綿野舞(watanobu)山歩紀行2017
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8月4・5・6日 感動の 劔・立山 三日旅
第2日目 大冒険 岩の殿堂 針の山<劔登頂>
劔岳2999m 富山県立山町・上市町  地理院地図は→こちら
 
どんな場所でもすぐに眠りに落ちて熟睡できるのは、一種の特技だと思っている。ただ歳のせいか最近は夜中に一度トイレに起きる。テントの外に出ると、中天に月が出ていた。東の空には星も見えた。吉祥に感謝してもう一度寝袋にもぐり込んだ。
が、2時頃になるとテントの外は靴音で騒がしくなった。みな早出で暗いうちからアタックするらしい。我らは、急がない。今夜もう一泊このテントで過ごすことにしたから。事前の予定では2日目劔に登った後雷鳥沢へ移動し、3日目はそこにテント荷を置いて立山を縦走することにしていた。しかし、現地を見て変更となった。
だからこの日の日程には余裕がある。3時起床5時出発までの2時間は有難い。トイレ、洗顔、珈琲に食事、歯磨き、荷造り、慌てないですむ。急がないことは安全につながる。
登攀中も同様で、後ろからくる登山人があれば、いつでも道を譲る。後ろに人がいなければ、焦る必要もない。これも安全につながる。常に安全第一、これが我らの大原則。とりわけ険しい劔となればなおのこと。
第1日目(劔沢へ)は→こちら  第3日目(立山縦走)は→こちら
渡辺伸栄watanobu 
5:17 劔には朝日が射し始めている。無風、絶好天。テント場の窪地はまだ夜の寒気が残っていて、長そでシャツの上にもう一枚着込んで、いよいよヘルメットの出番。背にはアタックザックの軽荷。岩壁のタテバイ、ヨコバイを思えば一眼レフを首から下げて行く気にはならず、カメラはウエストバックから出し入れし易い小型のデジにした。レフに比べ写り映えが気になるが、贅沢は言ってられない。身の安全確保が最優先。
6:21 一服劔。直下の剣山荘との高度差は140m。劔沢の谷を挟んで真向かい、目の高さより少し下くらいにキャンプ場が見えた。つまり、この高度差を一旦下って登り返したことになる。キャンプ場は、カールの斜面のちょっとした棚にあったのだと、ここから見て初めて分かった。全体像というものは、様々なところから見ないとなかなか分からないものだ。
劔に向かって、東方から朝日が射す。岩壁に対してほぼ直角の入射角。気温がどんどん上がる。Tシャツ一枚になった。露出した腕、首に当たる日光が痛い。
一服劔から見上げた前劔。高度差約200mの岩の塔。岩壁にへばりつくように登っている人々の姿が芥子粒のように見える。いつ滑り落ちても不思議でないほどに見える傾斜角度の斜面。そこに色とりどりの芥子粒。ここから見上げる限り、よくまあ滑落もせずにと感歎していたのだが、実際にあそこに登り行ってみれば、ここで思ったほどでもない結構な道がついているのだった。もちろん気を抜いてよいような道ではないが、それでも案ずるよりは生むが易し。みんなが登っているのだから、行けないはずがないし、怖さもない。
7:39 前劔の頂上に立った。目の前に劔の山頂。ここからあの山頂まで単純に稜線が繋がっているわけではない。岩を伝ってすぐに深い鞍部へ下る。鞍部というより岩峰がスパっと切れ落ちた割れ目といえばよいか。その割れ目を一本橋で渡り、対岸の岩壁を鎖を頼りに横に渡って更に下る。そこが、「前劔の門」と呼ばれる鞍部。その先、岩壁を登ると「平蔵の頭」といわれる岩峰。その先の深い鞍部「平蔵のコル」を挟んで対岸を見ると、山頂への最後の岩壁がそそり立つ。大きな岩壁のそこかしこに人の列が見える。名高いカニのタテバイ、ヨコバイだ。
今、前劔の頂の上で、上記のルートが全て見えるわけではない。むしろ今は知らぬが仏状態。この先どうなっているのか、行ってみなければ分からない。それよりも絶好天の大展望に気を取られていた。
前面に劔沢の大カール。正面中央奥の岩峰が立山の三峰。その手前の台形状の稜線が別山。三峰の中央が大汝山3015mで、そのちょうど手前辺りが別山の山頂2874m、そこから向かって左へややたわんだ稜線の先端が北峰2880m。北峰の方が別山山頂より若干高い。三峰の向かって右にポコンと飛び出したのが竜王岳2872m、右端の遠い山が薬師岳2926m。薬師岳の手前の稜線は、昨日越えた別山乗越から続く劔御前2777mの稜線。別山の北峰の奥は後立山連峰。そのさらに奥に、微かに青い山並が見えていた。尖がった形から槍ヶ岳かと思ったが、槍などの穂高連峰は立山三峰の真後ろ方向になるはずで、方向が全く違うと言われた。後で地図で照合すると、この方角の高くて遠い山は、多分八ヶ岳ではないだろうか。
画面のちょうど中央、別山からの雪渓が広く消えている箇所が少し棚になっていて劔沢キャンプ場。その下の大きな雪渓の最下部に劔沢小屋がある。画面右下が剣山荘。
昨日、劔かと思った前劔のてっぺんからテント場を見返していることになる。
7:59 前劔から下った岩峰の切れ間。鉄のブリッジ、一本橋。左右は切れ落ちた谷間。最も苦手な、摑まるものがない平均台渡り。恐々渡り切ればすぐに岩壁を横に伝う鎖場。さすがは劔の核心部、これでもかこれでもかと難関が続く。緊張の連続。
 
