槍の穂先3180m '13.8.2
  山歩紀行 2014
 人と交わり、草木と交わり、山気と交わり
それら一瞬の表情を写真で切り取る楽しみも広がって
単独行もいいし、仲間とならなおいい
そんな山歩きの楽しみを綴ってみました

飯豊・石転び沢雪渓 '13.6.16
 
  
    2014年4月13日  沢城(垂水山城)址 探索
              沢山 320.6m  新潟県関川村

温泉橋から見た山城址のある山頂

関川村沢集落の裏手に320.6mの山がある。
地理院1/25000地図にも村発行「山岳渓流地図」にも、山名は載っていないが、沢の山ということで沢山と呼んできた。

その沢山の山頂に山城址があるという。城の図面(縄張り図)は、以前、専門家の横山勝栄先生からいただいていた。

昨秋ころだったか、関川歴史館館長のWさんと、来春雪が融けて葉が繁る前に登りましょうと約束していた。

先週、そのWさんから、今度の日曜でどうだ?と話があって、二つ返事でこの日を待っていた。
とはいえ、前日は鷲ヶ巣の12時間歩きで、この日午前は、地区民総出の江浚い(用水清掃)、実はクタクタだった。

320mの低山とはいえ、登山道のない藪斜面登りになることは間違いない。
足は持つだろうかと、多少不安をかかえながら藪に入ったのだが、不思議なことに、足の奴めが嬉々として登りだすではないか。

今は故人となったY大先達が自分の足を「歩き中気だね、これは」と言ってよく笑っていたものだが、その伝でいうと私の足は「登り中気」になってしまったのかもしれない。


それはさておき、Wさんがもう一方声をかけていて、これも山歩き大好きのSさんが参加し、計3人での藪こぎとなった。


Wさんは実は若い頃国体山岳競技に出場したほどの山の猛者なのだが、どうも「やぶ屋」らしい。
笹薮、柴藪ものともせず、「登山道のある山は苦手でね・・・」などと、冗談を言いながら、道なき道をワサワサと登っていく。


図面では西側の尾根と正面の尾根に遺構が多数あることになっている。
正面の尾根から上がって西尾根に下るつもりで山に入った。
ところが、標高90mのポイントで一つ手前(西寄り)の尾根に取り付いてしまったらしく、そこは西尾根の途中に繋がる支尾根だった。

結果的にそれが当った。

横山先生の図面には載っていない二重掘りを発見したのだ。
気圧高度計では、私のもWさんのも120mと出ていたが、後でGPSのLogを見ると100mの等高線の辺りだったようだ。
90mのポイントを過ぎてすぐ、ほとんど麓の辺りからこの城の防衛網は築かれていた。

登ってみて分かったのだが、尾根筋以外の斜面は急で、ほとんど断崖絶壁に近い様相に見えた。
城として使われた当時、樹木は切り払われていただろうから、その断崖状の山肌を登って攻めることは不可能だ。
攻められるとすれば尾根筋しかない。そこを完璧に防御することで山城の使命が全うできる。

ということで、下山時に西尾根の段切りを数えたら36段もあった。兵士二、三人が立てる程度の狭い段がほとんど。
要所要所には堀切を入れてある。
堀切で手間取っている敵兵を段上から弓で狙い打つ、攀じ登ってくる敵兵を段上から槍で突き落とす。
何しろ横から敵が来る心配がないのだから、攻めるに難く守るに易いまさに要害。

おそらく、この城に立て籠もったことを知っただけで、敵は攻撃を諦めるだろう。
そもそも、このような城があることを知らせておけば、攻めても効なきことを予め理解させ、攻める気を起こさせない。

戦わずして勝つ、山城にはそんな知恵が込められている。


さて、この沢城は近くの垂水城の詰めの城だろうと目されている。
垂水城は垂水館とも言われ、垂水氏の平時の城館で、戦時立て籠もるための城として沢の山上にこの城が用意されていたというわけだ。

そのことを直接示す文献史料は何もないし、山城は何も語らない。

山城関係の本には、山城を見るとき、その城を造らざるを得なかった人たちの事情を考えよ、というようなことが書いてあった。

本丸跡に立って、これだけ厳重な城を造らなければならない事情を当時の歴史的状況から考えて見た。

南北朝の争乱で南朝側に立って追い詰められ、滅亡の淵に立った荒河保地頭河村氏の末裔が垂水の地まで逃げ込んで、ようやくそこで垂水氏として存続の名分を確保し命脈を保とうとしたとき、いつまた襲われるかしれない恐怖感のもとで、厳重な要害を築き上げた事情は理解できるような気がした。


言うまでもないほど当然のことだが、やはり、山城の考察は現地に立って見なければ分からない実感というものがある。

Wさんとは、この後も村内に残る城址の探索を行う約束になっている。ありがたいことだ。


※ 垂水氏と山城について、詳しいことは、追って「城跡物語」に記したいと思っています。後日になりますが、どうぞ、お読みください。


ところで、Wさんからいただいた資料で、本日の我らの最終点320mの山頂をさらに通り越して尾根上を進み、湯蔵山726.2mまで、残雪期の尾根歩きをした人の記録があった。
湯蔵山の麓にいてまだ行ったことのない自分は、とてもKazuさんを笑ってはいられない。
藪こぎのそのルートは面白そうだと、Unqさんに話しておいた。
来期、実現できるだろうか。

GPSでとったLOG  垂水城と上関城と沢の山城の位置関係

沢城の図面の上に今回の探索ルートをおろしたもの

作業道の崖を登って藪にこぎいるWさんとSさん

早くも二重掘り発見 倒木のあるのが堀、その先にもう一つの堀

西尾根の切岸と帯曲輪 斜面を削落して作った細長い平地

西尾根の上を進む二人 無数の段切り、下山時数えたら36段

本丸部分に到着 城図面に標高313mとある

本丸で談合する大将と参謀?

守備の兵士が配置されたであろう本丸直下の帯曲輪

313mの本丸とその奥の320mの双耳峰を繋ぐヤセ尾根を進む

320.6mの沢山ピーク 落葉を被った四等三角点を探し出した

木々の間から大境山、朳差岳、飯豊連峰の白嶺

根小屋があったとされている麓の沢集落を見下ろす
尾根筋以外の斜面は、どこもほとんど断崖絶壁に近い要害

戦乱の往時も知らず咲くヤマモミジの花
       ― ページのTOPへ ―