山の記 2021
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7月31日(日)~8月1日(月) 越後人 駒に登らず何しっとン
越後駒ケ岳 2002.7m 新潟県魚沼市
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2千メートルの天空にコバイケイソウが群れ咲く斜面。登ってくる一団は兵庫からの登山人。ここは越後駒ケ岳、駒の小屋から山頂へ向かう稜線。昨日、麓の銀山平にテント泊して今朝2時半にテント撤収、3時に枝折峠から登り始めた。越後を代表する名山駒ケ岳、ここにようやく来ることができた。これまで何度眺めたことか。高速道を走れば、いやでも目に付く越後三山、その盟主。日向倉の雪山から眺め、荒沢岳から眺め、なかなかチャンスのなかった山。来てみれば、その遠いこと。枝折峠登山口からのアプローチの長いことといったら、まるで、光兎山に登るのに登山口まで3時間歩いたみたいな感じといえばいいか。結局、往復の行動時間12時間、小刻みの休憩を入れながら歩き通し。ここを日帰りピストンするのは健脚の若者たちで、老年登山人はだいたいが小屋で一泊するのだとUnqさん。行き交う人を見れば確かにそうらしい。軽装の若年者は8,9時間で往復すると言って追い越していく。下ってくる人たちは昨夜小屋に泊まった老年者たち。多少時間がかかるとはいえ、まだまだ我らも若い衆の内かなとど思っていたら、ところがどっこい。彼の兵庫からの一行、最高齢が80歳で、70代と60代、年齢不詳の女性1名、昨日は平ヶ岳ピストンで、今日が越後駒ピストン、明日は会津駒ヶ岳ピストンとか。運転交代で1日がかりでやってきて、3日連続ピストン3山、5日目に兵庫へ帰るというのだから、何とも凄いの一言。彼らに言わせれば、越後に住んでこれまで駒にも登らず何しっとんねん、ということになるところだった。いやはや恐れ入りました。それはそれとして、それにしてもだ、食事は銘々が用意しててんでに好きなものを食べるのだということまでも含めて、兵庫の一行とちょこっと一緒に休憩しただけでここまで一瞬のうちに情報を収集してしまうYoumyさんの技、いやはやそっちもオソレイリヤシタ。
 渡辺伸栄watanobu
前泊の銀山平キャンプ場。早めに着いて寛ぎのひととき。贅沢にテントは一人一張。この後の夕食会は恒例の焼肉と冷ソーメン、それと今回はYoumyさん特製、揚げたての野菜天ぷらときた。何とも贅沢。明日に備えて隣のキャンパーの雑音に耳を塞ぎつつ早々に就寝。
8月1日未明の枝折峠登山口3:13
枝折峠から高度を200m上げると明神峠。そこから先は歩いても歩いても1200m、変わらない。4:25、ようやく周りが明るくなった。雲海の下が銀山平と奥只見湖。右の荒沢岳も、左の日向倉も雲の中。
5:34 道行山を越えた辺り。2時間強歩いても高度は変わらず1250m。雲が薄れて行く手に山影、目指す駒がちょっと姿を見せてくれた。
6:15 小倉山。3時間歩いて稼いだ高度は300m。これでようやく登山口に辿り着いた感じ。
7:03 百草ノ池 地図には「も」とわざわざ振り仮名。もぐさと読むのだろうか。これでようやく1500m越え。
この時期、ここで姫シャガに出会うとは
続いて白山小桜 この花と姫シャガと同時なんて意外も意外
コバイケイソウ 房状になっているが、一つ一つの花もなかなか見ごたえがある
ミヤマアキノキリンソウ 名の如く、山は秋が忍び寄っている 夏山の季節もあっという間に過ぎていく
ヨツバヒヨドリ
シモツケソウ 別の山で「シモツケが咲いている」といったら、「シモツケは木でこれは草だからシモツケソウ!」ときつい口調で言ったのは誰だったか。
8:03 前駒に辿り着いた。1763m、ここまでくれば、山頂まであと300mを切った。
