自給自足を理想としながらも、趣味の域を決して出れない
    
綿野舞watanobuの
畑作記 2011
  
  7月24日 ジャガイモ収穫   

私、掘る人、この人、集める人

今年のジャガイモも、無事収穫できた。

正確に計量したわけでなく、ざっとの目分量であるが、
5キロの種芋から、50キロは収穫できたように思う。
約10倍の収量となる。

定年帰農10万人と言われて久しいが、今はどうなのだろうか。
できれば、自給自足でいきたいと思い描いて始めた畑作りだが、10倍の収量があれば、ジャガイモに限れば、年間消費量を自作できたことになるのではないだろうか。

チュー害で、およそ畑の半分近くが食害されていたので、これを防げば、20倍の収穫となったはずである。が、仮に100キロの収量となると、年間必要量を超えているように思える。つまり、作り過ぎということだろう。
自給自足経済では、販売ということは、想定していないのだから。

もっとも、畑作物は、ジャガイモに限らず、知人にあげて食べてもらうことも楽しみの一つではある。
ということになると、自給自足を通り越して、趣味の畑作ということ以外なにものでもなくなる。

つまり、我が家の畑作は、趣味の範疇になってしまっているのだ。

ところで、この日は、暑い日だった。
炎天下、日照り続きで、カンカンに乾いて固くなった畑を鍬ですきおこし、イモを掘り、さらに掘り取った後を、畝立した。おまけに、終わってから、周囲の草を刈り払って、まあ、周りのおばあちゃんたちの畑と見劣りしないぐらいのきれいな畑にした。
そんなこんなで、かなり消耗した。

飯豊の山歩きよりも消耗したようだ。
午後からは、ぐったりして、昼寝して、続けて夜寝してしまった。軽い熱中症だったのかもしれない。

こんな思いをして、これで、趣味の畑作などといえるのだろうか。
何か複雑な思いで自問自答している。

とはいえ、このジャガイモ、味はピカイチである。
ゆでてバタジャガにしても、細切りにして炒めポテトにしても、天下一品の味だと、作り手は思っている。

つまりは、自分で作って、自分で食べて、自分で悦に入っている、これが、自給自足の畑作の正体なのだ。

よく来る八百屋さんに、「うちのジャガイモも売ってくれない?」と頼んだら、「うちのイモより味が落ちるからダメ。」と一発で断られた。
食べてもいないくせに。みんな、誰もが自分のイモには自信があるんだ。プロもアマも。

メイクイーン

男爵
 
     
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