綿野舞(watanobu)山歩紀行2018
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8月5~8日 奥黒部 源流域を 大周回
黒部五郎岳2840m 三俣蓮華岳2841m 鷲羽岳2924m 水晶岳2986m 祖父岳2825m
富山市・長野県大町市・岐阜県高山市・飛騨市  地理院地図は→こちら 
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黒部ダムの観光客たちは、あのダム湖の奥をどう想像するだろうか。人跡未踏の険しい峡谷、人を寄せ付けない断崖絶壁、隔絶の地。そんな黒部の奥地へ足を踏み入れるなど、想像外のことだ。
先月、燕岳に上がって、高瀬川の谷を挟んだ対岸に奥黒部の山々が連なっている光景を見た。あの稜線に登山道があるという。そこに上がれば、想像すら及ばなかった奥黒部の地を見ることができる。あの峰の向こう側は黒部川の源流域。高山名峰が立ち並び、雲ノ平や高天原などという異郷の地。どんな地形で、そこに、どんな光景が広がっているのだろう。あの稜線を歩いてみたいと思った。
燕岳の1週間後、槍ヶ岳から大キレットを通って前穂高岳までを繋ぐ大縦走を敢行した。岩壁との格闘の連続だったが、その合間合間に、穂高連峰の稜線・頂から遠く奥黒部の峰が見えた。燕岳で覚えた鷲羽岳・水晶岳が目に付いたが、それらの峰の奥後方にひときわ大きな山塊がある。薬師岳だ。鷲羽・水晶の稜線と薬師との間には、尾根筋が波打ち谷筋が絡み合う不思議な空間がある。あそこが黒部源流域。
今回、その奥黒部へ入る。3泊4日で黒部源流の谷々を取り巻く峰を周回する。休憩を入れないコースタイムで1日9時間の長行程。体力勝負。来年のことは分からない、行くなら今だ。
  渡辺伸栄watanobu
7/18に奥穂高岳山頂から見た奥黒部の山々。拡大して見ると、三俣山荘も写っていた。三俣蓮華・鷲羽・水晶の稜線と薬師に囲まれたあの山域、秘境・黒部源流域に、今回いよいよ踏み入る。
<コースとタイム>
1日目(8/5)・・・折立P発9:40-14:22太郎平小屋着
2日目(8/6)・・・小屋発5:39-7:28北ノ俣岳-10:46黒部五郎岳11:03-12:58黒部五郎小屋13:31-15:26三俣蓮華岳15:32-16:19三俣山荘着
3日目(8/7)・・・山荘発5:44-6:52鷲羽岳7:06-10:03水晶岳10:50-11:36水晶小屋11:53-13:39祖父岳14:01-15:36雲ノ平山荘着
4日目(8/8)・・・山荘発3:17-5:47薬師沢出合6:38-9:37太郎平小屋10:22-13:44折立P着
1日目(8/5) 折立から太郎平へ向かう。登山口からすぐの太郎坂は急登だが、真っ赤に色づいたアカモノの実を見ながらそこを登り切れば、展望のいい高原になる。五光岩ベンチ付近の木道を歩く。先方、広くて平らな稜線の上に太郎平小屋が見えた。右に太郎山、そのさらに右が北ノ俣岳。草原には、イワショウブ、ミヤマリンドウ、オヤマリンドウ。陽射しが強く、下界の猛暑そのままだが、花の色にははや秋の気配も。 
太郎平小屋の前広場。目の前に黒部源流の山々が並ぶ。小屋に登山相談所の看板、窓口に係らしい小父さんがいた。写真左の大きな山を指差して「あの山は?」と尋ねたら、「あれは鷲羽、大きな羽を広げた形だ」と答える。「そうか、あれが鷲羽か」と感じ入って見ていたら、小父さんの隣りに立ってジュースなどを売っていた高校生らしい女の子が、遠慮がちに「あれは、水晶」と言う。「エッ」と聞き返したら、同じことを繰り返す。「あれは、水晶」。小父さんに反論するふうでもなく、淡々と。相談員も形無しの態。
