自給自足を理想としながらも、趣味の域を決して出れない 綿野舞watanobuの 畑作記 2011 |
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11月2日 タマネギの植付け サトイモの収穫 | ||||||||
タマネギの植付け時期がきた。 ふかふかのベットを作るのが私の仕事。 まずは鍬をふるって、幅1メートルほどの溝を掘る。 Okkaaがそこに肥料を撒く。その上に私が堆肥を入れる。 堆肥といっても、夏草を抜いて柿の木の下に積んでおいたやつだ。 ほとんど土に還っている。 その元草だった土を一輪車で運んで、溝に撒き散らす。 そして、薄く土をかける。その上にOkkaaがもう一度肥料を撒く。 そうしたら、溝の両脇に掘りあげておいた土をかぶせてベット作り。 今日は11月に似合わない小春日和。ここまでで大汗をかいた。 さて、できたてのふかふかベットの上に、Okkaaがタマネギの苗を1本1本植付けていく。 ベットが少し余ってしまったので、苗を追加で調達しなければならない。 次に、サトイモの収穫。 スコップで一株ずつ掘り起こしていく。 それにしても・・・と、驚くのは、サトイモ1個の種芋からできたその株の大きさ、子芋の数。 これが土(ベト)の生産力かと、改めて驚くばかり。 畑に、草が生えるわけだ。 土(ベト)が、これだけの生産力をもっているんだもの。 草が生えて当然。あの、夏の草の勢いをいまさならがら思い出す。 あれだけ草を生い立たせる生産力を土はもっている。 だから、その力を借りて、こうやって、人間が食料を作っていけるというわけだ。 初めて、この土(ベト)の生産力に気づいて農耕を始めた人(人々)とは、どこの人か。メソポタミアか、インダスか、ナイル河畔か、それとも黄河流域か。はたまた、我らが縄文の祖先か。 などど、たわいもないことを思いながら、サトイモの塊を見る。 隣の列を見ると、聖護院蕪も大きくなってきた。 抜こうとしたら、Okkaaが「まだまだだ。」と言う。 もっと大きくする気らしい。 それで間引きをした小さな蕪が夕食の味噌汁の具になっていた。 最後に、柿の木の話。 前回(10月23日)130個の柿の実を収穫できたと紹介したら、友人のH・Hさんから、その柿の木の、その後も知りたいとメールが来た。 実は、この柿の木、幹の直径が20cmに満たない若木。 だから、130個でも上等の収穫の部類。 その後、山林の柿の木を収穫したが、こちらは幹の直径が40cmはあるかという老木で、収穫した実も600個はあった。もっとも、この柿の木、生らせ放しで摘果もしないから、隔年で実をつける。今年は生り年だったようなのだが。 さて、畑の若木だが、前回、実を収穫した後で、ついでに剪定をしてしまった。本来は12月ごろが適期とされているから、少し早かったかもしれない。 来年どんなふうに芽をつけるか、楽しみでもあり、心配でもある。 形だけは、こんなふうに手で収穫できる程度の高さで一応収まっている。 山林の老木も、今月中に剪定したいと思っている。こちらは枝が伸び放題、かなり切り詰めてやらねば。 いずれ、HPで紹介しますので、H・Hさん、また見てくださいね。 ついでにもう一話 130個の柿の渋抜きが終わって、その一部を京都のMargoに送った。今日届いて、「おいしくて、たまらなかった」と電話がきた。 別箱で一緒に送った長ネギも、さっそく煮て食べたとか。 ネギはきらいだけど、ばーちゃんの作ったネギなら食べるとか。 新潟にまた行きたいとか。 泣かせるMargoだ。 |
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