日の2回、土手を走った。両日とも強風で、向かい風に息が上がり走ったり歩いたりの状態。
そんなこんなで、調子は悪かった。

週刊ヤマケイの編集者が、概略次のようなことを書いていた。
自分は、登山に関してはネガティブ思考で、そのため、若い頃から、ポジティブ思考の登山仲間からは嫌われた。もう少し頑張れば行けたのに、お前はいつも引き返そうと言うからイヤだと。その仲間の多くをその後登山事故で次々失った。自分が生き残ったのはネガティブ思考のお陰だと思っていると。
しょっちゅう山行を共にしていただいているUnqさんもYoumyさんも慎重派だ。だから、編集者の言には得心がいく。
マラソンも同じだと思う。昨年一年、事前の調子がよくて失敗ばかりしていた。控えめに徹して11月の五泉大会はうまくいった。
今回も、ネガティブに考えた。どこで足が痛み出すか分からない、完走だけを狙おうと。
そもそも、足の回復が間に合わなければ棄権も覚悟していたのだから、出場できるまでに回復したことがありがたかった。
キロ ロス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
ラップ 4:06 6:26 6:18 6:11 6:08 6:08 5:56 6:02 6:00 5:52 6:03
 キロ 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 G
ラップ 5:49 6:02 5:51 5:52 5:51 6:19 5:50 5:48 5:53 5:58 5:57 0:21
最初の1㎞は6分30秒に抑えた。徐々に調子が出てくる。5㎞を過ぎると意図しなくても自然にキロ6分のペースになった。そこからは、走りのリズムを作ることだけを考え、いつも練習で心掛けている「調子よく、調子よく、テンポ、テンポ」と自分に言い聞かせながら走った。
10㎞を過ぎると、故障した箇所と持病の右腰に痛みが出た。いつものことだ。
Unqさんから貸してもらっている月刊「ランナーズ」に、名言があった。「苦痛を愛せよ、もっと痛むまで」 「マラソンは意志のテストだ」
時々、この言葉を唱えた。
16㎞の6:19は、給水コップを2度も取り落とし取り直したりしたせいだろうか。4か所の給水は一度も歩かなかった。沿道に大好物のイチゴを提供する人がいたが一度も手を出さなかった。18㎞付近の狭いコースに小児が数人タッチの手を出していて、ここだけはさすがに無視できずタッチして通った。ちょうど苦しいところで、無心の笑顔が何よりの力付けになって、嬉しかった。
あぁ、そうそう、それより少し前、BSNのTVクルーがいてカメラの前であの今井美穂ちゃんとハイタッチしたのだった。あの時ばかりはにやけていたな。25日(土)の放映に果たして・・・

それはさておき、その昔は「亀田郷の芦沼」で有名な深田地帯、今は乾田化され一面まっ平ら。コースは凹凸が全くなく、それに結構カーブがあって飽きが来なく、実に走りやすい。
どこのマラソン大会も、こんなコースでやってもらいたいものだと思うのだが、中には坂好き、坂バカのランナーもいるから、そんな人には少々物足りないかもしれない。
今回、レース中の写真は一枚もない。
Okkaaは、自分のミッションを理解していない。ビッグスワンの外に出て、まだ戻らないだろうとぼんやりとランナーを眺めていたら、突然目の前に私が走って来て、まさかこんな早く戻るとはと驚いたのだという。カメラなど、出してもいない。急いで、スタンドに戻ったところで、階段を駆け上るのは無理。当然、ゴールも見ていないし撮ってもいない。
そのうち、オールスポーツの写真が販売されたら、我が雄姿をここにUPすることにします。
さて、ゴールしてからが大変。トラックを半周して1Fの屋内走路に入り並んだのだが、6列ほどの行列が遅々として進まない。外は陽射しなのだが屋内は寒い。最初にもらったタオルで肩を包んだものの、一向に進まない列に、汗でぬれた身体は冷えてくるし立ったままでそのうち足が攣って来る。
記録証の発行所で大停滞している。今回が第一回の大会だから役員の皆さんにもままならない事態があるのだろう。列の皆さん、文句の一言ももらさず、じっと亀の歩みに耐えていた。
いつの大会でも、運営側に対して、参加者はみな感謝の気持ちしか持っていないのである。
ただ、この連休中、関東の山に遠征した只管組のUnqさんとYoumyさんには、報告が遅れてしまった。「もうゴールした頃だが結果は如何?」と、山からLineが入っていたのだ。記録証を貰って返信したのがゴールの40分後。これだけ遅れては、もしかしたらリタイヤかとさぞかし心配をかけたことだろう。まさかの6分達成を我がことのように喜んでもらえた。

感謝と言えば、この大会は、珍しく70歳以上の部が設けられた。
これまでは、大体60歳以上の部で一括り、五泉の大会では、50歳以上の部ですべて一括りだった。
お陰で、今回初めて、70歳以上男子で13位と順位が記録された。因みに女子の70歳以上の参加者は0。実数は分からないがエントリーは38名。翌日の新聞によると、トップは1時間40分台。発表はされていないが8位入賞には2時間切りが必要だろうし、とても足元にも及ばないが、13位となれば悪い気はしない。
もちろん、順位を競っているわけではなく、相手はいつも自分のタイムなのだが、それでも順位が分かれば張り合いにはなる。
6月の関川マラソンも70歳以上の部を設けるとか。これから各地の大会で右習いしてほしいものだ。ついでに、マスターズ並みに5歳刻みにして、80歳代、90歳代もできると最高なのだが。

ストイックに走って沿道のイチゴに手を出さなかったので、帰りには、白根のフルーツガーデンまで行き、イチゴを食べて満足して帰った。古希と呼ばれる七十路に突入したが、まだまだ、行けそうな気がしてきた。おっと、これはポジティブ思考。アブナイ、アブナイ。
次は、2週間後の笹川流れマラソン。まずは、疲れを癒してネガティブに、ネガティブに。
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