歴史館の古文書WEB分館へ戻る | |||||
平田甲太郎家文書<上野原見取検地帳 寛保2(1742)年 文書№19> | |||||
<解説> 小見村・上野山村・瀧原村三ヶ村の入会地「上野原」を新田開発した際の見取検地帳です。見取検地とは、新たに開発した田への年貢を決めるための検地のこと。 三ヶ村それぞれの村で見取検地が行われ、この文書は、小見村分の検地帳になります。 小見村分は、9か所で持主は6人。9か所の田の縦横寸法と面積が記してあり、合計面積は1反1畝15歩とあります。 新田開発は、鍬下年季と言って一定期間は免税になり、その期間が終わると見取検地が行われ、年貢額が決まります。 合計面積の後に、「反1斗取」とあるのが年貢でしょうが、それにしてはずいぶん少ない。 安政6年(1859年)の小見村定免願(文書№705)では、田の年貢は、9町6反余に対し41石で、1反当り4斗余。それから見ると、反1斗はずいぶん少なく、畑並みの課税率です。それほど収穫の悪い田ということでしょうか。疑問です。 原海御役所というのは、この時代、現関川村の大部分は庄内藩預地で、原海は幕領預地を管轄する庄内藩代官所の所在地で、鼠ヶ関の付近になるようです。金野以下4名はそこの役人ということになります。 |
|||||
原文 | |||||
釈文 | |||||
読下し | |||||
原文 | |||||
釈文 | |||||
読下し | |||||
原文 | |||||
釈文 | |||||
読下し | |||||
原文 | |||||
釈文 | |||||
読下し | |||||
ページのTOPへ | |||||