綿野舞 watanobu 山歩紀行 2009.9.19 月山 |
||
標高1984m 山形県鶴岡市 | ||
昔、一度この月山に登ったことがある。 あれは確か昭和50年代も初め、30歳代の頃だったと思う。 そのとき、学生時代に北海道一周自転車旅行で使った白灯油のラジュウスを持って行って、山頂で湯を沸かそうとしたような気がする。目詰まりしたのかポンプがイカれていたのか、どうにも使い物にならなかったようだった。 そんな失敗を、実は自分ではよくは覚えていないのだが、そのとき一緒だったTomoさんは、その後もずっと、このときの不始末を「月山ラジュウス事件」などと大袈裟に呼んでいるようだった。 まだ若かったせいだろう、ズック履きのハイキング気分で、平らな山道を歩いたような思い出が残っていて、山に登ったという意識はほとんどなかったような気がしている。 その月山に、この日、Haseさんの呼びかけでYoko長老と3人で出かけたのだったが、結構汗をかく登りもあって、昔来た時こんなに登るところがあったかなと、30年の歳月と体力差・体重差をしみじみと思った。 それはともあれ、9月のこの時期、紅葉にはまだ早いだろうと来る途中の車の中で話していたのだが、案に相違して、仏生池の辺りから上は真っ赤に燃えた紅葉が広がっていた。 稜線を辿る登山道、谷から湧き上がる雲、燃える紅葉、実をつけ始めた高山植物、それらが皆、素直に、あーいいなーと胸を打った。心に染入った。 30年前の若い頃、そのような感動は起きなかったようだ。もし起きていれば、その後も山登りにのめり込んでいたかもしれないが、幸か不幸かそうはならなかった。 不思議なもので、同じものを見ても、胸を打つかどうか、心に染入るかどうかは、年齢によって、そのときの置かれた状況によって、異なるのだと思う。 山は、ある程度年をとって、気持ちに余裕ができてから登るのがいいのかもしれない・・・あくまでも自分の場合は、ということだが。 ところで、月山の三角点は、神社裏手の目立たないところにあって、登山コースからは少し離れているため、そこへわざわざ寄る人は少ないらしい。 Yoko長老の、確かこの辺りにあった筈だという案内で、山頂神社の裏手の三角点を探した。一等三角点の大きな標柱だった。 国土地理院の2万5千分の一地図を見ると、月山の山頂は1984mで、三角点の標高は1979.5mとある。 三角点は山頂に立つもので、三角点のあるところが山頂とばかり思ってきたが、どうも、そういうものでもないらしい。 あ、そうそう。このとき、実は、一つの課題をかかえていて、Haseさんがいうには、折角来たのだからその課題解決を月山神社にお願いしたらいい、イヤすべきだ、ということで、神主さんにお願いして祈願祈祷をしていただいたのだった。 結果として、その祈願は叶えていただけなかったのだが、その後何度も山に登っていてしみじみ思うのは、神は確実にいる、存在するということ。 直感的にだが、これは確かなことだと、山にいると思えてくる。 ただし、その神の存在は、はるかに大きすぎて、瑣末な人間の些少な願いごときにいちいちの頓着などしてはいないということ。これも確かなことのように思う。 その遥かに大きな存在である神と意思の交流を図ろうとするのだろうか、この日も白装束に身を固めて山道を急ぐ一団に出会った。 何度か山に登っていると、我が国古来の山岳宗教の意味が、少しは分かってくるような気がする。ほんの少しだとは思うが。 |
||
― ページのTOPへ ― |