登山口の広河原から1日目の目的地白根御池小屋までは標高差で700m。樹林の尾根道を淡々と登っていく。
Haseさんが、北岳では最も無難とされる白根御池からの3日間コースで企画してくれた。北アルプス3日間の直後だけに、ありがたい。
尾根の途中で、さすがに古傷のある右膝がカクカクし出したが、屈伸やストレッチを繰り返しているうちに、足が慣れだしたようで何とかもってくれた。
御池の小屋は超満員だったが、Haseさんの配慮と生ビールで何とか熟睡できた。
第2日目、6時前に小屋を出て、すぐ草スベリの急登が待っている。只管我慢の登り坂。とはいえ、思いの外花が多く、疲れを癒してくれる。
高度を600m稼ぐと、小太郎尾根分岐でようやく稜線に出、展望が一気に開ける。
富士、鳳凰三山、甲斐駒、仙丈、木曽駒のある中央アルプス、八ヶ岳。
雲一つない快晴。贅沢な気分で稜線を進む。
8時半、肩ノ小屋で一服。
キタダケソウの花は終わっているだろうが、何とか名残だけでも見たいものと、外で作業中の小屋のスタッフに声をかけたら、若い方の人が、これがそれだと指差してくれ、早速カメラに収めた。
肩ノ小屋で3010m、あと183m、決して平坦ではない岩峰を一歩一歩登る。
9時25分、北岳山頂に立つ。
日本第2位の高山。そこからの眺望は痛快そのもの。
三ツ峠はあの山か、木曽駒の千畳敷カールはあれか、御嶽山は、白山は、槍は・・・と、これまで登った山を探す。まるで知っている人を探すように。
残念なことに、自称遅れてきた登山青年にとって、知っている山はそれほどはない。仙丈に登った、富士に登った、地蔵に登った・・・というメンバーからは、かなり遅れている。
Junjyさんがここから槍が見えるはずと目を皿にしてくれたが、槍も御嶽も白山も霞の彼方だった。最近はどうも地球の垂直方向に比べ水平方向は霞が漂っているような気がする。スモッグだろうか。
それはともかく、北岳山頂の眺望と記念撮影を満喫した後、山荘へ下り、腹ごしらえの後、軽荷にして間ノ岳へ向う。
間ノ岳までの3000m超の稜線歩き。
農鳥岳まで歩けば、この高さでの日本一長い稜線だとか。間ノ岳までだとしても、往復するのだから日本一長い3000m超の稜線を歩いたことになるのではなかろうか。それに、4日前の槍ヶ岳から南岳の間の稜線をプラスすれば、かなりの長さの3000m超の稜線を歩いたことになる。
だから、どうした?と言われると、困るのだが。
稜線歩きといっても平坦なところなどないわけで、空気が薄い分、アップダウンは結構きついのだが、それでも、これだけ高いところをこれだけ長い距離歩くのは、それはそれで、なかなか気分はいい。痛快と言うか爽快と言うか、サイコーですねぇいう言葉などは、こういうときのためにあるのかもしれない。
それにしても、最高ですねぇになるかどうか、山は天気次第。
私以外の5人のメンバーは、昨年、槍ヶ岳で絶好の天候に恵まれた人たち。晴れ男・晴れ女。私までその余禄に与ったということで、実にありがたいことではありました。
さて、2日目の北岳山荘は大部屋泊まり。何十人いたことか、百人近かったのでは。それなのに不思議なのは、全く静かな夜だったこと。
大部屋の方が騒音は散るのだろうか、それとも、耳栓の効果で熟睡したからだろうか。今もって、不思議だ。
3日目は、北岳をトラバースして、八本歯のコルから大樺沢ルートへ下山。
1週間前にこのコースを登った人のヤマレコでは、下りはアイゼン必須との情報だったが、夏道が露出していて、全く必要なし。
その情報を流して、重い6本歯を担いでしまったメンバーには、結果的にはすまないことをしたと詫びたら、安全のためだからと皆さん気持ちよく受け止めてくれて、ありがたかった。
ところで、今回は北アルプスの直後で右膝に不安があったせいもあって、食料は、3食山小屋頼みで非常食だけにし、荷物を最低限に絞り込んだ。水も行く先々の小屋で補充。日帰りでもこんな軽い荷は担いだことがないというくらいの軽荷にした。
やってみて、アルプスの整備されたルートであれば、このくらいの荷で大丈夫ということが分かった。飯豊や朝日とはかなり違う。
それにしても、いつもは軽荷のHaseさん、今回はずいぶん重かった。食料をタップリ担いでいて、だいぶ分けてもらったし、夜の飲料まで用意してくれていた。
宿泊の手配やらコースの設定、車の持ち出し等々、何から何までお世話になって、本当にありがとうございました。
それと、Kimiちゃんには、下山してからタクシーとの交渉やら浴場の手配やら、手際よくテキパキとやっていただいた。これまた、本当にありがとうございました。
下山して、足がヨレヨレの我らを尻目に走り回って手配する姿は、一同にとって、感動ものでありました。
そんなこんなで、今回もいい山旅でした。同行の皆さん、楽しい山歩き、本当にありがとうございました。
ミヤマハナシノブ
<追記>
書き忘れていたことがある。
広河原から北岳への道は、たしか高村薫の「マークスの山」の舞台だったはずだ。
御池小屋の近くまで下山してビバークした一行が、そこで事件を起こす。
白根御池小屋の本棚に、「マークスの山」が1冊立てかけてあったのを見て、思い出した。
それにしても、あの小説の雰囲気と実際の現地と、まったくイメージが違う。
登山中は、小説は作り話だからななどと自分を納得させて歩いていたが、気になって、今日(8月21日)、本部屋からその本を引っ張り出して、斜め読みにページをめくってみたら、分かった。
御池小屋は御池小屋でも、白根御池ではなく池山御池の小屋で、ルートは池山吊尾根の話だった。我らが下った八本歯のコルに繋がる上級者向けのルートのようだ。
まして季節は晩秋、登山者の少ない山道、これなら、殺人事件(実際は遺体遺棄事件なのだが)の舞台設定もありうるだろうと、どうでも良いことなのだが、何となくモヤモヤしていた気分がスッキリした。
「マークスの山」の北岳の事件は昭和51年のこと、事件の背景には昭和45年前後の学生運動。ちょうど我々の時代の話。
その頃(今もそうなのかもしれないが)、山好きの学生達は、北沢から北岳に直登するルートや池山吊尾根を自在に往復していたようだ。高村薫氏も多分そうだったのだろう。
自称遅れてきた登山青年にとっては、何やら、うらやましくさえなる話ではある。