2012年1月~2月 豪雪の中で
1月24日 所用で福井へ。北陸は雪がなく、福井城の石垣の下には、越前スイセンの花が咲いて、春を思わせた。
車窓から遠く、加賀白山が真っ白に輝いていた。
昨秋、あそこに登ったと思うと懐かしく、また、にわかに身近な山に感じる。
旅先で、新潟は雪で大変ですねなどと見舞いの言葉を戴いたが、帰ったその晩から北陸3県も大雪に見舞われたようだ。
あのスイセンの花はどうなっただろうか。 
帰ってみれば、人ごとでなく、我が方こそ大変なことになっていた。 
1月28日、29日と、折角のスキーの誘いも断って、屋根の雪下ろし。積雪は、スコップの長さを更に20センチも超えていた。
塩ビの波板で樋を作り、その上に雪を流して、ピンポイントで狙った箇所に落としていく。
下層の雪は、1月20日前後の暖気で一度融け、それが凍って固まったものだから、ずっしりと重い。
まるで雪掘りでなく、氷はがしの状態だ。
2階の屋根に上がることなど、このとき以外には滅多にないことだから、カメラを持って上がって、写真を撮った。
中央彼方に見えるのが丸山。形のいい山だが、どういうわけか、登山道はないらしい。
右の写真の杉木立は上関城址のある通称お城山。更新をすっかりサボっているが、「北越後上関城四百年物語」の舞台。
それにしても、2階の屋根の上は、さすがに怖い。
それでも、雪下ろしが終る頃にはすっかり慣れてくるから、人間の感覚というものは不思議なものだ。
29日の午後は猛吹雪。2階の屋根に立ったら吹き飛ばされそうになって、雪を片面残して中止。残りの作業は1月31日に持ち越してしまって、3日がかりの作業となった。 
雪下ろしは、実は、下ろした後の方が大変で、竹デッキなど、雪がなだれ込んですごい状態になってしまった。
雪の当たりそうな窓は、臨時に板を立てかけてガラスの破損を防いである。
さし当たっては、通路を妨害している雪や、竹デッキの雪などを排除しなければならない。
雪を片付けて、2月3日には、名古屋に。
当地は、6年ぶりの降雪ということで、大変だったらしい。
でも、私に言わせれば、雪はどこにあるのかな?状態。金のシャチホコは、日に輝き、ゆるキャラの「はち丸」は、ぞうり履き?だった。
それでも、関ヶ原方面の積雪は尋常でなく、新幹線ダイヤは、かなり乱れていた。
帰りの東海道新幹線からは、富士山が良く見えた。
ところが、新潟へ帰ったら、豪雪で在来線は全面ストップ。
そして、我が家はというと、まるで雪に押しつぶされそう。別世界、この落差。これが現実。
さあ、また翌日から雪との格闘。 
削って、掘って、運んで、その繰り返し。
テレビで五体投地で進む巡礼を見たが、スノーダンプでの排雪はあれを思い出す。
1回ごとにスノーダンプの長さだけ、作業が進んでいく。ひたすら繰り返す。やがて、確実に雪は片付けられ、きれいな壁ができる。もはや、達観、諦観の境地。スノーダンプは、ぼろぼろなった。 
本日2月19日は、カンジキを装着しての排雪作業。これは登山用のワカン。
滑らなくて、ぬからなくて、作業がしやすい。
長靴もたびたびの除雪作業で傷んでしまって、インナーブーツ付きの高保温靴に買い換えた。
本当のところは、今月末に高坪山で雪中トレッキングを予定している、その予行練習。
豪雪を嘆いていても始まらない。折角の雪、楽しみに変えよう。 
 
 
荒川沿岸の風物、旅の出会など、折々に綴る 綿野舞watanobuの 風物記