杉王山への峰に登りつくとここだけ展望が効く 朴坂山と貝付の狭戸 |
昨春に登って膝激痛を味わった大平山 |
先日、山の仲間の新年会があって、そこでの話。 Junjyさんは、家の裏の里山を歩いて春の登山に備えているとか。 見習って当方もと、近くの里山へ出かけた。 陽も射してきたし、雪の里山歩きには最適の日となってきた。 写真を撮りながらの午前2時間半ほど、何とも気持ちのいい汗をかいた。 この爽やかさは、踏み台昇降運動だけでは味わえない。 スノーシューは、なかなかいいあんばいです。 今日くらいに新雪が締まると、殆ど沈まない。 ブッシュの上の雪面を歩いてもぬかることがない。 カンジキだと多分こうはいかないでしょう。 ちょうど子どもの頃に履いていたスキーを思い出します。 靴のつま先をベルトの中にさして、踵を後ろのベルトで締める。 歩くときは踵だけは板から離れる。 だから歩きやすい。 全く同じ仕掛けです。 そういえば、子どもの頃は、そのスキーを履いて上級生に引連れられてよく山の中で遊んだものでした。 幾つになってもやってることはあまり変わりがないようです。 だんだん元に戻っていくのでしょうか。 食べ物なんかもそうみたいですね。 いい忘れましたが、スキーと違って絶対に滑りません。 何せ板の裏側にはギザギザの爪がついているのですから、そこだけは全く異なります。 ところで、上関城四百年物語を綴っていることもあって、今日の山歩きは、長峰山上に上関城の山城を探すことも目的の一つでした。 これまでの探索でもそれらしい跡は見ていませんし、専門の先生に伺っても山城の痕跡はないとのことですが、雪のある時には、葉の茂った時には見られないものが見えることもあるし、普段は藪で行けない箇所も雪の上なら行けるようになるので、注意してあちこち見ながら歩いてみました。 しかし、やっぱりそれらしい箇所は見られませんでした。 長い峰筋がどこも掘り切られていないし、段切りされた斜面なども見当たりません。 上関城には山城はなかった、いや、むしろ不要だったというのが、今のところの私の推論です。 詳しくは、上関城四百年物語に近々掲載の予定です。ぜひ、お読みください。 ただし、上関城に付属する山城は不要でも、中世争乱期の上関村の住民が非常時に避難する「村の城」はあって当然と思われるのですが、それがどこか、中世の上関の領域からすればもう少し荒川・大石川の上流部かもしれません。 これからも機会を作って探索してみたいと思っています。 |
正面、沢集落の後ろに 沢氏の山城とも垂水氏の山城ともいわれる山 |
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先導者がいた 兎の足跡を今回は撮れた 絞りの加減と露出補正でなんとか前回の失敗を免れたようだが どの画像も薄暗くなってしまって まだまだ中々難しい |
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林の中にときどき陽も射して 木立の陰が、気持ちいい 誰もいない、人も獣も |
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昨日午後、Mikiさんと滑っていたわかぶな高原スキー場 昨日のスキー場は、近年めずらしいくらい混んでいた スキー人口が増えているのか、嬉しいことだ |
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長い峰の上に山路が続く 踏み跡のない雪の上を歩くのは、とにかくいい気持ち |
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振り返れば、自分の足跡だけ 麓は、だいぶ下に |
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遠くに大境山 去年登った山 右端に立烏帽子 |
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峰の途中に送電線の鉄塔があって藪が刈り払われている、雪原 |
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山歩紀行 2013 |
西穂山荘 2011.8.28撮影 |
人と交わり、草木と交わり、山気と交わり それら一瞬の表情を写真で切り取る楽しみも広がって 単独行もいいし、仲間とならなおいい そんな山歩きの楽しみを綴ってみました |