白山登山は、4月10日に予定していたのだが、その頃から天候が不順になり出して、結局3度の予定を流した。
この日は、今日登らなくて何時登るのかというくらいの登山日和、なのにHaseさんもJunjyさんも都合がつかないという。しかたなく、4度目の正直を確信して単独行に出た。
深田久弥の著書だったと思うのだが、何度も悪天候で中止した山こそ感慨は一入のものだというような文があったような気がする。まさにその通りの山行きとなった。
登り始めは、山笑う春。花も芽も柔らかく、風は光っている。
700mくらいの標高から厚い残雪があって、山頂は雪原。穏やかな日差しで、枝にかけた衣類の汗が乾ききるほど。
山頂からは飯豊の麗峰。この角度からは、大日岳が際立って大きく、さしもの北股岳も小さく見える。見る場所によって主役が交代するから面白い。
因みに関川村から見上げる主役は朳差岳だが、今は幕間に隠れているかのよう。
目を転じれば、すぐ裏側に粟ヶ岳。その背後に真っ白な守門岳が顔を覗かしていた。
登山道の方向を振り返れば、日本海は霞んでいて、ビックスワンが大海を行く白舟のように見えた。
山頂の眺望をおかずに昼食、先日TVの山番で覚えたお握りをお茶漬けにする方法を即実践。ドリップコーヒーなどを点てて、1時間10分、タップリと雪原の憩いを楽しんだ。
話は変わるが、ひと月ほど前になるか、旧友のTomoさんが山を廃業したからといって、古い山の本を置いていった。深田久弥2冊、本多勝一2冊、さらに「山の思想史」などというやたらこ難しい本1冊。
このこ難しい本の冒頭に、「山々の頂きに憩いあり」に始るゲーテの詩があったのを、ここで早速つかわせてもらったのだが、今日の白山登山のためにTomoさんが置いていってくれたようなものだ。
そういえば、先ほど紹介した深田の言葉も、この5冊の書物のどれかに書いてあったのだ。急いでページをめくって見たが見つからない。本多の言だったか、もしかするとあのこ難しい本の中だったかもしれない。
もう一つ思い出した。5冊のどこかに、安楽椅子の登山家の話があった。年老いて登山をやめたとしても、書斎で地図やら登山書を繰っていれば、それは立派な登山家だという話だった、たしか。
この話、Tomoさんに教えてやらなくては・・・。
Haseさんと、こんなにして山へ登れるのもあと何年だろうなどと、たまに話をする。いずれ、安楽椅子の登山家になるのだろうか。その前に、安楽椅子を買わなくちゃ。
登りは尾根線、下りは田村線で周回した。
尾根線はよく整備されていたが、田村線は、途中ブッシュでトレースが消えていて、一瞬あせった。こんなときアウトドアナビは心強い。すぐにトレースを見つけて事なきを得た。
日常生活ではもはや得られなくなった緊張感を得たくて山へ入るのもあるのだが、それだけに、無事下山して慈光寺や周囲の神仏に手を合わせ感謝したのも、いつものこと。
人と交わり、草木と交わり、山気と交わり
それら一瞬の表情を写真で切り取る楽しみも広がって
単独行もいいし、仲間とならなおいい
そんな山歩きの楽しみを綴ってみました
山歩紀行 2013

                 西穂山荘 2011.8.28撮影
 
   2013年4月23日 越後白山 山頂の雪原に憩いあり
                            白山 1012m 新潟県五泉市

山頂の雪原で憩う人々 ~眼前に飯豊連峰 左に大蔵山、五頭連峰菱ヶ岳~

麓の集落から見上げた白山
 これからあがらせていただく聖なる山

敷島のやまと心、朝日ににおう山桜かな

麓は、山笑う季節 谷間の春紅葉に風が光る

山頂から、真向かいの粟ヶ岳1293m

遥か下界を見下ろして、ここにも憩う人

新津丘陵のその先に微かに白いビックスワン 
 
今が盛りのイワウチワ、白花の群れから外れてひときわピンクの鮮やかな一株
 
一昨日の降雪にもめげず、色濃く咲いたカタクリ ようやく出合えたタムシバ一輪

登山口の慈光寺境内の三十三観音

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