地図と照合して、小屋の前から見える源流の山々を確認すると、左の大きい山はお嬢さんの言う通り水晶岳、そこから右へ長い稜線があって、三角の尖がりはワリモ岳、その右の山が祖父(じい)岳、その右後ろ隠れて一部見えるのが鷲羽岳。祖父岳の左手前の台地が雲ノ平。小屋の後ろに回れば、鷲羽岳の右に三俣蓮華岳、その右手前に黒部五郎岳、そこからさらに手前に北ノ俣岳、小屋のすぐ右後ろに太郎山と、明日から周回する山が全て見えた。
折立から5時間弱、大汗かいてここまで来たので、山を見ながら広場のベンチで生ビール。喉を鳴らして、「美味い!」と二人。「苦い!」と小生。アルコールと縁を切ってから2年、これだけ汗を流した後ならよほど美味いだろうと二人に付き合ってはみたものの、中ジョッキ1杯で瞳孔が開いてしまった。2日目以降は、小生だけ炭酸系飲料。こちらの方がよっぽど美味い。
2日目(8/6) 小屋の右すぐ後ろの太郎山に上り、反時計回りで周回スタート。まわり至る所にチングルマの穂。好期ならどれほどのお花畑だろうなどと想像しながら、なだらかな高原状の稜線を歩いて北ノ俣岳の山頂に立った。槍ヶ岳が見える。あの切れ落ちた鞍部が大キレットかと思えば、否、あれは飛騨乗越でその右は大喰、右端の尖がりは中岳だろうと、Unqさんの山見は確かだ。Youmyさんに隠れているのが黒部五郎。その右に笠ヶ岳、乗鞍、御嶽が並ぶ。3週間前に槍・穂高縦走で見た山を、今日は真裏から見ている。
北ノ俣岳を下って最低鞍部の中俣乗越を過ぎた辺り。チングルマの穂の向こうに、黒部五郎岳。遠くから見た目には嫋やかな稜線かと思いきや、近づけばなんとなんと結構ゴツイ顔をしていて、アップダウンもそれなりにキツイ。
この直後、黒部五郎から下ってきた登山人、アレッと呟いてサングラスを外した。見ればShinyaさん。我らとちょうど反対周りで最終日とのこと。奇遇と思ったら、我らの予定を事前に知っていて、最終日辺りに会えるかと楽しみにしていたらしい。たまたま同行者が途中の山小屋に忘れ物をしたので回収しほしいとの依頼。後刻、その小屋に立寄って、番人氏に事情を話すも中々固く、物品の細部を説明できない人に渡すわけにはいかないと言う。後日、当人から電話を入れるよう伝言を逆依頼された。本人確認できれば郵送すると言う。ま、もっともな話ではある。
黒部五郎は、山頂に立てば、その裏の顔が見れる。凄まじい力で抉り取られたカール。外輪山のような稜線からカールの底に下りて、只管下る五郎小舎までの道のりの長いこと。途中の水場で飲んだ水、これぞ黒部源流の水、腹いっぱい飲んで、さらにペットに詰め込んだ。
ようやく小舎に着いて、カレーで腹ごしらえ。小舎の後ろから三俣蓮華への道。そこはいきなりの急登。満腹の身のツライこと。三俣蓮華も、五郎に似て、こちら側からの見かけは嫋やかな山のようで、実は実は、切れ落ちたカールの上の危ういヘリ歩き。その上、山頂にはなかなか達しない長い道。そして、ようやくの山頂を越えて鷲羽側へ下れば、その形相の変わりよう。中々油断ならない山たちばかり。
三俣蓮華岳から三俣山荘へ下る途中、正面に鷲羽岳。いかにも鷲が翼を広げたような姿。前月、高瀬川の谷を挟んだ対岸の燕岳から、そして槍・穂高縦走の稜線から、何度も何度も見た山。並み居る奥黒部の山々の中でも目立つ山ではあったが、近寄って見れば、これほどまでに威厳のある山とは。明日、ようやくあの山に登れる。ワッシーと愛称で呼ぶ人もいるようだが、どうしてどうして風格のある山だ。
三俣山荘に到着して振り返った三俣蓮華岳。黒部五郎の山頂から見た穏やかな山容は一変し、岩の厳めしい頑固山に豹変したよう。あの山頂が、富山、岐阜、長野の三県境。
2日目の宿は三俣山荘。夕食はシカ肉のジビエ。野性の肉は、食用に育てられた肉と違って、基本的に不味いもの。だから、普通、レストランではスパイスやらハーブなどを効かして調理に時間をかける。山小屋では無理なのか、皆、珍妙な顔で食べていた。それでも、初め布団2枚のスペースに3人割振られたが、暫くして、3枚スペースの個室状の物置部屋へ変更となったのは、僥倖というべきだろう。
