北越後関郷 上関城 四百年物語 補足 1
第1章 はじめに  に関わって


1 His story 語源説に関して

  ウキペディアには次のようにあります。

 語源俗解については、多くは似た発音のと結び付ける安直で歴史的な史料に信頼できる裏づけが求められないものであり、異分析が頻繁に見られる。英語では、アスパラガス (Asparagus) がスパローグラス(Sparrow-grass,「が食べる草」の意) に由来するという俗説や、ヒストリー (History, 歴史)がヒズ・ストーリー (His story, 彼の物語) に由来するという俗説が有名である。
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E9%96%93%E8%AA%9E%E6%BA%90  参照           
             
 ただ、ネット上には、「HistoryもStoryも、歴史の語源Historiaから派生したもので、意味は近い」ということを述べている方もいるようです。


2 歴史と物語について

  暁教育図書「人物探訪 日本の歴史20 日本史の謎」(昭和51年刊)に、興味深い鼎談が載っています。
  ほんの一部ですが、抜粋してみます。

海音寺潮五郎(作家)
・「歴史は解釈であると私は思っています。」
・「ですから、極言すれば、歴史は文学だとも言えましょう。ぼくはよく、左丘明(さきゅうめい)、司馬遷(しばせん)以来歴史は文学なんだよと言いますが、・・・・」

尾崎秀樹(文芸評論家)
・「明治期までは歴史家が歴史記述者であると同時に、歴史の研究家だといった両面を兼ね備えた人物が多かったですね。」

奈良本辰也(歴史家)
・「歴史は叙述された歴史であるかぎり、ある意味では書き手のきわめて厳しい主体と激しい情念の産物でもあるわけですよ。」



  もちろん、物語だから事実を曲げてもよいということにはならない。鼎談で尾崎は次のように言っています。

「歴史家は在るものでしか語らない。ところが、本来は歴史家も在ることと同時に、あり得ることまでを含み込んで語るのが歴史家なんですね。作家は、あり得ること、あり得ただろうことまでも含み込んで、限られた材料の中からイメージをふくらましていくわけですよ。もちろん、単なる嘘を書いているわけじゃない。嘘を書く人は歴史作家ではないんです。」


 「上関城400年物語」は、この3人の言葉を大切にして記述していきたいと考えています。
 もとより、筆者は、歴史家でも歴史作家でもなく、先達の書かれたものを楽しく読み漁っているだけの巷の歴史愛好家の一人にすぎません。ですから、何も大げさに大上段に構える気は毛頭ありません。ただ、先学が究明された史実と私なりの推測は、明確に区別していくことを基本にしたいと考えています。


3 上関城と三潴氏について

 物語を鎌倉幕府のはじまる頃から戦国時代が終わりかけるまでの400年としましたが、上関城や三潴氏に関する史料は数少なく、歴史的事実は不明な部分がほとんどです。ですから、故高橋重エ門先生はじめ先学の方々の研究成果を借りながら、空白部分は大胆な推測で埋めて物語を紡いでいくことになります。
 

 なお
、三潴は「みずま」と読むのが一般的のようですが、上関城主三潴氏は「みつま」と名乗っていたようです。現在もその家系の方々は「みつま」を名乗っておられます。

 さて、中世史のおもしろさは、史料が少ないがゆえに、推測の余地が大きいことにあると言う人もいます。事実を曲げるのではなく、嘘八百を並べるのでもなく、しかし、大胆にダイナミックに地域の中世史が描き出されればおもしろいのだがと思っています。
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