八ヶ岳 '14.6.29
  山歩紀行 2015

 人と交わり、草木と交わり、山気と交わり
それら一瞬の表情を写真で切り取る楽しみも広がって
単独行もいいし、仲間とならなおいい
そんな山歩きの楽しみを今年も綴ります

白山 '14.7.21
 
    2015年5月21日 古道を歩く「諏訪峠越え」   新潟県阿賀町
                旧会津街道諏訪峠 510m  ←クリックで地図表示

11:05 行地(ゆくち)の一里塚  街道を挟んで左右両側に大きな土盛りの塚が2個 

<コース> 行地10:45-12:05殿様街道の大ぶな(昼食)12:40-13:05諏訪峠13:15-13:40柳新田の一里塚-14:10柳新田 

関川歴史館主催の史跡巡りに参加。今回は、古道を訪ね峠を越える企画。

旧会津街道は、新発田と会津若松を結ぶ道で、江戸幕府にとって、江戸と佐渡をつなぐ三道の一つとして重要視された道だという。
新発田藩や村上藩にとっても、藩主の参勤交代の道で、殿様街道とも呼ばれていたとのこと。

それだけに、往時は、手抜かりなく整備された街道だったに違いない。今回歩いた諏訪峠越えの古道には、そのことを示す痕跡がしっかりと残っていた。

出発地の行地を過ぎて間もなく、一里塚が残っていた。
終点の柳新田の近くにも、同様の一里塚があった。

一里塚が、街道一里ごとに築いた塚だということはよく知られているが、街道を挟んで左右に二基一対で作られたものであることを実地で初めて見た。
しかも、かなり高く盛り上げた塚で、周りに松並木などもなく塚だけが異様に目立っている風景が面白かった。

塚の上には、今は枯れたが榎が植えられていたという。
塚の脇に説明看板が立っていて、徳川家康が一里塚築造を命じた際、「いいき(良い木)を植えろ」と言ったのを部下が「えのきを植えろ」と聞き違え、そのため一里塚には榎が植えられたのだと書かれていた。
環境庁・新潟県と記された生真面目な看板の内容が、漫画のような話で、これまたなんともチグハグで面白かったのだが、Unqさんは、そんなバカみたいな話があるかと妙に憤っていて、それもまた面白かった。

もう一つの痕跡は、石畳。
峠への途中、山道は送電線の下を通って、突然、刈り払われた明るい斜面をしばらく通るのだが、その一箇所に「石畳」と書かれた柱が立っていた。足元を見ると確かに道の真ん中に石が1個ある。しかし、これはどう見ても石畳状態ではない。
もしかすると、その1個以外は埋まってしまったのかもしれない。

諏訪峠を越えると、古道は車道と重なったり交差したりするのだが、車道と交差して山中に入るとすぐに、今度は、立派な石畳の道が残っていた。
表面に多少凹凸のある石を敷き並べたもので、妙に近現代風に手直しした跡もなく、往時の面影を十分に偲ぶことができた。

さて、肝心の諏訪峠はというと、山道を登り上がってようやく峠に出たと思ったら、そこには車道が通っていて、少々がっかりさせられたものだった。その上、登り上がった正面、車道に面して、これまた妙に大きくて古道に不釣合いな石碑が立っていて、往時を偲ぶよすがを台無しにしていた。
吉田松陰がここを通ったことを記念する石碑らしい。裏に平成4年と彫られていた。
折角の古道、往時の面影を大切にして、こういうものは傍らの目立たないところに設置すべきだと思うのだが、一里塚でのUnqさんの憤りとは多少趣きは異なるのかもしれない。

ただ、峠のその興醒めの箇所を下り始めてすぐ、道の脇に古そうな階段道が分岐していて、横道に逸れる形でそこを登ると、諏訪神社の跡があった。
周りは鬱蒼と大木が繁り、広場の真ん中に石の祠の屋根の部分だけがポツンと残されていた。

ここで古の旅人は神社に手を合わせ、峠に辿り着いた安堵と共にこの先の旅の更なる安全を祈ったに違いない。そして、周りの木々は、旅人たちのその姿を幾百年見続けてきたに違いない。
そのことは、十分に感じ取ることができて、脇道に立寄って良かったとしみじみ思った。これで、先ほどの興醒めは完全に丁消しだ。

吉田松陰についてだが、司馬遼太郎の小説では、確か、東北行は友人の敵討ちの手伝いだったと書いてあったように覚えている。
とにかく、無鉄砲の人だったようで、司馬遼らしい言い方で、思想は虚構、それが狂気を伴ったとき世を動かすといった意味の文が強く印象に残っている。

その小説で、最も気に入っているのは、長州藩士村田清風17歳江戸初旅の歌
来てみれば聞くより低し富士の山 釈迦も孔子もかくやあるらん

幕末の長州藩にはこのような気概の若者がわんさといたということなのだろう。

それにしても、今の大河ドラマはまったく面白くない。2回目以降まったく見ていない。諏訪峠の興醒めは、そのことも一因かもしれない。

以上は閑話休題、それはそれとして。
古道を訪ね、そこを歩くのは楽しい。
幾千年、この道を踏締めた人々の汗が地に染みている。そして、自分の汗も、同じその地中に滴り落ちて、悠久の歴史に融けこんだ。間違いなく今自分も、幾千年の歴史の中の一人としてそこにいる。そんな実感が湧いてくる。

もちろん、そんな小賢しい理屈を捏ね回さなくても、木を見、花を見して、あれは何の木、これはなんという花などと、話しながら歩くのが、実は本当の楽しみだ。

妙に葉の大きなエゴノキの花が盛りだった。葉の大きいのが気になって、帰宅して図鑑を見たら、ハクウンボク。
クルマムグラか、クルマバムグラか。これも調べたら「バ」はつかない。ただし、茎に棘がなければ、クルマバソウで、「バ」つき。
やれやれ、これだから植物名はややこしい。
今は、ミズキの花盛り。小正月にダンゴを刺して飾る団子の木は、このミズキか。それにしては、枝が赤くない。
冬になると赤くなるのか、それとも、枝が赤褐色だというクマノミズキが団子の木なのか。
なぞは深まるばかり。そして、興味は尽きることなく広がる。
だから、古道に限らず、山歩きは楽しい。

今回は蛭に喰いつかれる初体験もあった。
他人に吸い付いた蛭は見るからに気持ち悪いものだが、自分に食いついた蛭は、何となく親しみが湧くのか、少なくても気持ち悪さは感じないから不思議なものだ。
もっとも、すぐに摘まみとって踏み潰しはしたのだが。

11:20 標高250m、正面右端に俎倉山、離れて右に蒜場山

ガクウラジロヨウラク   今季初お目見え

12:10 殿様街道の大ブナ
 その巨木の下で昼食 

13:03 送電線の下、からりと刈込まれた道がある

サンカヨウ  どういうわけか日当たりの良い箇所にこの一株だけ

13:15 古の旅人を見つめた大木が立つ諏訪峠・諏訪社跡

13:33 石畳の道  いかにも旧街道らしい雰囲気

13:40 柳田新田の一里塚  傍らを車道が通っている

ハンショウヅル  白花は珍しい?  トリガタハンショウヅルか

13:56 柳田新田の大桂  樹下の人物が小さいこと!!

クルマムグラ  大桂の周囲にびっしりと群れていた
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