3日目(8/7) 鷲羽岳の斜面に登り付いた。遠目に見たよりは登りやすい道がついている。下に三俣山荘。上がる煙は登山人たちから毎日必ず出るあの廃棄物の処理だろう。山小屋の有難さが身に染みる。三俣蓮華岳はガスの中。
薄いガスの中に鷲羽岳山頂が見えた。山頂の左斜面のずっと下が黒部の源流点になっている。山頂の右下には鷲羽池が見えた。火口湖のようだ。この稜線は黒部川水系と信濃川水系の分水嶺。
鷲羽の山頂を越えた頃、ようやく空が晴れだした。目の前にワリモ岳の岩峰と水晶岳に続く稜線が長く伸びている。ワリモ岳の先に雲ノ平への分岐があって、そこにザックを置き軽荷で水晶にピストンする。
谷を挟んで対岸に燕岳から大天井(おてんしょう)岳への稜線が現れた。雲の切れた左端のピークが北燕岳と燕岳の山頂で少し右に離れたなだらかなピークが燕山荘だろうなどと、立ち止まってUnqさんと談じる。あちらから見た峰々の、どんなところだろうと憧れた稜線に今立っている。あちらから見てこちらから見て、稜線歩き。なんという贅沢。
水晶小屋に着いた。対岸に平らな山頂の野口五郎岳。そこを通る稜線が水晶小屋の真下へ繋がっている。これが裏銀座だとUnqさん。槍からこんなに離れていても銀座かと私。稜線談義は尽きない。
後刻、水晶山頂から戻ってきて小屋で休んでいたときのこと。その裏銀座から、重そうなテント荷を背負って小屋に向かって来る男女二人。小屋の真下の最低鞍部から急坂を上がって来る。見ているこちらがため息をつきたくなるほど、ゆっくりゆっくり、すり足で一歩一歩。ところが、気づいたら、いつの間にか鞍部から小屋へ上がってしまっていた。やはり山は一歩一歩だ。歩みを止めない限り、必ず目的地に達することができる。先を見ない、考えない。一歩一歩の今を楽しむ。マラソンも同じかもしれない。
あれが水晶岳の山頂。3週前、岩はもういいなどと言ってはみたものの、中々そうはいかない。ここも3点支持の岩攀じり。気は抜けないが、慣れたもの。
水晶岳は別名・黒岳。岩が黒く、遠目には黒い山に見える。山頂近くの黒岩に、白く光る筋が入っていた。それが水晶。だから、黒岳であり水晶岳でもある。
人気の山らしく、登頂者が続々と連なる。ところが、山頂で小1時間過ごしていた間、先の登頂者が下山し、次の登頂者が来るまでの間が空いて、数10分だろうか我ら3人だけの山頂になった。水晶の頂を独占。これもまた今回の僥倖。
水晶岳山頂から、赤牛岳に連なる稜線の右奥に黒部湖。ダムも見える。湖の左は立山、雲の間に時に剱らしい山も。
あのダムをOkkaaと観光したのは8年前。当時は登山を始めたばかりで黒部湖の周囲の山など、とてもとても想像外の領域。それが今、ここに立ってあのダムを見下ろしている。感無量としか言いようがない。湖の右は、雲で山の判別はできないが針ノ木岳がある。昨年泊まった種池テント場の稜線の続き。こうなると、針ノ木に登らずにはいられない。登りたい山がどんどん増える。
水晶山頂から。左の残雪の山が祖父(じい)岳。この山の噴火で流れた溶岩の台地が右方に広がる雲ノ平。台地の先、少し窪んだ辺りに山荘も見える。正面の雲を抱く山が黒部五郎岳。ここから見るとなんとも裾野の広い大きな山。あの左の裾の先の最低鞍部に黒部五郎小舎がある。どおりで遠かったわけだと、ここで納得。
水晶小屋でラーメンを食べるつもりが、生憎扱っていなくてやむなくカップラーメン。それでも十分に満足して、ザックを置いたワリモ北分岐へ戻る稜線。右手の先に槍。指差すか、手のひらで撫でるか、ポーズをもっとどうにかすべきだったが、後の祭り。後ろが越えてきた鷲羽岳とワリモ岳。こんなにガスが晴れて、槍様が現れてくれたのも僥倖。
