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平田甲太郎家文書<明暗寺(虚無僧寺)文書2通>   
                
天保10(1839)年 文書№345 №682
<解説>
普化宗(ふけしゅう)明暗寺(みょうあんじ)は、旧南蒲原郡下田村中野原(現三条市)にあった虚無僧寺。江戸幕府の隠密寺で、地方の情勢調査や国事犯の捜査逮捕などを行っていた。三条市の史跡HPは⇒こちら
本寺は京都にあるが、北陸道では下田の明暗寺だけだったという。幕府公認の特権をもっていて、代官所の役人等からは独立した存在だった。
この寺に所属する僧が虚無僧。時代劇ファンにはおなじみ、深編笠に着流し袈裟がけのスタイルで、尺八を吹いて歩く独特のいでたちをした武士。
虚無僧は隠密の職務があって、町や村を旅して歩いていた。それらの中には、幕府公認の特権を振りかざして我儘勝手なふるまいをする者もいた。
それで、困った村々は、明暗寺に頼んで村を留場(出入り禁止の村)に指定してもらい、その代わりに留場料を払った。それが、この2通の文書の主旨ということになる。

文書№345は、小見村を留場に指定したことを伝える證文。
公儀御用と一時的な寺の用以外は、村へちょっとでも立ち寄ったり宿泊したりすることを禁止した。
期間はこの年の9月から1年間。留場料として、村高(検地に基づく生産高)100石当り銀2匁の割合で納めるようにとある。
末尾の留場振替の節というのは、よく分からない。

文書№682は、留場料の受取文書。
小見村の留場料は銭300文。
弐匁の文字は弐両とも読めるが、前の文書で銀2匁のことだと分かる。
100石当り2匁だから、小見村の石高は147石ほどでほぼ3匁になり、銭に換算すると300文になる。(金1両=銀60匁=銭6000文の計算で)

この文書には、「明暗寺の留場」と書かれた札紙がついている。よからぬ虚無僧が来たら、これを示して入村を断ったのではないだろうか。
言って見れば、神社のお札のように、このお札を銭300文で買ったことになる。
銭300文というのは、現代の金ではどのくらいになるのだろうか。
文書№601の安永7(1778)年「上野山村皆済目録」(⇒こちら)に、当時の米の値段が書いてある。それによると変動はあるが、平均的にはおおよそ金1両の米は約1石5斗くらい。現代の米価が4斗で2万円としてこれを基に換算すると、1両はほぼ8万円くらいになる。
金1両は銭6000文として、1両8万円なら、300文は4000円という計算になる。

1年契約だから、こんな文書が毎年あったのかもしれないが、残っているのはこの2通だけ。もしかすると、この年から留場になって、その後は毎年銭を払えば、留場札はそのまま有効だったのかもしれない。
文書№345   原文
文書№345   釈文
文書№345  読下し
文書№345   意訳
文書№682   原文
文書№682   釈文
文書№682  読下し
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