8:10 ここを「前劔の門」というのだと、後で知った。しかし、この門を通るわけではない。今立っている箇所は、これまで難関を通過してきた身には比較的穏やかな道だった。門の間に見える山は奥大日岳に続く稜線の西大谷山2087mか。
8:27 前劔の門から平蔵の頭に至る岩稜から、富山平野と海岸線。画面左に薄く見える山影は能登半島。この日はとにかく絶好天で、肌を刺す日光の見返りがこの大展望。一服劔の辺りからすでに、奥大日岳の肩越しに加賀の白山が見えていたし、後立山連峰は逆光だったが、針ノ木岳から白馬岳に続く連峰のシルエットが常に鮮やかだった。
もっとも大展望を楽しめる時々余裕の道は、ここまで。ここから先山頂までは、そんな余裕は微塵も無し。そして山頂に着いた頃にはガスが湧き出し、山頂展望はほとんどなし。お陰で下山は肌射す日光も薄れ、涼風の中、快適に歩けた。眺望は登りでほとんど堪能できたし、なんとも有難い幸運ずくめの天候ではあった。
8:45 平蔵の頭からコル(鞍部)を挟んで真向かいの岩壁を見た。ここが劔岳の本体、最難関の核心部。画面下、平蔵谷の雪渓の左側岩の道に人の列、団体だろうか渋滞している。その先右方の岩の陰にも人の列。あそこが、カニのタテバイの取付き。よく見ると、岩肌に数珠つなぎになった人の列。進んでいるのかいないのか。その左上方、画面中央上部にも人の列。あそこが下り道でカニのヨコバイ。いやはや、この凄まじさ。とはいえ、あれだけの人が次々と登り、下っているのだから、行けないはずがない。肝心なことは、絶対に怖がらないこと。幸いというか、ここに至るまでいくつもの垂直に近い鎖場を越えてきた。だから、恐怖心はもうとり払われた。人間、大概のことには感覚は慣れていくものだ。
9:00 いよいよ噂に聞いたカニのタテバイ。鎖にしがみついたままちっとも動かない人々。何処かで誰かがつっかえている。動かないのではなく動けない人々、これはちょっと大変だろうと同情心がわく。岩壁の真下で待機していた人が、「イタイ!」と叫んだ。上から小石が降って来て、肩に当たったようだ。幸い大事には至らなかったようだが、肩の筋肉だからまあよかったようなもの、もし頭直撃だったら小石でも大ごとの危険大。だからヘルメットは欠かせない。
十分時間をとって、鎖が空くのを待ってから取付いた。ここに来るまで、あとからの人に何度も道を譲ったから、後ろに人がいない。このことも気分的には随分楽になれた。鎖は、支点と支点の間に人一人が原則。前の人が支点を渡ったら、次の人に声をかける。これも基本中の基本。クライミングで覚えたことは、基本の徹底ということ。これは大きい。
9:25 タテバイを登りさらに岩壁を登れば、下り道との合流点に着く。ここから下山者はカニのヨコバイに下ると言う。彼らがここを通り過ぎた後、そことおぼしい辺りを覗き込んで見たが、ヨコバイは見えなかった。眼下に平蔵谷の雪渓、そこを下ろうとする登山人が見えた。凄い高度感、背筋がゾクッとする。下山者は、目の前の岩の隙間を縦に下って行った。その下のどこかにヨコバイがあるはず。ここまで来たからには、下りにこの難関を通過しないわけには行かない。腹を据えて、恐怖心はとり払え‼
9:53 ようやく山頂の稜線に辿り着いた。達成感と安堵感と充実感とない交ぜになった何とも言えない、いい気分。ここがあの劔の頂かと、なぜか真実味に欠けるような不思議な感覚すら覚える。 
 
9:57 山頂。神社の前は案の定、大勢の登山人で賑わっていた。順番を待って登頂記念撮影。親切な登山人にシャッターを押してもらった。神社の前には居場所なく、神社の後ろの空き地に陣取って小1時間の休息。俄に空腹と渇きを覚え、夢中で行動食をパクつき水を飲む。仲間の一人が担いできたコーラの回し飲み、美味かった。
神社の前へFB用の写真を撮りに行ったら、団体人たちが弁当を広げていた。お握りでもなく行動食でもなく、コンビニで売っているような弁当、ひどく場違いのように見えた。多分、小屋で用意した弁当だろう。以前、北岳で食べた、小屋用意の弁当もそうだった。どうも高山の雰囲気ぶち壊しのような感じがして一考の余地ありと思うのだが、ほかの人たちは気にならないのだろうか。
 
