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平田甲太郎家文書
 文書の表題の前の数字は、文書リストの番号です 
村上史楽会会長の本間哲朗様から、ご指摘とご指導を頂き、⑫~㉓も修正しました。これまでと変えたところは太字にしてあります。本間会長様、ありがとうございました。20.10.05
42 明治元年諸觸書留帳 (1868年)
 慶応4年(1868年)1月の鳥羽伏見の戦いから9月の会津藩降伏へ続く戊辰戦争、その間8月には関川村の榎峠で激戦が展開され戦死者も出ている。中央では、7月に江戸が東京となり、9月には慶応が明治に改元される。まさに激動の年。新政府からは次々と御触れ(命令)が出され、村上に設けられた民政局から郡内各村へ通達される、そんな時代。
 村の行政トップである庄屋では、おそらく廻状で回ってくる通達の内容を村民に周知させるため、せっせと書き写したものと思われる。教科書や物語で知る明治維新が、身近な我村にもひしひしと迫ってくる、そんな時代の動きが手書きの文字から感じられる文書です。
 解読作業のため、便宜的に日付ごとにの番号(原文にはない)をつけてあります。各項目をクリックすれば、その箇所へ飛びます。赤字の番号は解読の済んだ項目です。
 今般御即位御大礼   廻状を以て御意を得 然らば
 人馬遣い高御制限   廻状を以て申進候 然らば
 王政御一新に付いては   九月二十二日は聖上御誕辰相当に付
 御用出兵の向き休泊の節   金札御制造の上 列藩石高に応じ
 以来万石以下の領地   今般金札御制造は 天下公行産物
 諸国街道筋において   一 贋紗御布令 一帖
 先だって御布告の通り万石以下領地   御達書 苞苴私謁の儀者
 当支配中町在共白米小売り致し候者   別紙一編今般被仰出候間 
 定 金一両につき銀六十匁通用   覚  一 人足弐人請
 孝子節婦八十八歳の分は   急以廻状申達候志かれハ
 恐れ乍ら書付を以て申上げ奉り候   急以廻状申達然者
    以廻状申上候
 
 
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