只管走記   ただひたすら走るの記   2015 

楽に山に登りたい一心で始めたスロージョギング
それがいつしかランニングになり
去年からはレースに出場するまでになってしまった
走った後の爽快感は 山登りに匹敵
だからだたひたすら走る
 
 
  
    第6戦2015.6.21 UP・DOWN関川マラソン 最悪の結果
          ハーフ 21.1km  2時間24分43秒

ハーフのスタートは重要文化財渡辺邸前  8:50 猛者たちの中に恐る恐る紛れ込む 

9:00 スタート直後 前過ぎた集団の中に紛れ込んだ一人

初めて地元の大会に出てみた。

朝7時の受付に行って、家に戻ってゆっくり準備、8時前に荒川の土手に行って入念にアップ、また家に戻って汗を拭いて着替えて、トイレ。スタートの重文・渡辺邸前へOkkaaと歩いて集合。

という具合で、なんとも余裕のある大会の朝だった。

2週間前の東根マラソンのあの余裕のなさと比べたら雲泥の差。
これを地元の利と言わずして、なんと言うべきか。
土手で会ったRyuくんに、トイレがなかったらうちのを使って、などと声を掛けて、この余裕。

汗が噴出すほどのアップで心拍数を上げることができたので、身体は軽い。
2週間前の疲れは、まったく残っていない。
この2週間、2日の間隔を空けてほぼ10kmくらいのトレーニングにした。
これまでの大会では、必ずそれまでのトレーニングの影響が残って、どこか少々痛いところがあったのだが、今回はそれもまったくない。

12kmレースに出るManaby・Ryu両友に見送られて、軽快にスタート。
スタートラインで腕時計を押したとき、スターターを補佐していた師匠Unqさんの声が聞こえたような。

軽快に勇み立った、そこに落とし穴があった・・・。

・・・結果は、公式タイムで
2時間24分51秒
実質タイムで
2時間24分43秒

ハーフ4戦目にして最悪の結果。
惨めなこと。悔しいこと。  

早くもアップコース 関川中学校の坂、警戒を忘れて軽快

11:23 ゴール直前 関川村の村長さんと、左手前で見えないが教育長さんと、最後までランナーを出迎えていた 

カメラを構えるOkkaaの前を通過、笑っている場合ではないのにニヤついているのは、あまりにも遅くなっての照れ隠し 

オールスポーツコミュニティの撮影
記録が最悪なのに、写真はこれまでの6戦中最良

<以下は、反省の記>
コース後半、12kmから強烈なアップダウンが待っている。だから、事前の作戦は前半を押さえることにして、目標を2時間20分においた。
まず、7kmまでの緩やかな登りをキロ6分30秒ペース、折り返して下りをキロ6分20秒、そうすると中間点でちょうど1時間7分。それで、後半を1時間13分程度で走れれば、目標達成。

1週間前に、その強烈なアップダウンのある後半のコース11kmを試しに走ってみた。控え目に走って、1時間10分24秒。これはいけそうだと、甘く考えたのが間違いの元だった。

スタートのタイムロスを短くしたくてスタート位置をだいぶ前の方にし、俊足集団に紛れ込んだのも間違いの元。
普段の練習では、アップをろくにしないで走り出すので最初の1,2kmは自然と6分30秒程度になる。ところが、この日は十分にアップ済みで身体は軽快、集団の流れのままに走り出してしまった。途中で、作戦とまったく違うことに気づいてはいたのだが、キロ6分の流れの中で自分だけ6分半に落すのは意外と難しい。
ええい、行け行けと調子に乗って、結局、10km1時間2分45秒、中間点で1時間5分台。
これは、2週間前の東根マラソンとまったく同じタイム。
東根の後半は下り。関川はそれとまったく逆にとんでもないアップダウンのコースが待っているというのに。
結局は、この作戦無視の前半快走が大失敗の原因となった。

12kmからの丸山大橋への登り1kmは、7分半で行けるつもりが、8分22秒もかかってしまった。そこからの急下り、練習では6分を切っていたので、少々押さえて6分10秒のつもりでいた。ところが、その下りで思いのほかスピードが出ない。その上、15kmで右足の太腿が攣り出した。ランニング中に足が攣ったのは初めてだ。
どうしたものか。何しろ初心者、ここでコース外に出て手当てなど受けたら即失格かと、まじめに思った。
運よく、そこにUnqさんが監察で立っていた。ホントに不思議な幸運だった。走りながら事情を話すと、失格どころか堂々と救護を受けていいのだと言って、スプレーで応急手当てをしてくれた。
後で思うと、マラソンは途中でトイレに寄っても洗濯してもサクランボを食べてもOKなのだから、手当てくらい何をか言わんやということなのだろうが、このときは、ここで足攣り治療を申し出たら即バスに収容かもと、真面目にチラリと思ってしまっていたのだ。地獄に仏、助かった。

お蔭様で、足攣りも何とか治まって走り出したものの、その後の16~18の3km間は最悪。キロ8分半から9分半のウォーキングペース。垂水の坂は完全徒歩で登り、坂の上から再び走り出したものの、今度は足首がおかしい。痺れたときのように感覚が伝わらなくてまともに着地できないのだ。見かねたのだろう、後から救護の人が駆けつけて、またまたスプレー。下半身、足の爪先まで全面スプレー、それで何とか治まった。

残り3kmはキロ7分のペース、給水所で頭から水をバシャバシャ掛けてもらって、途中小見橋への下りでペースを上げてみたものの、すぐに息が上がり、橋の上で少々歩き、後は何とか走り通して、ゴール。
達成感なし、高揚感もさらさらなし。
初の地元大会、しかも、阿賀北山岳会只管組からただ一名の参加だというのに、この記録。惨めなこと。悔しいこと。

とはいえ、日を置いてみれば、いい勉強になったと思っている。
Unqさんは、東根から2週間、疲れが残っていたと慰めてくれるが、それはなかったように思っている。
失敗の原因は、師匠からあれほど前半は6分半ペースでと言われていたのに、自分の実力も省みず、前半調子に乗って飛ばしすぎたこと。
それよりもなによりも、最大の原因は、まだまだ21kmを一定ペースで走り通すだけの走力・体力がついていないこと、これに尽きる。
この状態では、秋のフルマラソン5時間切りも、とてもとても及ばない。
持久力をつけ、なおかつ速力を上げること、そのためには、メニューに従って走り込むこと。これしかない。
失敗から学ぶべきことは、同じ失敗を繰り返さないための手立てを得ること、これが失敗学の要諦。

ま、最悪の結果ということは、これより下はないということで、今後のレースの最低ラインができたと思うことにしよう。人と優劣を競っているわけでなく、あくまでも自分の年齢と記録に対抗しているのだから。


あ、一つだけ付け加えるのを忘れていました。
只管走記を読んだ方、もしかして、まぁ、大会に出ようとして、記録を上げようとして、年も考えず無理してがんばっていること、と(冷ややかに)思ったりしてはいませんか?
それは、まったくの誤解です。
走るのが楽しいから只管走っているだけなのです。レースはその延長、そしメリハリつけ。
走ってみれば分かります。本当に楽しい。それに、快食・快眠・快便、肉体改造、健全身体・健全精神。
無理は禁物、初めはゆっくりスロージョギングで。気持ちいいですよ。