綿野舞(watanobu)山歩紀行2017
 
 5月21日 ブナ林に ギフチョウ探す 子らと共
高坪山570.5m  新潟県村上市  地理院地図は→こちら
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関川村公民館主催「高坪山に登ってギフチョウを見る会」のサポートです。最近はもっぱら雪中山行の高坪山でしたが、この時期のブナ林は緑も風も爽やかで、ギフチョウを探す子どもたちと共に一日、緑に染まってきました。登山人が引きも切らず、中々の人気の山だと再認識して来ました。
行程中、靴パカッ発生、その対応策なども末尾にあります。
渡辺伸栄watanobu 
標高450mを越えて山頂への急な登坂に入ると突然、爽やかなブナ林の中にいることに気付く。なぜ突然かというと、急坂で下ばかり見ているからで、歩を止めて深呼吸してふと周りを見渡して、ブナの美林の中にいることに気付くのである。来てよかったと思う瞬間である。
山頂直下は思いのほかの急坂である。それだけに山頂に登りついた時の安堵感は格別なものがあって、ブナの樹々の清々しさが一入身に染みる。高坪山の人気はそんなところにあるのかもしれない。この日も、山頂には少なくない人数の登山人が屯していたし、この後も、いくつもの小グループや団体と行き交った。
山頂を越えて飯豊連峰展望台に続く稜線の道を、ギフチョウを探す子どもたちと共に進む。林間を飛ぶ蝶の影、ギフチョウかと色めき立つ子どもたち。キアゲハだったり、クロアゲハだったり、ほんのたまにギフチョウだったり。そう簡単に現れてくれないところが、いかにも絶滅危惧種らしくていい。
ギフチョウをネットで捕らえたようだ。手では触らない、網の中の蝶をそっと見るだけ。手で触ると翅の鱗粉がとれて飛べなくなるのだと昔Hikaさんに教えてもらったことがある。あれは、新保岳だったかそれとも摩耶山だったか、いずれにしろもう15年以上も昔のことだ。
観察した後はネットからそっと放してやる。ギフチョウは、人懐っこいというわけでもないのだろうが、よく登山人の体に停まる。この日も、体に停まられて喜んでいる子がいた。いや、大人だって喜ぶ。特徴あるこの縞模様、各々の記憶に刻まれたことだろう。
翅の一番外側の縞が内側にくの字に折れ曲がっているのがギフチョウの特徴だそうで、ほぼまっすぐだとヒメギフチョウ。この二種は棲み分けがはっきりしているということで、その境界線の北方は朝日連峰から飯豊連峰を通っているようだ。両者の混生地は境界線上に数か所しか見つかっていないらしいので、もし、二種見分けることができたら、大発見となるかもしれない。
今年の春山登山はもっぱら残雪高山に行っていたので、気がついたら、毎年見ている春の花をあまり見ていなかった。ユキグニミツバツツジはこの日が初めて、ムラサキヤシオはまだ見ていないし、シャクナゲ類も見ていない。この花、おしべの数が5本だとミツバツツジで10本だとユキグニミツバツツジだということも忘れていてた。改めて今、写真で確認するのだが、どうも5本ではなさそうだ。大体がアバウトな私は、新潟県にあればユキグニだろうくらいの見当でいるのだが、いい加減すぎると細部に拘るUnqさんから厳しいチェックが入る。今回はそれがなかったから、多分ユキグニでよかったのだろう。
隊列の先頭を行くUnqさんが最後尾の私を呼ぶ。何事かと駆けつければ、誰かが花の名を尋ねたらしい。その都度答えてきたUnqさんにも答えられない花が出てくると私を呼ぶ。そこで、スラスラと答えれれば大したもんじゃなのだが、それがなかなか出てこない。右の花がハンショウヅルだと出て来るまで3分は要した。左の花は、結局分からず仕舞い。帰宅して樹木図鑑を括って、たぶんカンボクの木の花。尋ねるときは、当方の分かる花だけにしてほしいものだ。
飯豊連峰展望台からは、少々霞んでいたが杁差岳がよく見えた。今はちょうど田植えの季節で、それを知らせる雪形が杁爺(エブリじや)。中央の大きな残雪の中に、黒く、人の形が出ている。こちらから見て右の方を向いて少し腰を屈めて手を前に出した、頭から足先までの全身像。その人物が、こちらから見て右側の手から少し離れた位置に、杁(エンブリ)という名の農具を突き出している。もう少し雪が融けると、爺の手と杁は細く黒い棒でつながる。
杁はグラウンドで使うトンボを大型にしたもので、田植え前の水田を平らに均す道具。杁爺を含む大きな残雪は鯛の頭にも見える。胎内川はタイの川で、この雪形がその名の元とも。
登り始めて1時間もしないうちに、私の登山靴の両足ともソールが崩壊した。いわゆる靴パカッだ。
実は、二王子登山の帰途、Unqさんが靴パカを実際に見たことがないと言い、どう対処したらよいか機会があったら試してみようということになっていた。それで、この日、敢えて8年もので使わなくなっていた登山靴を履いてきたのだった。前日に入念に点検したときは、見た目に異常は全くなかったが、やはりというべきか、靴パカが起きた。
その時のためにと、荷造り用ビニル縄と結束バンドを用意してきた。靴底にビニル縄を回して縛り、その縄を結束バンドで絞めた。それが左写真。この手当で一日難なく歩くことができた。
帰宅後、結束バンドだけでできないものかと、やってみたのが右写真。どうやら結束バンドだけでも臨時の対応はできるようだ。実験の結果は大収穫、今後の対策になる。

