綿野舞 watanobu 山歩紀行 2010.4.9 幾地古道
 標高110m付近  新潟県胎内市~関川村    
 
関川歴史館主催「古道を歩く会」

胎内市の大長谷集落と関川村の幾地集落とは、標高百数十mほどの低山地を挟んで隣り合っている。
だから当然、その山地には両集落を繋ぐ道があった。

50数年前まで、幾地集落の児童は、この山道を通って胎内市(当時は黒川村)の大長谷小学校で学んでいたという。
関川村内の学校に通うより遥かに近い。

車社会の到来によって今はほとんど廃道に近くなっているその山道を、大長谷側から辿った。

道は、市村境界になっている尾根筋の最も低い標高100m位の鞍部を越え、関川村側に下る、とすぐに幾地集落についた。
思ったよりもうんと近い。

古道を歩くといつも思うことだが、最短距離で最低箇所を的確に選んでいる、その地形を見る確かな目に感心する。


幾地集落からは、もう一山越えて内須川集落と結ぶ山道を辿った。ここは舗装の林道となっていた。
110mほどの標高の峠で一団が休憩中、林道から斜面を登り、旧峠と思われる箇所に上がってみた。光兎山が木々の間から覗かれた。

往時の人も、最低箇所を峠にしていたとはいえ、ただ通過するだけでなく、見晴らしの良いところに展望休憩箇所を設けていたに違いない。
そんなことを勝手に想像している。

峠を下った内須川集落は、今はもっと麓のほうへ集団移転していて、旧集落の地には、移転前の土蔵造りの建物などがわずかに残されていて、その跡を留めているだけだった。
木々が生い茂ってしまうと、ここに賑やかな人家が立ち並んでいたことなど、気配も感じられない。わずか数十年のこと、自然に帰るのは意外と速い。


古道を歩く会は、いつも、山の大先達であるY氏が講師で先導を務めてくださった。
山に登るだけでなく、古道のような山道もよく歩いている方で、地歴に詳しく、その場その場での話が実に面白かった。
そのY大先達が、2012年夏に山で事故に遭い、急逝された。
今、こうやってたびたびの古道歩きを振り返っても、貴重な方を失ったことを惜しまれてならない。

左の写真で、神社の境内を先導して行くY氏の姿に、改めてご冥福をお祈りして、黙祷

                2013.12.14記
 
 
 
   
     ― ページのTOPへ ―