祖父岳と雲ノ平は、周囲を黒部源流の深い谷に取り囲まれた隔絶の台地。鷲羽・水晶の稜線とは、ワリモ北分岐から岩苔乗越を通る細い尾根で、どうにかつながっている。その尾根を伝って祖父岳に登り始めた途中の光景。足下にチングルマの穂がそよぎ、黒部川源流の谷を挟んで鷲羽岳がそそり立つ。奥に槍ヶ岳。谷底に見えるのは赤岳の稜線。その向こう側の谷底へ、槍から崩れ落ちる何本もの白い筋。それらを真正面に見る絶好の位置。ここだけの絶景。
祖父岳の山頂は広い台地状になっている。暫く時間を過ごして、雲ノ平に向かって台地を降りようした直前、ハイマツの下に珍しくもリンネソウが咲いていた。別名メオトバナ。初めて見たのは2014年の白馬大池で、それ以来の2度目。発見はYoumyさんの偶然の所為。これもまた大僥倖。
雲ノ平へ下る。ゴーロ地形、祖父岳火山の溶岩台地であることが一目瞭然。直下にテント場があって、まっすぐ進めば雲ノ平山荘。が、そうは問屋が卸さない。直進は禁止され、道は右へ直角に曲がる。わざわざ台地の端まで行って崖の縁を通り、山荘まで大きく迂回するようになっている。雲ノ平の植生荒廃は酷いらしく、その保護のためとあればやむを得ない。が、疲れた登山人の足には酷。
雲ノ平で、親子連れの雷鳥に遭った。幼鳥というにはだいぶ大きくなっているが、4羽遊んでいて、近くの岩の上に母鳥が見張っている。人を恐れるふうは全くない。北燕で足下を走る雷鳥に遭って、次は子連れに逢いたいものと願ったら、ここで遭えた。これも僥倖。僥倖が続く、ありがたい。
特徴ある形の雲ノ平山荘。左が祖母(ばあ)岳。今回の雲ノ平山行はYoumyさんのリクエスト(だと、Unqさんは言う。ご本人は?という顔)。元々は奥ノ平といわれたくらい、隔絶の奥地・秘境。Youmyさんならずとも憧れる人は多いらしい。
初日のこと。有峰湖ビジターセンターに立ち寄った際、そこにいた夫婦連れの登山人が早口で情報を入れてくれた。我らと同じ日程、同じ行程、同じ山小屋泊を計画していて、事前に各山小屋に電話を入れたらしい。太郎小屋は予約必要、他は5人未満なら不要なのだが、ついでだったのか心配だったのか。その情報、三俣山荘は満杯状況、雲ノ平山荘は、昨日(8/4)は定員の倍近くで立錐の余地なし、8/7も布団2枚に3人寝ることになると。それでご夫婦、急遽予定を変えて、2日目は黒部五郎小舎にし、3日目三俣山荘、4日目は水晶はやめて雲ノ平は泊まらず、その後のことはよく聞き取れなかったが、多分、薬師沢小屋か太郎平小屋に泊まることにしたのかもしれない。とにかく、その情報で我等も少々慌てた。
Unqさんは車に積んであるテントを担ぐかと言う。が、寝袋も何もない。ま、最終日だからたとえ立って寝たとしても、翌日どこかで昼寝すれば何とかなるだろうと、意を決して予定通りの行程で進んで、いざ、その雲ノ平山荘に着いた。見れば、小屋の周囲、満杯の雰囲気は全くない。
小屋に入れば、張り紙があって、当面布団2枚に3人になるとある。その上、水がないので食事のお茶なし、個々に買った水を飲むようにと。う~ん、やはりかと思いきや、ところがどっこいの事態。実際に入って見れば、布団1枚にゆうゆう1人、隣のスペースは空き、その隣も。食事はお茶付き、その上、大きな土鍋で石狩鍋、その美味いこと。前日のジビエと雲泥の差。しかも、おかわり自由ときた。とかく人の話と言うものは・・・だ。おっとそれを言う前に、これを僥倖と言わずして何と言おう。感謝感謝、只管感謝。
4日目(8/8) 夜明け前3時過ぎに雲ノ平山荘を出た。三日月と満天の星空。いつ以来だろう久しぶりのランプ歩行、これはこれでいいものだ。2時間半歩いて薬師沢小屋の下の河原に着いた。川までの下りは標高差450mを一気に降りる急坂。大石の段差が大きく、大変な坂。我らと逆に回ったShinyaさん、さすがの健脚人もこの坂の登りには泣かされたとぼやいていたくらい。
