綿野舞(watanobu)山歩紀行2019
綿野舞の記TOPへ
10月14日 ご縁あり お薬師参り立て続け
嶽薬師391m 新潟県村上市 朴坂山438.2m 新潟県関川村  地理院地図は→こちら 
~山歩紀行目次へ~
前回は越中一万尺の山上、今回は近郷一千尺の山上。山の高さは違ってもお薬師の霊験あらたかならんと手を合わす。入院8ヶ月となり最近容体悪化で集中治療室にいる母の、今日が98歳の誕生日。薬師如来は医療の仏、一日一日命を繋いで頂きたいと祈る。昔、難問多発の身だった頃は、どうか一日平穏にと神仏に祈り、それも無理と知ると、我に七難八苦を与え給え、それを乗越える知恵と勇気を授け給えなどと、山中鹿之助ばりに毎朝祈ったものだがその後安穏の身になって、すっかり絶えていた困ったときの神頼み。もっとも薬師参りのために阿賀北山岳会の会長と事務局長に同行いただいたわけでは決してない。19日に予定されている公民館登山がたまたま薬師山から朴坂山縦走になっていて、今日はそのための下見登山。薬師参りが重なったのは偶然のご縁、これも僥倖の一つか。ただし、昨日、各地で大被害をもたらした台風が去ったというのに、一過とならず今日も雨。どうやら天気の僥倖は我ら使い果たしてしまったらしい。台風被害の皆様には心からのお見舞いを申し上げます。
 渡辺伸栄watanobu
 
登り始めて40分弱、標高250mを越えた辺りに巨木「小岩内の姥杉」、樹齢850年とある。株立ちの杉数本がくっつき合ったようにも見えるが、説明書きには、萌芽性の杉で地上1m辺りで幹が分岐したのだとあった。萌芽性の巨杉なら我が山林の隣地にもあるが、さすがこの姥杉にはかなわない。
薬師山山頂の御堂。山高山は医王院の山号。この御堂は元禄14年の建立とあるから318年前になる。創立は大宝年間だから1318年位前。途中の登山道が深く抉れていたことからして、相当の数の人が登ったに違いない。太古から多くの信仰を集めた山だと知れば、なお祈るにしくはない。
先を行くIkeさんが振り返り、「この白い花は何?」と尋ねる。「エーと、オク、オク・・・」とその先が出ない。後から来たUnqさん、すかさず「オクモミジバハグマ」と答える。うーん、もう少しで出たところなのになー。
薬師山と朴坂山の間には「あこや谷」という深い谷がある。ここに棲む大蛇を取って味噌漬けにしたことから、あの有名な大蛇伝説が始まる。関川村の山岳渓流地図には、薬師山から朴坂山への登山道がある尾根を挟んで両側、つまり村上市側と関川村側の両側の谷をあこや谷としている。二つのあこや谷に挟まれた尾根は薬師山から続くミクラ山399mから一気に100m下り、297mの最低鞍部から朴坂山へ140m程一気に登り返す。下りも登りもきつい傾斜で、まるで崖を攀じ登るような箇所もある。さすがのIke会長もやや息が上がり気味だった。
朴坂山山頂。この山、低山ながら知る人ぞ知る山。なんと一等三角点があるのだ。そんじょそこいらにある三角点とは格が違う。 
 
朴坂山山頂の展望台から、杁差岳と飯豊本山。雨予報なので一眼の愛機は置いてきた。スマホのカメラは、望遠となれば一眼にかなり劣る。それはそれとして、前回の越中薬師山行は、天気さえよければ本来はあの飯豊へ行っていたはず。雪の降る前に一度飯豊の紅葉を見に行きたいものだが、さて。
朴坂山山頂からは、女川左岸の見事な河岸段丘を俯瞰することができる。女川上流から引いた用水一本が、これ程の豊饒の大地を生んだことに感嘆しきり。現在耕地整理の真っ最中。母の病院へ通うのに神納平野の水田地帯を横断する。そこも見事な豊穣の大地。一面の穂波を見るにつれ、こんなに米を作ってそれほど食べる人がいるのだろうかと、妙なことが心配になるほど日本全国に主食の米がいきわたっている。国民を飢えさせないことが政治の基本とすれば、我が国農政の成果がこの光景にあると、見えなくもない。そんな気がしてきた。 
 
ツルリンドウの咲く朴坂神社。ここはお薬師様ではなく光兎神社の分社。どうにか雨が本降りになる前に下山できた。「Ike会長のスピードが、普段は・・・」とここまで言いかけて躊躇していたら、すかさずUnqさんが引き取って「普段は恨めしい⁉」と代弁、だからそれに乗っかって「でも、今日ばかりは、ありがたい‼」 
 
我らがアイドルTamuちゃんへのお土産。クサギとはまたストレートな名をつけたもの。
<コースとタイム> S小岩内登山口8:34-9:25立岩-9:36嶽薬師山頂-10:10ミクラ山-10:23最低鞍部-10:51朴坂山山頂11:02-12:08G朴坂集落着
ページのTOPへ