ところで、この靴、本格的に登山を始めた8年前に買ったものだが、レクイエムのつもりで少し調べてみた。製品名はTreksta、エバニューの製品。どの山から使ったものだったか、これまでの写真で調べると、2009年9月の月山からだった。それまでは、いわゆるキャラバンシューズと呼ばれた古いタイプの布張りの靴で、確か1983年ごろに買ったものを使っていた。以後、2012年7月の苗場山までは専らこのTrekstaだけを使った。同じ月の鳥海山からはSportivaの靴を購入して使った。それまでの間、近隣の山々はもとより飯豊縦走も大朝日も西穂高もTrekstaで登った。2012年以降も、高山と雪山はSportiva、低山はTrekstaと使い分けていて、2015年5月からSalomonが、Trekstaに代わる。だから、丸6年近く使い込んだことになる。その後2年、ほとんど使っていなかったから、その間に劣化が進んだのかもしれない。
この靴Treksta、実に長くもったもので、ここまで使い込まれたら本望というものだろう。見事な終末というべきだ。とても捨てる気にはならず車庫の棚に陳列してある。1983年のキャラバンシューズもそうしてあるし、履きつぶしたランニングシューズも皆同じ。共に汗した同志たちだ。
Trekstaの後継Salomonは、まだ2年しか使っていないのだが使用頻度が高いこともあるのだろうか、すでにソールが剝がれ始めていて、メーカーに見てもらったところ、経年劣化なので修理は無理との返事。最近のライトシューズは張り直しも効かず、どうやら短期使い捨てということらしい。販売店の石井スポーツさんが善意で修繕してくれたが、保証はし難いとのこと。いよいよ結束バンド帯同の必然性が増している。
靴パカッはいつ起こるか分からない。各々方ゆめ油断めさるな。ご用心ご用心。
 
<コースとタイム> 登山口駐車場で開会式後、8:40発-8:55登山道入口-9:04分岐-9:41休憩展望所(靴パカ手当)10:07-10:51山頂11:07-11:20飯豊連峰展望台(付近の木陰で昼食)12:32-14:26分岐-14:29登山道入口で閉会式14:36-14:47駐車場着、バス乗車
詳しい様子はYouTubeにUPしてあります→こちら
 
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