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平田甲太郎家文書<三ヶ村炭焼の取極め「鍛冶炭禁止」 天保13(1842)年 文書№638
<文書の解説>
天保といえば、大飢饉。天保4~8年の冷害で不作に襲われ、それを契機に天保12年から行われた天保の改革。歴史教科書でよく扱われる事件。この文書の冒頭、「相続く違作(不作)」とあるのは、そういった時代背景がある。
入会林は本来、村内各家の燃料源であり肥料源。それをやむなく炭にして換金せざるをえない状況だったようだ。
ところが、問題が生じて、この取り決め文書を定めた。その問題とは、一つは越境伐採。これはよくあったようだ。もう一つが、鍛冶炭の禁止違反。なぜ鍛冶炭は禁止なのか、よくわからない。鍛冶炭は軟らかくて炎がよく出るらしいから、もしかしたら、普通の炭より樹木を大量に消費するのかもしれない。農具の補修のため村ごとに鍛冶屋があったという話も聞く。村の鍛冶屋が使う炭は、別途確保してあったはずだから、それとは別に大量の需要があったということかもしれない。
とにかく、違反者を詳しく調べると迷惑する者が出てくるので、これまでのことは勘弁することにして、今後は絶対にしないように申し合せた。事をなるべく荒立てない村の知恵ということか。
「白炭焼き年限中」とあるのは、普通の黒炭とは別に固い白炭を年限を切って焼いていたということだろうか。
釈文
読下し
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