ここは、黒部本流と薬師沢の合流点。小屋への吊り橋がかかるのは本流、鷲羽岳の源流点からここへ流れてくる水。清涼な源流の水。傍らの崖から滴り落ちる滝の水も本流に流れる源流の水。その水でUnqさんにコーヒーを沸かしてもらい、その温かさに三人でホッと一息二息。前夜もらっておいた山荘のお握り朝食をここで摂る。
ややあって、吊り橋を渡って河原へ下りて来る団体。我らのそばに来ても目を合わせず、挨拶も無し。どこか雰囲気が悪い。言葉を聴けば近隣の外国人。インバウンドもここまで来るのか。救いは付き添いのガイドたち、これも外国人のようだが、さすが登山人らしく愛想のよいふるまい。山に素人のインバウンドならしかたない、大目に見るか。
登山道は薬師沢に沿ってほぼ水平に進み、沢を三度渡ってから太郎平へ標高差200mを急登する。急登前の三つ目の渡渉点で大休止をとった。河原の大石の上に仰向けになって空を眺めたら、この景色。「盛夏の頃は裸体で仰臥して雲を眺めるに如かず」と、大好きな文章が浮かぶ。どこかの精神科医の文で、この後確か「人生をあまり重く考えない方がよい云々」と続いたはず。行き詰った人への処方箋らしいが、行き詰ってなくても、しょっちゅうそうやって来た。かつてはアユ釣りの河原で、今は標高2000mの山中で。
太郎平に上がった。目の前に雄大な薬師岳。今回、この山はスルー。と言っても、通過でもないし、無視でもない。どう言えばよいか、なかなか難しい。横目で指をくわえながら、今度必ず行くからねー。否否、正面から何度も見上げた。もう1日あれば行きたかった。1泊日程でいつでも来れるからとUnqさん。この山の奥は立山に通じて、途中五色ヶ原という秘境、その先には佐々成政の「さらさら越え」で知られたザラ峠がある。どうせなら、1泊と言わず、立山まで歩いてみたいもの。そう言えば、針ノ木岳と蓮華岳の間の針ノ木峠も「さらさら越え」のルート上。歴史と山は繋がる。
それはさておき、源流の山々を周回して3日ぶりに太郎平小屋に戻った。初日の女の子が同じ場所に立っていたので、「あなたの言ったとおりだった、あれは紛れもなく水晶だった」と伝えたら、さも当然というように頷いて笑顔を返してくれた。あの小父さんはとうに姿を消していた。それにしても、登山の相談に応じる人が山を間違えてるとは・・・。あのお嬢さん、そのための御目付だったのかも。そんな気がしてきたぞ。
太郎平から下る途中、1日目には全く見えなかった立山がくっきり見えた。中央の尖がりは剱岳で、その左斜面は早月尾根。去年登った前剱の尾根は、右側正面ということになる。カシミール3Dのカシバードで見ると、写真の右端が雄山のある立山で、手前の龍王岳と浄土山が被っている。薬師から五色ヶ原の道は、あの山に繋がることになる。ザラ峠はその手前の鞍部のようだ。立山と剱の中間が別山で、立山の奥の方へ別山に繋がる長い稜線があることになる。剱の左の大きな台形は奥大日岳で、左端が大日岳。その手前の長い斜面が弥陀ヶ原で観光道路も見えた。ここから立山は近い。
下山する富山平野は一面の大雲海、遠く白山が雲海に浮かんでいた。雲海は有峰湖の上まで上がってきたようだ。折立まで下山したら、案の定そこは雲の下。車に乗り込んで下り始めたら雨になった。この雲の上に天空界のあの光景があるなどと、山に登らずに、誰が想像できるだろうか。4日間、天空界では一度も雨無し。カッパを出すこともなかった。これもまた、大きな僥倖。有難い限り。下界に降りて、1ヶ月ぶりの雨。連日の猛暑に耐えた身にはなんとも有難い雨ではあった。諸々のことに感謝して、4日間の奥黒部の山旅が無事終了した。今回もまた、素晴らしい山旅、同行のお二人のお陰。
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