山歩紀行

人と交わり、草木と交わり、山気と交わる
       そんな山歩きの楽しみを綴ってみた
2012年10月26日 古道を歩く  ~越後米沢街道 宇津峠~

宇津峠への米沢側登り口 落合地蔵尊お堂

このときキノコを一番多く採って喜んでいたFさん
越後関郷と米沢を結んだ旧街道に十三峠あり、宇津峠はその中でも最高所にある
関川歴史館主催「古道を歩く」に参加して、その宇津峠越えの道を歩いた
峠の上で講師の方に教えてもらって、初めて気付いたのだが
この峠が越えている尾根筋は、飯豊連峰と朝日連峰をつなぐ尾根筋で、越後の荒川水域と出羽の最上川水域を分ける分水嶺となっている

帰宅後、地図で確かめてみると、峠から北に延びる尾根は徐々に高度を増し、やがて祝瓶山から大朝日岳に辿りつく
南に延びる尾根も、北側よりは少し複雑に曲折するものの、やがて地蔵岳に辿りつき種蒔山から、飯豊本山へとつながっていく
祝瓶山はまだ登っていないが、それ以外の山はみな昨年登った山で、それらの山々の接点に立ったようで、なにか、気宇は壮大になる

のどかな秋の一日
色づき始めたブナ、モミジ、真っ赤に葉を染めたヤマウルシ
ツルリンドウは赤い実になっていたが、咲き誇っていたのはリンドウ
道端には、キノコ、その見解が一致したり分かれたり
まっ、食べ(させ)てみれば分かるさなどと、笑い話もでたり

一行はみな、おもいおもいに山の道を楽しんでいた 





明治11年、47歳の英国人女性イザベラバードが日本人の供一人を連れて長旅の途中、この峠を越えた
峠近く「イザベラバード遠望地」の標示が立つ所
ここから米沢盆地を眺めたにちがいない、としたらこんな風景が見えたはず、という場所
というわけで、その風景を写真にとってみた
女史が越えたのは夏、だからもちろん紅葉はない 

海抜491mの峠には4基の石碑が立っている
左から2個目の丸い碑が「宇津峠道普請供養塔」で弘化2年(1845) 建立
よくみると、三潴兵内と読める文字が刻まれている
それ以外の文字は読みにくいが、この人、上関城主三潴氏の末裔ではないだろうかと、帰宅して三潴氏の家系を調べてみた
第11代当主に三潴兵内政常という人がいるが、この人は、文政5年(1822)8月に死亡している
第12代当主は、三潴六弥政富とあり、兵内を改むとあるから、初めは兵内と名のっていたことになる
この人は、文政5年に家督を継ぎ、嘉永2年(1849)卒とある
読みにくい碑の全文が黒沢峠保存会のWebページに載っていた
それによると、三潴兵内は四境御用掛で小松峠から玉川までの普請方の筆頭だったとある
とすれば、先祖が、この街道の要地「上関城」の城主であり、また、上杉氏会津移封後は小国城代を勤めるなど、この街道とかかわりが深い三潴氏は、幕末になっても越後米沢街道の交通に大いに寄与していたことを示している

越後米沢街道は、戦国時代に米沢を拠点にした伊達氏にとって重要な塩の道で、江戸時代には、米沢に転封された上杉氏にとって、旧領越後とつなぐ最重要の道であった
その街道の要である「上関城」を、鎌倉幕府開府以来400年間も押え続けた三潴氏
城を離れて200年を経てもなお、越後米沢街道には三潴氏を欠かすことはできなかった、ということをこの石碑は示しているのではないだろうか

越後米沢街道は、藩政時代まで人馬が通るだけの山道だったが
明治になって、山形県令三島通庸の大号令で始まった車道開削により、宇津峠道も明治27年新道が通った
昭和42年までこの車道が使われたという
とすれば、中学生のとき、トラックの助手席に乗ってこの峠を通ったはずだが、よくは覚えていない

宇津峠越えの旧街道は、藩政時代の旧道と明治開削の旧車道が錯綜する


宇津峠が、飯豊連峰と朝日連峰をつなぐ尾根筋にあるという話のつづきだが
分水嶺ということは、川を一本も渡らなくても通れるルートということだ

地図上で、それを北に辿っていくと、祝甕山から大朝日を通って以東岳に延び、その先、新潟・山形県境の山々を経、やがて日本国山につながり、川を1本も渡ることなく鼠ヶ関で日本海に出ることができる

西朝日岳から南西に尾根を辿り、徳網山、蕨峠そして光兎山の北対岸の峰を通ると桃川峠を経て神納平野までは辿りつくが、平野部に用水路が網目のように流れてストップとなる

太平洋はどうかと、飯豊連峰種蒔山から西吾妻、蔵王、白髪山、船形山と辿ってみると、宮城県松島まで行き、雄島対岸で太平洋に達するようだ
東日本の列島の最もくびれた箇所を横につなぐ、いわば脊梁の一部がこの宇津峠ということになって、なかなか興味深いものがある
この地図遊びは、尾根が海まで落ちている箇所を見つけないと達成できない、やってみるとおもしろい地図遊びだ
それらのルート上でこれまでに登った山を数えたり、これから目指す山を考えるのもおもしろい

それはともかく
実際に30日分の食料・装備を背負って飯豊から朝日まで通して縦走した人がいるというから、すごい人がいるもんだと、ひたすら敬服だ

経験豊かなすばらしい岳人講師にそんな話を教えてもらったり、思わぬところで三潴氏の足跡と出会えたり
穏やかな錦秋の一日、充実の山歩きだった
こんな山歩きも、実にいい 

イザベラバード遠望地からの眺め

米沢盆地遠望

宇津峠道普請供養塔(左から2個目の丸い碑)

三潴兵内の文字

明治時代開削の車道の宇津峠

旧車道の傍らに立つサイカチの木
当地方では珍しい木だとこれも講師の方から教えてもらった

昨日までの雨が上がって、紅葉がきれいで 

道路の水溜りに、コケ 
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