前駒と駒の小屋の間に岩の露頭帯があって、急崖になっている。下山時にガスが晴れたら、ここはバットレスの一部だと分かった。岩の擁壁帯。
8:30 駒の小屋に到着。話好きの小屋番のおじさん、来る人来る人に話しかけている。記念メダルにストラップを販売中。
山頂へ向かう斜面。お花畑。
白山小桜の楚々とした姿がなんともいい
9:13 山頂到達 念願叶った越後駒登頂。ここにも一等三角点。山頂に据えられた剱をもつ神像には雷が落ちず、隣の鐘を吊るした木製の柱に落雷したのはつい最近のことらしい。仏像と違って神像から神の名を特定するのは無理なことらしいが、そのことからして、あるいは雷神か。と、思ったら、Unqさん曰く、ナニ雷は金属でなくても高い方に落ちるのさとにべもない。最近の学説を知らないななどと、ダメ押し。ガスの晴れるのをじっと待ったが、晴れそうもないので山頂展望は諦めて下山することにした。
親切な方がシャッターを押してくれたので、今回は合成画像なし。
雪渓の向こう側が、駒の小屋から山頂へ続く稜線の道。次々と人が登ってくる。これほど人気の山とは。
ハクサンフウロ
少し中ノ岳へ向かう登山道を進んでみた。稜線の斜面は花盛り。ニッコウキスゲ、コバイケイソウ、ハクサンボウフウ。
駒の小屋から山頂へ向かう登山道を山頂と反対の中ノ岳登山道の側から撮った。小屋の避雷針が見えている。今年はコバイケイソウの咲き年なのかもしれない。
ガスが晴れて、それまで全く見えなかった山頂が見えた。次々と交代して人が絶えない。
モミジカラマツ
大雪渓の向こうに山頂
見下ろせば、駒の小屋。
見上げれば、大雪渓と駒の山頂。
登りでは見えなかった駒の小屋と山頂
露頭帯を下る
この岩の壁、北岳にもあった。え~とと、その名称を記憶の箱から引き出そうとしていたまさにその時、間髪を入れずYoumyさん、気合の入った声で「バットレス!」。そう、これがバットレス、岩の擁壁。真ん中奥が山頂で左の岩稜の上に微かに小屋の避雷針が見える。それにしてもYoumyさんの声、気合が入ってたな~、まるで空手の選手のようだった。
朝は雲海だった銀山平。日向倉山も見える。右の荒沢岳は結局一日見えなかったが、この雲のお陰で灼熱の太陽から逃れることができた。稜線でたまに雲が切れて陽が射すと、それはもう、肌が焦げるのではないかと思うほどの熱射。だから、眺望と差替えても雲の方が何倍もありがたかった。
右に日向倉山、残雪期に二度登った山。左に未丈ヶ岳、まだ見ぬ山
往きには気づかなかったが、明神峠のピークに三角点が二つ並んであった。右は正規の三等三角点。左のは、主三角点で明治時代の山林局設置のもの。今は廃棄された三角点だが、各所に残っている。こうやって新旧きちんと並んでいるのは珍しい。
奥只見湖とその右に荒沢岳の登山道のある尾根。あそこも長い道だったが、今日の方がはるかに長い。奥只見の山は奥が深い。そもそも、今日歩いた越後駒の水はあの奥只見湖へ流れ、会津をぐるっと回って阿賀野川になるのだから、奥が深いわけだ。
枝折峠に下山して車で銀山平へ戻る途中の石抱橋で駒が姿を現してくれて、ようやく登った山の全容を見ることができた。
<コースとタイム>  7月31日 銀山平キャンプ場に前泊  8月1日 テント撤収・キャンプ場発2:40―3:00枝折峠P・発3:15―4:00明神峠―5:06道行山5:27―6:14小倉山―7:11百草ノ池ー7:52前駒8:01―8:30駒の小屋8:46―9:13山頂9:46―10:27駒の小屋10:35―11:09前駒―11:37百草ノ池11:53―12:33小倉山12:42―13:24道行山13:36―14:42明神峠14:52―15:30枝折峠着
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