只管走記   ただひたすら走るの記   2015 

楽に山に登りたい一心で始めたスロージョギング
それがいつしかランニングになり
去年からはレースに出場するまでになってしまった
走った後の爽快感は 山登りに匹敵
だからだたひたすら走る
 
 
  
    第7戦2015.10.11 新潟シティマラソン フル初出場
                 悔しくも38km 4時間30分48秒 
   第9関門38.7kmの主催者ミスで、完走はまぼろしに
<後日談・顛末記>
大会4日後の15日になって、 第9関門の間違いが正式に主催者から発表になった。公表していた38.2kmよりも500m遠く、38.7kmに関門を設置していたこと。そこの閉鎖時刻は本来12時35分とすべきところを、38.2km地点での12時32分を適用してしまったこと。まったくお粗末としか言いようのないミスだ。
このミスにより、本来第9関門を通過できたはずなのに、誤った閉鎖でアウトになったランナーには、「申し出があれば参加費を返還する」とのこと。
翌16日、申し出があれば返還するとはあまりにも不誠実だと、怒りを抑えて大会本部にメールを入れた。そもそも炎暑の夏を通して、なんとか完走を狙って走り込んできた身にしてみれば、欲しいのは返金ではなく名誉の回復だとも付け加えた。
この日は前々からの予定があって、そのまま1週間の長旅に出かけた。だから、その後この問題がどのように扱われ話題になっていたのか、まったく分からない。
1週間後帰宅してメールを開いたら、大会本部からの丁寧な返信が入っていた。そこには、関係すると思われる出場者宛にお詫びの文書を送り、そこに申し出や返金の方法を記載することにしているとあった。
さてさて、その文書がなかなか届かない。Unqさんからの連絡では、すでに文書が送られてきた人がいるというのに。
27日になって、大会本部に電話を入れた。
私が該当者であることを説明し、なぜ、その私に文書が来ないのかと訊ねた。その回答が全くチンプンカンプンで、要を得ない。
それはそれとして、この電話をもって申し出として受け付けるという。
第8関門の通過状況やら、第9関門の到達状況、時刻、周りの様子など、聞き取りが行われた。ありのままに答えたものの、騙りを疑っての聴取だとしたらあまりも失礼ではないかと言うと、実はそうなのだとあっさりと認めた。
本部への電話が錯綜しているようで、中には完走証を発行しているはずの人からも返金の要請があるのだとか、まったく酷い話だ。電話口の担当者への同情は禁じえない。お察ししますと伝えた。
ややあって、一旦電話を切って欲しいという。該当者かどうかを精査して、折り返し本部から電話を入れるとのこと。
暫くして電話があった。「第9関門の主催者ミスがなければ完走できた可能性の高い人として認められた」とのこと。言ってみれば、被害者認定だ。せめて認定証ぐらい発行して欲しいものだ。明日にはお詫びの文書が届くはずだとおっしゃる。実に手際がいい、良すぎる。
それで、勘ぐったのだが、どうも騙り防止を優先して、該当しないと思われる人へ先に文書を送り、該当者からはこうやって電話が来たら対応しようと、はなからの作戦だったのではないだろうか。どうも、本部では該当者がだれかは分かっているような感触が、電話の中から滲みもれていたような気がしている。
電話の話の中で、そもそも、正式な第9関門は公表していた38.2kmなのか、それとも関門役員が設置した38.7kmなのか、どっちなのかと訊ねたところ、38.7kmが正しく、公表した印刷物の方が誤りだとおっしゃる。「公表した大会要項が誤りで、参加者の誰も知らない関門が正しいなんてことがありうるのか」と問い質すと、電話の主も真に困った口調で、そう決まったものですから・・・。気の毒で、それ以上責める気にもなれない。
電話の最後に、「余裕を持って関門通過できるよう練習を重ねて、来年また出ますので、よろしく」と一言。先方の担当者、破顔一笑、「そう言っていただくと、ホントに助かります」
返金は、来月になるとのこと。記念にランニングシャツでも買うか。「幻のフル初マラソン記念」、それも悪くはなかろう。人生、いろいろなことがある。だから面白い。

今回のお粗末なミスに関して大会本部側の不誠実な対応には今も釈然としない気分は残っているのだが、それはそれとして、39km近く走り通せたことは紛れもない事実であって、大いなる自信として残った。その後の練習も、自分では驚くほど身が軽い。早く来年が来ないかと、ワクワクしている気分もある。
だから、そのような機会を作ってくれた大会本部役員の皆さんには、感謝の気持ちを表したい。返金が届いたら、改めて感謝の気持ちを伝えたいと思う。  <10月30日69歳の誕生日に記>

