綿野舞(watanobu)山歩紀行2017
9月24日 天空の嶺から眺む草紅葉 燧ヶ岳 
燧ヶ岳2356m 福島県桧枝岐村  地理院地図は→こちら
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前日と打って変わって大晴天の燧ヶ岳。広沢、熊沢両田代の湿原は一面の草紅葉。池塘に映える青空と白い雲。山頂眼下に尾瀬沼と尾瀬ヶ原そして至仏山。眼前には会津駒はじめ名山がずらり。遠くに日光の山々、赤城山に武尊山、噴煙の浅間山、谷川岳など上信越の連山、越後三山。IkeさんもUnqさんも燧は初めてとのことで、感動しきり。私にとっては7年ぶり、山頂の賑わいも眺望も変わりなくそこにあった。
渡辺伸栄watanobu
広沢田代にさしかかった頃、真東の目の高さに光を見せた太陽が、長い湿原を歩く間に徐々に高度を上げた。夜は完全に明け、湿原の中央部に点在する池塘に青空が広がる。
急登の段差を越えて二段目の湿原・熊沢田代。長い木道が続き、その先に燧ヶ岳の本体がそびえる。
 
朝日を背にして西を見れば、広がる草紅葉の先に平ヶ岳。その右に越後三山の中ノ岳と越後駒、右端は荒沢岳か。
朝日射す東側は去年登った田代山の方向だが、地図を見ても馴染みのない山名ばかりで同定は難しい。下山後カシミールの地図を見れば、太陽の真下の山が帝釈山のようで田代山はその後陰になっているようだ。その右に続く山々は会津と日光の境界の山々。
山頂間近、標高2220m付近から。足下に熊沢田代、その先に会津駒ケ岳。その右彼方に微かな山並が見えて那須の連山かと思ったが、後日カシミールの地図で同定すれば、あの方角は安達太良や吾妻連峰だったかもしれない。那須は、この画面を外れた右の方角で、意外と近い。
燧ヶ岳山頂双耳峰の一つ爼嵓の頂から、眼下に尾瀬沼。その先に男体山、日光白根山。7年前の9月26日と変わらぬ光景。ただ、写真を見比べると紅葉は今年の方が少し進んでいるようだ。あの時は、沼の畔・長蔵小屋に泊、長英新道を登って下りは今回と同じ御池コースだった。
俎嵓には二等三角点があり2346.2m。双耳峰の一方柴安嵓は2356m。9.8mの違いで、柴安嵓が燧ヶ岳の山頂とされている。ただ、ここ俎嵓に祠があって柴安嵓にはないことからすると、桧枝岐村住民の平野長蔵が信仰のために開山したという当時は、ここが山頂だったのかもしれない。後方遥か遠くに日本海の水平線と米山が微かに見えたような気がしたが、誰も認めてくれなかった。
山頂・柴安嵓から、尾瀬ヶ原とその先に至仏山。これも7年前と変わらない光景。至仏山の後方は谷川岳と上越国境の山々。左は武尊山。至仏と武尊のちょうど真ん中遠くに、噴煙を上げる浅間山が見えた。左端に一部見えるのは赤城山。武尊の後ろに子持山が顔を出していた。7年前と違うのは、こうやって周りの山々と親しくなったこと、それだけ年季が入ったということだ。
賑わう山頂。隣の二等三角点に負けないようにか、一等三角点よりも立派な山頂碑が立っている。撮影者のUnqさんが立っている岩が最高点で、北海道を含む東北以北の最高所というのがこの山の売り。何事にも付加価値をつけたがるのは人間の常だが、この山の価値は、高さで競わなくても十分にある。後ろは平ヶ岳と中ノ岳、越後駒、荒沢岳。左奥に巻機山か。
 
下山途中、見事に燃えるナナカマド。紅葉が早いということは、今年の冬は早いのかもしれない。
熊沢田代まで下りてきた。名残を惜しんで振り返れば、草紅葉も木の紅葉も朝より一段と鮮やかさを増したようだ。まだ11時になったばかり。これまでになくハイスピードのピストン、2週間後のフルマラソンにちょうど良い足鍛錬にはなった。
<コースとタイム>  御池駐車場発4:50-5:46広沢田代-6:29熊沢田代-7:54爼嵓8:10-8:28柴安嵓(燧ケ岳山頂)9:50-10:04爼嵓10:14-10:59熊沢田代-11:37広沢田代-12:24御池駐車場着
確か桧枝岐村に何とか姫の伝説とその銅像があったはずと、7年前の朧げな記憶を前泊のバンガローで話した。帰路、それがあったはずの駒の湯に寄ったが、影も形もない。二人の前でしどろもどろ、さては他所の記憶と混在したかと自信喪失。帰宅して画像を調べたら確かにあった。1日目に観光案内所に寄って、そこで撮ったのがこの写真だった。なんのことはない駒の湯のすぐ隣だったのだ。
 ここで紹介しきれなかった画像をYouTubeにUPしてあります→こちら
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