11:00 下山に取り掛かって、いよいよカニのヨコバイに来た。登りで覗き込んだ場所。ここを下ればヨコバイになるのだという。タテバイ同様渋滞していて10分ほどここで待機。ようやく前の人が動き出した。ヨコバイの渡り方は、前夜テントの中で、全員資料を読み合わせ学習してきた。
まず、両手で鎖をつかみ左足を足場に置いて、三点確保。必ず、右足を先におろし、赤印のついた足場を見つけて、そこに足をかける。次に左足をおろし、右足を置いた隣の足場を見つけて、足を置く。次からは足を交差させて右足を左方向に進める。すると、足場は幅の狭い棚状になって、なんなく横に移動できる。だから、最初の一歩の足の左右さえ間違えなければ大丈夫。それに、最初の赤印の足場は、先に下りた人が声を出して教えてくれるし、鎖をつかんだ手を自然に伸ばせば、自分で足場を見ることもできる。そんな具合で、ここも案ずるよりは生むが易し。横の移動は数mだけで、その前後の縦下りの方が長いように感じた。
 
 
11:09 ヨコバイを過ぎて間もなく、この垂直鉄梯子。ここも鎖場同様一人ずつ。慌てない、ゆっくりゆっくり、そして、怖くない怖くない大丈夫大丈夫と念仏。 
 
難所で気を張り詰めた分、こういう場所に来ると気が緩む。もちろん、足を踏み外せば命はない絶壁の横断なのだから、油断は大敵。無駄話をするな!気を緩めるな!と声が飛ぶ。仲間の存在が有難い。 
11:22 平蔵のコルまで戻った。振り返ると平蔵谷の雪渓を下ろうとしている一団。我らをはじめ多くの登山人はアタック態勢の軽荷なのだが、中には、ピッケルやザイルの重装備人もいた。雪渓を下る人たちだったのだ。あるいはまた、雪渓を登ってきた人もいたのかもしれない。平蔵谷の雪渓はかなりの急傾斜で、尻餅をつく人も中にいたが、ピッケルを使って滑落をふせぎ、ずり落ちるようにして下っていくようだった。他の人たちは、この急斜面を立ったままとっとと下っていく。いずれも、相当の熟練者なのだろう。只々畏敬の眼差しを送るのみ。
鎖場にはプレートが張ってあって、13分のいくつと刻印してある。全部で13か所あるという鎖場のここがいくつ目かは忘れたが、もう相当数乗り越えてきた。だから、もうすっかり慣れた。鎖を頼らないで岩を登ると、何やら本格的に岩登りしているような、いい気分になってきた。関川ドームのクライミング効果が確実に出ている。 
 
13:26 一服劔を越えたここが最後の鎖場。もう剣山荘が目の下に近い。相変わらず、気を緩めないで!へらへら笑わないで!と声が飛ぶ。下山近くが最も事故の起きやすい危険帯なのだ。
ここへの途中、トレイルラン姿の女性3人に道を譲った。実に軽装で見ている方が不安になる姿。走れる道は走るが、ほとんど早歩きのように見えた。
その後、ここを下ったあと、登って来る単独ランの女性とすれ違った。彼女は、本気で走って登っていた。これから劔の山頂へ行き、今日中に雷鳥沢のテント場へ戻るのだという。我らがテント場で寛いでいた夕方、本当に彼女は戻ってきて、そのままテント場を横切り、別山乗越へ走り走りに登って行った。小型のスポンジマットを軽ザックにつけていたから、疲れたらあれで横になって休むのだろうか。遊び半分に見えたランナーと本気のランナーと、ずいぶん違うもんだと妙に感心したものだ。
剣山小屋で、生ビールを飲む仲間。こちらは酒は一切やめにした身。それでも、ジョッキを見れば涎が垂れる。哀れに思ったか、ジョッキを口の前に差し出してくれた。一口啜った。その美味かったこと。
ともあれ、こうやって念願の劔登頂を果たした。天候と仲間のお陰だ。感謝の言葉しかない。
テント場に戻って、テントの中からコーヒーを片手に劔を仰いだ。その充実感たるや、表現のしようがない。
<コースとタイム>  劔沢テント場発5:12-5:50剣山荘-6:20一服劔6:26-7:39前劔7:48-9:05カニのタテバイで渋滞待機9:16カニのタテバイへ-10:05劔岳山頂10:34-10:50カニのヨコバイで渋滞待機11:00カニのヨコバイへ-12:11前劔巻き道-13:19一服劔-13:53剣山荘14:20-14:50劔澤小屋14:54-15:06テント場着
 ここで紹介しきれなかった劔登頂の様子を
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