<以下は、大会当日のレポ本文>

8:27 ハーフ・10kmスタート直前、壇上で手を振る高橋尚子さん(写真は全てOkkaaの撮影)

7:08 選手控え所の市体育館

マラソン大会7戦目にして、いよいよフルマラソンに出場。
制限時間は5時間、私のような素人には実に厳しい大会だ。
その上、スタート位置はずっと後ろ。号砲合図からスタートラインまで、2分18秒もかかった。このロスタイムも、5時間の中に含まれるから、最初からハンディを背負っている。
15kmまでは、1km平均6分58秒のペース。飛び出したくなる誘惑を堪えて堪えて、キロ7分ペースを守った。16~31kmまでは、ややペースを上げ6分46秒平均。
31kmを過ぎて、痛みだした足にスプレーを手当て、トイレで小用、果物補給等々一息二息入れたのが間違いだった。32kmまでに10分もかけてしまい、以後もキロ8分や7分後半にガタ落ち。
それまでの関門通過で保ってきた余裕をすっかり使い果たしてしまった。
37.2kmの第8関門では、カウントダウンに会い、猛ダッシュで何とかセーフ。
通過後に振返ったら、私の後ろで大勢アウト。ギリギリの滑り込みセーフ。
この時点で間違いなくビリ集団の一員。これはならじと、ダッシュの疲れもものかは、キロ7分に回復して何人か追い抜き38km地点。時計は4時間30分台。あと残り4.2km。キロ7分を切るペースで行けば、何とかギリギリ5時間を切れる。そう踏んで、鞭を入れた。気合を入れて走り出した、そのとたん、「関門は閉鎖しました」の声。
なんと、第8関門のたった1km先に、また関門があったのだ。茫然自失!!

7:36 陸上競技場に選手集合 向うのトラックにフル出場者の列

12:55 フルの最終ゴール直前

アウトになった第9関門の周りを見ると、路傍に倒れ込んで悶えているランナー数人。「あとからバスが来るので乗ってください」の声。大勢のランナーが列をなしてゾロゾロと前へ歩いて行く。クッソ、金輪際収容バスなんぞに乗るものか、私も4kmを歩くことにした。
前を歩いていた若い女性ランナーが、応援の知人に出会って泣き崩れた。「あと少しだったのに、くやしー」「まだ若いんだから」「人生長い、来年もあるから」 その横を通り過ぎていく私。「若くもないし、長くもない人生、オレはどうすればいいのだ」とブツブツ。これはドラマだ。
万代橋に近づいた頃、レース中ずっと治まっていた空から、突然、大粒の氷雨が落ちてきた。隣を歩くランナーと一言二言、「無情の雨ですね」「いや、まったく」。ずぶ濡れでトボトボ歩く敗残の兵。これはやっぱりドラマだ。
冷たさに堪らず途中走ってみたものの、冷え切った足は固まってしまって歩くのがやっと。どうにか白山の会場に着いて、このままグラウンドのゴールラインを踏もうかとも考えたが、ばかばかしくなってやめた。
それに、制限の13時をとっくに過ぎている。OkkaaもUnqさんもYoumyさんも、どうしたのかと心配しているに違いない。まっすぐ控え所にゴール。
暑い夏から3ヶ月間の走り込みは、こうして終った。ドラマチックだった。

反省は多々ある。最大は、関門を甘く見たこと。私のようなギリギリ者は、位置と閉鎖時刻をしっかりと頭に入れて走るべきだった。それよりも何よりも、まだまだ走り込み不足。頬の削げ落ちたランナー顔にはまだ遠い。肉体改造の道未だ遥か。
Unqさんは、3時間半で走りきった。凄いものだ。とても真似できないが、来年こそ5時間切り、リベンジだ。

さて、大会2日後の今日13日になって、Unqさんから知らせが入った。
ランネットの大会レポを見たら、私がアウトになった第9関門の位置が間違っていたとの指摘があるという。
早速見てみたら、38.2kmのはずなのに、それよりずっと39kmに近いところにあったと書いてあった。
手元の時計を調べてみた。
38km時点で4時間30分48秒だから、12時30分48秒。38.2kmの関門閉鎖時刻は、12時32分。キロ7分ペースで200mを走れば84秒。12時32分12秒で関門。ちょっとダッシュすれば直前の第8関門同様、ギリギリ滑り込みセーフとなっていたかもしれない。
関門閉鎖を告げられて、茫然自失から我に返って時計をストップさせたから、関門到着の正確な時刻は分からない。が、200mにしては、ちょっと時間がかかり過ぎているような気はしていたのだった。

この問題、一体どうなるのだろう。再レースなどとなったら?・・・それはないか。
ま、一年後再レースのつもりでリベンジだ!!
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