綿野舞 watanobu 山歩紀行 2008.5.16 平林城址(要害山) 
標高287m 新潟県村上市   

山頂から、荒川河口 
    往時は、塩谷、海老江の港への出船入船がよく見えたことだろう
 

この日、旧神林村葛籠山(つづらやま)集落の奥に入り、山麓にある国指定史跡・平林城跡を見学した。文化財担当の行政関係者が史跡を見分するというので、それに同行させてもらったのだった。

ここは、阿賀北の国人領主色部氏の居城があったところで、城館の跡が空堀、土塁、曲輪などで見ることができた。

その後、二の丸跡からのびている山道を辿り、要害山を目指した。

要害山には、色部氏の詰めの城、つまり戦時用の山城があった。

どこの山城跡も、木々が生い茂り、見晴らしが今一効かないところが多いのだが、ここは、よく刈払われていて眺望が実によかった。

色部氏の領地は、旧神林村と粟島になるのだが、山頂からはその領地が一望の下に見渡せた。
それだけでなく、荒川左岸の平野部が遠く新発田・新潟方面まで見渡せたし、村上城、猿沢城、大場沢城など、隣の本庄氏の領地状況も把握できる地勢にあった。

まさに自陣、他陣の状況が手に取るように分かる。実に、山城は、適地を得て築くものだと、感慨に浸ったものだった。

要害山からは朴坂山へと続く山道があり、低山ながら稜線歩きが楽しめるコースらしいのだが、この日は、午後からの行動のせいもあって、要害山を越えてすぐそのコースを外れ、川部集落への道を下山した。

いつか、その稜線歩きを楽しみたいと思いながら、今日までその機会はない。
          (2013.11.18記)




遠く粟島  色部氏の領内が一望の下
 

貝附の狭戸
 荒川の渡船も、舟が上下する川そのものも、重要な交通路だったはず
 
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