関川歴史館主催、恒例の「山城探索会」
歴史好き、山好きのメンバーが集まって、今回は、胎内市の黒川城跡の探索。
もう4年も前のことになるが、この黒川城跡の山道を通って高坪山を縦走する村民登山があった。
そのとき、城跡に向う山道で珍しい形の花をつけた植物に出合った。後日、Anqさんが「ジガバチソウ」だと調べて教えてくれた。そのときの写真はたったの一枚だけ。それが実に情けない写真でピンボケ。
で、今回、何とかまともな写真を撮りたいものと、目を皿にして歩いたのだが、結局見つからなかった。残念至極。
そのかわり、今回もいろいろな花を教えてもらった。アズキナシの花を間近で確認できたのもその一つ。ウワミズザクラとアオダモの花の違いも明瞭になったし、道端に咲くクサノオウは、薬効あることからその名がついたという講師の話も興味深かった。
もちろん、本題は山城にあるわけだが。
講師の話は多方面にわたっていて、これがまた、実におもしろい。
その本題だが、山城は幾重にも掘り切られた堅固な備えが今も見て取れた。
領地争いの関係文書を多数後世に残してくれた黒川氏だけのことはあって、その凄まじさの幾分かを感じ取ることができたようなきがした。
午後からは、山城の麓におりて、黒川氏居館のあった下館集落の巡検。ご多聞にもれず、兵どもが夢の跡。往時を偲ぶよすがすらない。ただ、居館に通じる旧街道跡を木立の中に辿ると、700年前の空気を吸い込んだような、そんな気がふとしてきたものだった。もちろん、主観的な気のせいというやつではあるのだが。
「上関城400年物語」で、上関城主三潴氏とのかかわりで黒川氏もたびたび登場させていただいた。その黒川氏の山城と根小屋の居館跡を巡検できた。
やはり、現地に立って、歴史の現場を感じ取る、これが歴史マニアの何よりの醍醐味だろう。とりわけ、幼少の頃から近隣の領主の争いに巻き込まれ、逃亡生活やむなくして後、成長して見事黒川家を再興した黒川氏実の苦難が、この山城跡、居館跡に沁みこんでいると思えば、その現場を目にしたであろう樹齢幾百年の大欅への畏敬の念さえ湧いてくる。
「上関城400年物語」の黒川氏実に関わる部分は、
こちらのページの「(2)応永の越後大乱」でお読みください。
関川歴史館主催の山城探索会
歴史マニアで山好き人にとっては、まったくありがたい企画です。