綿野舞(watanobu)山歩紀行2019
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10月26日 古道行く森の恵みの文化祭
長峰山(杉王山)麓の古道 最高点100m 新潟県関川村  地理院地図は→こちら 
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関川歴史館を会場に2日間の国民文化祭。テーマは「森の恵み」、木の実を食べたりドングリで遊んだり、勾玉作りに木の枝パチンコなど多彩なブースあり。私の担当は初日午前が古道探索、午後と2日目は笹舟で遊ぶ+竹細工。古道のテーマは「里山の産業廃道と巨木を訪ねる」ということで、まずは半日健脚連と藪漕ぎ歩きして、株杉の巨木の下で記念撮影。さて、この巨木はどこにあるか?というと・・・
 渡辺伸栄watanobu
歴史館を10時に出発して12時にはそこに戻らなければならないので、2時間の山歩きコース。地理院地図の廃道破線を辿る。そこはかつて林業や開墾畑作のために造られた道で、いわば産業廃道。山道入口から藪中に入る。整備されれば軽トラが登れるだろうというほどの道は、河岸段丘上の標高100mの台地上に繋がる。背丈ほどのある笹藪を掻き分けて進むと杉林内に入り、道の痕跡は失われた。手入れされず荒れるに任せた林中、茸を発見して大喜びの人。果たして食用かどうか保証の限りでないが、大丈夫大丈夫と言う人に敢えて反論する根拠もない。やがて、関川中学校裏手の段丘端に出た。ここはかつて開墾畑だったが、今はその痕跡すらなく薄暗い杉の林。段丘崖につけられた九十九の道はその頃の農業道。ここも見る影もなく崩壊状態。今から60年ほども前、当時の中学生はこの坂道をよく登った。部活の鍛錬、昼休みの遊び、美術の写生。当時の中学生2人、懐かし気に語る思い出話。坂の上の崖の端からは海も見えたものだと。あの頃の春秋、子どもの遊び場はこの辺りの山の中だった。ほとんどが明るい柴木と雑木の里山だった。里人の燃料源の山。あれから思えば、山は荒れた。至る所に杉が植林されて、凄まじく山は荒れた。
ここが歴史館国民文化祭の主会場。ボツボツと各ブースに人が集まりだした頃、帰着したらとびきりの栃餅を用意しておくので12時には戻るようにと、歴史館館長さんの訓示を受ける古道隊の出発式。
壺中天ならぬ、藪中茸あり。あれから2日経っても当たったと聞かないから多分大丈夫だったのだろう。なにしろ身は心以上に逞しい藪漕ぎ族。
これが株杉の巨木。14日に登った嶽薬師に姥杉という名の株杉の巨木があった。樹齢800年のあれが大関クラスなら、これは前頭クラスか。この後、我が山林の山桜の大木も見てもらった。桜としてはそれも前頭クラスだろうか。ただ樹齢はずっと若い。多分持主と同年齢位。ともあれ、こうして予定通りに歴史館に戻って、栃餅頂戴。とびっきりの美味しい餡子栃餅だった。
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