荒川沿岸の風物、旅の出会いなど、折々に綴る      
    
綿野舞watanobuの
風物記 2013  
    2013年8月16・17日 足の向くまま気まま旅

8月17日 身延山に上がったら北岳が見えた。正面の富士見山の左奥、北岳と間ノ岳、農鳥岳の白峰三山・・・先日歩いたばかりの3000m超の高峰。予期せぬ遭遇、これが足の向くままの旅の楽しさ。因みに、富士見山の手前は早川渓谷で、糸魚川-静岡構造線(フォッサ・マグナ)の一部とのこと

8月15日、Margo一家を送って京都へ。翌16日は五山の送り火。(大文字焼きと言ったら、Margoの親曰く、京都ではそう言わない、と。続いてMargo曰く、旨そう、それ食べたい。)
で、その送り火を見物するつもりで行ったのだが、京都の暑さには閉口、夜まで待てそうもなくサッサと退散。
さて、どこへ行こうか。

ふと思いついたのが富士山。
あの日本最高峰を最低地点から見てみようと、三保の松原まで、伊勢道経由東名で走った。
着いたのは夕方、富士はまったく見えない。

羽衣の松は、二代目との表示。
初代が枯れて、隣の枝振りのそれらしい立派な松を二代目に指定したらしい。
隣の松が、天女が衣をかけた松の二代目???、子松というのなら分からぬでもないが、何かピンと来ない。
さも感心したようにつれ合いの人に説明していた観光客の方は、ピンと来ていたのかどうか。

それはともあれ、こうなると見えない富士が、いっそう見たくなる。山梨側へ回ったらどうだろう。
地図を見ていたOkkaaが、それなら身延山に寄って行こうと言う。

Margoの送迎では、本来なら、立ち寄り登山をすることにしていたのだが、今回は、槍ヶ岳に北岳と大所を歩いた後で、ちょこまかとした急ぎ登山をする気にならず、Okkaaの観光に付き合うことにしていた。
それで、やっぱり神社仏閣巡りになってしまった。

身延山に着いて、まずは久遠寺に参詣。287段あるという急階段を登る。北岳以来久しぶりの登り、どうも足が喜んでいるらしい。困ったもんだ。
下りに数えたら、292段だったのだが、どこかで間違えたのだろうか。

朝の久遠寺は、当番僧の方が境内の清掃中で、交わす挨拶も、どこか清々しかった。堂内からは朝の勤行だろうか読経が響き渡り、蓮の花が厳かに咲いていた。
友人のMaruさんは日蓮宗の僧職で、我が家とは宗派が異なるのだが、私の葬式には読経してくれる約束になっている。そんなこともあって、久遠寺の朝は、どこか親しみが深かった。

参詣後、標高1153mの身延山頂へはRWで上がった。

山の上に出ると富士がチラリと見えた。が、すぐに雲がかかって見えなくなった。

山頂のお堂の裏の展望台へ。
説明板にしたがって展望すると、なんと北岳が見える。
先日歩いたばかりの3000m超の南アルプスの峰、ここで眺めるとは思ってもいなく、う~ん、あそこのあの峰を歩いた・・・現実感がない。

ふと見ると、山並の説明板の隣に、詩の板があった。

何ともなつかしい。すっかり忘れていた。
高校を卒業した年の夏、飯豊へ行こうとして大石西俣から入山、台風情報で結局、丸森尾根を下山途中日暮れてビバークしたあの山行きの背景に、確かこの詩があったはずだ。
今となっては、何か、気恥ずかしい気さえする。こんな歳の頃もあったということだ。
あれからずいぶん長い旅をしてきたような、ついこの間だったような・・・。

北岳といい、この詩といい、予期せぬ遭遇、だから足の向くままの旅はおもしろい。

下りのRWの中で一瞬雲の晴れた富士を見て、この後、本栖湖できれいな富士を見て、さらに、鳴沢村の道の駅でしばらく富士を眺め、河口湖のカチカチ山ではすっかり雲に隠れて見えず、このようにして今回の富士の追っかけ旅は終了したのでした。
          
北岳にズームイン
 今も大勢の登山人があの峰を歩いているのだろう

身延山RWからの一瞬の富士
  この日は霧に隠れている時間が殆ど

久遠寺の階段 287段との説明書
  数えると292段ありましたが? 

久遠寺境内の蓮の花  お寺の蓮は厳かです

身延山から本栖湖へ
 いかにも観光地ぽい写真になりましたが・・・ 

最後は三ツ峠山の麓、河口湖 六角堂がこんなに陸上がりして 

前日の16日 三保の松原 最低地点からの富士を見たかったのだが、羽衣の松は二代目だとか、天女がいかにも衣をかけたような枝ぶり

こちらは、Margoを迎えに行った8月10日に立寄った長浜城
天守からの琵琶湖