荒川沿岸の風物、旅の出会いなど、折々に綴る          
    
綿野舞watanobuの
風物記 2013  
   2013年3月28日~4月1日 Margoを訪ねて三千里
                   その途中の立寄り参拝


3月28日 京・知恩院友禅苑のシダレザクラ 静寂の中で盛る花

京・円山公園  喧騒の中で盛る花

 それほど信仰心が篤いわけでもないのだが、昔から、ドライブの行き先はどういうわけか神社仏閣になってしまう。
 今は大人になった子どもたちも、「子どもの頃は神社仏閣しか連れて行ってもらったことがない」などとぼやいている。
 で、今回もやっぱり、神社仏閣めぐりになった。
 往きは、Margoが学童から帰るまでの時間調整で、知恩院から八坂の辺りをうろついて過ごした。
 京は、ちょうどの花盛り。
 去年のこの時期は、まだ桜の開花前だったから、今年は早い。
 名所の桜は、それはそれでもちろんいいのだが、Margoの家の近くの公園の桜が満開で、その花の下で半年振りに遊んだことの方が、はるかにいいことだったのだが、画像掲載は控えた。
 帰路は、高野山から熊野をまわってみた。駆足の高野詣、熊野詣になったが、季節外れなのか時間外れなのか、思いの外静かで、どこも心地よい時間の中を歩くことができた。
 高野山へ向う山道で雷鳴が轟いて、助手席のOkkaaいわく「初めての高野さんが歓迎してくれている」
 なんともはや、ものは考えようとはこういうことをいうのだろうか。
 大門の庇から滴り落ちる雨水には、たしかに、静寂さを自乗したような風情があった。またそれを言う・・と、Haseさんの突込みがきそうなのだが、雨もまたよしか。
 それにしても、高野山で感じたあの包み込まれたような穏やかさは、いったいどこからくるのだろうか。
 半年くらい前に司馬遼の「空海の風景」を2度目の読了していたこともあるのだろうか。それにしては、一度も読んでないOkkaaも同じ気分に包まれたというから、司馬遼の書物のせいでもなさそうだ。なんだろう。
 これがパワースポットのもつ不思議さか。だから、神社仏閣はやめられない。
 熊野は静寂で、ひたすら厳かだった。
 古道を駆け歩く修験の姿をありありと想像できた。自分もいつか辿ってみたいという思いが強く湧いて、せめて熊野の山に登ってみたいと、秘かに企んでいる。
 翌日は、順調に進んだので、信州あんずの里によってみようかということになって、途中、観光案内所に電話を入れたらなんと「今日、咲きました」という答え。
 こりゃあ寄らずばなるまいということで、途中下車。
 あんずの里は、いつ来ても、ほのぼのとした桃源郷。
 人懐っこい小父さんが一人、寄ってきてOkkaaと話すこと話すこと。「毎日この丘に来てあんずの里を眺めているが、今日みたいに白馬、高妻の山がくっきり見える日は年何回もない」と言う。
 小生、望遠レンズを構えてカシャリ、カシャリ、「いやー、いい写真が撮れましたわ」などと言ったものだから、「そうだろ、そうだろ」とうれしそうにして、いっそう話が止まらない。ご自慢の景色らしい。
 ふるさとを愛するというのは、こういうことを言うのだろう。
 私自身、信濃路から見る山々はいつ見ても、どこから見ても惚れ惚れするのだが、とりわけ残雪の輝くこの時期の姿は格別。そのうえ、アンズの花の間から遠望した高妻山、白馬岳は格別以上の格別もの。
 その人懐っこい小父さんいわく、「こんなに山がくっきり見えると、明日か明後日は必ず雨だ」と。翌日、そのとおりになった。郷土愛は天気予報にもつながるのか。

 信州、いつ来ても、様々におもしろい地ではある。       

京・八坂の塔
艶やかに振舞う花二輪

3月31日 高野山奥の院
巡礼姿の二人、静かに行く 

高野山大門の庇から 静かに滴る音

祈りの道 熊野古道

那智の大滝 圧倒的な荘厳さ

4月1日 朝の伊勢湾岸道をひた走る

信州・アンズの里 花の間に高妻山 

アンズの蕾の間から白馬