荒川沿岸の風物、旅の出会いなど、折々に綴る      
    
綿野舞watanobuの
風物記 2013  
 2013年10月19日 京都四条界隈街歩き

築地塀が目に付いて入ったら、そこは六角堂  お堂の横に十六羅漢の像が配置されていて、その表情といい仕草といい色といい、なんとも気に入って、何枚も何枚も写真に撮った

左の邪鬼がまたいい、仏教を信じないひねくれ者だとか


この日の京都街歩きもYouTubeにUPしてあります。

こちらから、ご覧ください。 

Margoの運動会は雨天でお流れとなった。
学校は通常授業ということで、Margoは登校していった。

所在無く、Okkaaと二人、Margoの下校まで京都の街をふらつくことにして、電車で祇園四条へ出た。

いつもは車で出かけてゆく京の街、目的地以外は通過点になってしまう。
今日は、これという目的地はなく、修学旅行生に混じって、四条界隈の繁華街をふらりと歩いてみる、それも悪くない。

こうやってふらりふらりと無目的に歩いてみると、京の街は、新旧入り混じった実に面白い町だ。 

予期もせず1928ビルに出くわす。昭和3年のビルが建っていて使われている。それだけ地盤がしっかりしているということか。
さすが千年の都だけのことはある。

錦市場で鰻の肝の煮付けを立ち食いした。これは珍品、旨かった。
別の店で、何とか牛の肉とタマネギをぎゅっと詰め込んでフライにしたという串刺しを6個もパックに押し込んで450円で売っていた。
これは安いと喰いついたら、ほとんどが分厚い小麦粉の衣だった。
京都は油断がならない。
何せ、千年も争乱の中で生き抜いてきた街だから。

権太呂という妙な名のソバ屋に入ったら、ちょうど正午で満員だった。断られるかと思いきや、3階へ案内された。誰もいないフロアで静かに過ごした。その後2組上がってきたが、いずれも静かな人たちだった。
1階の喧騒とは大違いだった。

接客のお姉さんが、これまた親切な笑顔で、ニシン蕎麦が食べたいと言ったら、今日は、マツタケと何とかの炊き込みご飯がお勧めですみたいなことをおっしゃる。
メニューを見たけど、そんなお品書きはなかったような気がするが。

とにかく、こっちは、京都の町に出たらニシン蕎麦と決めている。

そのお姉さん、気持ちのいい笑顔でニシン蕎麦を運んでくれた。
その美味しかったこと。

それに、帰るとき、そのお姉さん、3階のフロアの上がりがまちまで見送りに出てくれて、靴べらは出してくれるは、なんともはや、たった千円ちょっとのニシン蕎麦の客にこんなに親切にしてもらって、料亭に上がったような贅沢な気分に浸った。

京都では、ときには油断をしてもいいようだ。
何しろ千年も王都だった街、人品が気高いようだ。

弥次さん喜多さんがいたと思えば、出雲の阿国がいて、弁慶が出てきたと思えば、吉村寅太郎が出てくるというぐあいで、京の町は歴史のごった煮。
それもそのはず、千年の都、争乱の巷、歴史の中心地。
訪ねる人を飽きさせない魅力をもっている。

祇園四条の通り
春、向うの八坂神社の前に立ってこの通りを見た
確か、この通りを歩くのは高校の修学旅行以来ではないだろうか

四条通の交差点 いつもは車で素通りする道、今日は歩道から見る 

新撰組隊士が飲み歩いたような祇園の小路 ガタガタと下駄を鳴らして、向うのほうに隊士が駆け抜けていったような

いつもお世話になっているTHE NORTH FACEの山道具を売る店も、京都ではこんなふうに京都風

その近くには、伝統の扇を扱う店 こちらは当然京都風 最先端の山道具を売る店とほとんど違わない店構えが面白い

三条大橋のこの擬宝珠の刀傷跡は、池田屋騒動のときについたものだとか  本当だろうか、などということは京都ではどうでもよいこと
   
高瀬川が流れるこの橋の袂で、佐久間象山が切られ、大村益次郎が襲われたという  歴史ドラマで何度も見聞きした出来事がここで起きた そんな血なまぐさい現場を眺めながら、悠長にコーヒーを啜る