自給自足を理想としながらも、趣味の域を決して出れない
    
綿野舞watanobuの
畑作記 2011
 7月3日 ネギ苗の植付け

草ぼうぼうになっている畑で、まずOkkaaが草をとり、私が畝を立てる。その後、Okkaaが肥料を撒き、その後に長ネギの苗を1本1本植付けていく。他所では畝に苗を寄せ掛けていくが、我が方は、畝の真ん中に垂直に立てていく。このやり方で、去年は自慢のネギができた。今年も自信を持って、この植え方でいく。
 
こんなふうに、垂直に立てて植付ける。 最終的には、3畝半の苗を植付けた。
去年、あまりにうまくできたので、今年の作付けは、去年の倍近い。欲張っている。
 
その間、私は何をしているかというと、残った畑の草取り。左の写真のように、里芋と八頭が草に埋もれているのを右の写真のように助け出す。
右上の写真は、本日の最終場面、出来上がり図。向こうにJR米坂線、その向こうに荒川がある。
ところで、草取りと言えば、子供の頃、畑の草取りほどいやな手伝いはなかった。この広さの草を取るのかと思うだけでやる気を失った。
それがどうだ。今では、全く苦にならない。草を取りつつ、時々、後ろを振り返ると、まつろわぬ者どもを平らげたかのような気分になる。やっただけの成果が、すぐ後ろからついてくるから、気分がいい。

年をとるとは、案外、このようなことなのかもしれない。

草を取りつつ、ふと思ったのだが、太古の大和朝廷がなぜ、あのように辺地に柵(き)を設け、柵戸(きのへ)といわれる人々(いわば屯田兵)を送り込み、僻遠の地を皇化に浴せしめようとしたのか。そのエネルギーの元は、案外、まつろわぬ者どもをまつろわせたいという、単純な、いわば草取りに近いような人間の志向性なのかもしれない。などと、草取りをしながらも、全く別なことを考えているのだから、なかなか、飽きるということがない。

  前の日、私が西吾妻に登っている間に、Okkaaが玉ネギを収穫した。
ジャガイモでも、大根でも、長ネギでも、玉ネギでも、収穫はいつもOkkaaの仕事
屯田兵が、まつろわぬ者どもを平らげた後、利を吸い上げるのは別の人、この構図は太古の昔から変わらない。

それはさておき、今年の玉ネギもよくできた。大きくてしっかりしていて、売り物になるくらいだと自画自賛している。
どうも、ネギものは、手抜き畑にあっているようだ。
なにせ、月に1度しか行かない畑なもんで。