綿野舞(watanobu)山歩紀行2019
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12月22日 見渡せば 登った山はオレの山
牟礼山616.4m 新潟県胎内市・関川村  地理院地図は→こちら 
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冬には珍しく陽射しの暖かい日、盆地の底を流れる荒川の土手を走る。見渡せば盆地の縁は山また山。登った山を数えながら走る。あれは登った、これは登った、あそこはまだだと。登山道のある山はほとんど登ったはず。残っているのは、牟礼山という名の山。大体の位置はわかるが、どの山がそれか指さすことができない。それほどに目立たない山。高さもない。だから今日まで後回しになった山。今回ようやく行ってみれば、これほどの山をなぜ後回しにしてきたのかと悔やまれた。否否、冬枯れのこの時季だからこその感慨なのかもしれない。登るべき時に山はちゃんと待っていてくれる。
 渡辺伸栄watanobu
標高410mほどの尾根筋に出てやや展望が開けたと思ったら、この光景。朝霧の中の鍬江沢川流域。左に朴坂山、右に大平山の山塊。
標高430mほどの尾根道が続く。昨日一昨日の雨がここでは雪だったのだろう。サクサクと気持ちの良い尾根歩き。この一年、難儀な山をいくつもこなしてきた3人。こんなのんきな山もいいもんだねぇと、いつもの緊張感とは程遠い表情。このすぐ先に急坂のロープ場があって、標高を一気に100mほど上げる。
尾根の道に点々と落ちていた、この真っ白い小木。地中の部分だけ、細根の先端まできれいに皮が剥ぎ取られている。誰の何のための仕業かと首を傾げながら進むと、雪の道に兎の足跡。ははぁ~んと一考。これは多分、兎が小木を掘り抜き、根の部分の皮をあの前歯で剥いで食べた跡に違いない。地上部には一切歯をつけてない。地上部と地中部では栄養価が違うのだろうか。それとも厚みか、あるいは軟らかさか。それにしては、兎なら細根の先くらいは噛み切ってしまうはず。ならば、これは鼠の仕業か。などと、道々この白い小木を拾っては、しげしげと眺めながら歩く。長閑な長閑な山歩き。1本持って帰って、さぞ珍しかろうとOkkaaに渡したら、ああそうと一瞥されただけ。
急坂を越えて山頂近く600mの高さまで上がったら、この光景。左に光兎山と頭巾山、その後方の白嶺は以東岳で右端の大朝日岳までの稜線がくっきり。足下は大石川の谷。光兎と頭巾の間が意外と長い。来年こそあの峰に上がることができるか。
山頂に到着した。目の前に朳差岳。その後方に鉾立峰。右端に続くのは二王子岳。朳差の左方に、いつも目にするのとは全く違う形の大境山。そこに続く葡萄鼻からの尾根も見えた。残雪期ならその尾根を通って大境山の山頂に立てるという。いつか足跡を標したい。朳差岳の上方、雲が薄れ陽が射し始めた。
山頂の風を避けようとUnqさんが担いできたテントを張った。先行者が1人いて既に下山していったが、この後、登頂者がきても邪魔にならないようにと山頂の片隅に寄せた。二人の後方にわかぶなスキー場。後続者は結局皆無だった。2時間弱で手軽に登れて、その上この眺望、もっともっと流行ってもいい山。春になれば、登山道はイワウチワのフラワーロードになるはず。
テントの中は山頂焼肉亭。Youmyさんのザックには、黒毛和牛と朝日豚の高級肉がたっぷり。さらにまた、3人分のおにぎりや孫のIbu君が焼いたというサツマイモまで。そうこうするうち、山頂の風は止んで、温かい陽射し。テントの中はホッカホッカ。今年の山行もすっかりお世話になった二人。お陰で数々の山を歩き、一つ一つが貴重な体験になった。そして今日、これまたお陰様で2019年を締めくくるいい登り納めになった。せめてものお礼にと自家焙煎のコーヒー豆を挽いたのだが、お湯を注ぐ最中ひっくり返して大慌て。テントに入る前には、3人一緒に写ろうと三脚に据えた一眼レフのタイマーセットの仕方がわからずじまい。せっかく三脚を担いできたというのに、コーヒーといいカメラといい、今年も最後まで山ドジ。
お腹を満たして外に出ると、朝日連峰の右端に祝瓶山がくっきりと見えていた。大朝日岳と以東岳の間に中岳、西朝日岳、竜門山、寒江山が目立っている。あの峰々は未踏。朝日連峰縦走の日もそう遠からず来るだろう。
山頂で2時間半近く過ごしている間に空はくっきりと晴れ、朳差岳に繋がる峰々が鮮やかになっていた。西俣、東俣の尾根、鉾立峰につながるアゴク峰、門内岳につながる二ツ峰、鉾立の先に見えるピークは地神山のようだ。朳の手前の黒い山は、牟礼山から尾根続きの一本松。右方の横長の尾根は鳥坂峰のようだ。この峰へは胎内ダムからの登山道がある。
テントを畳んでも立ち去り難く、いつまでも周囲の山々を見渡した。最後に二等三角点を前にして3人で記念撮影。一眼カメラはあきらめてスマホのカメラを雪面に刺した。
後日、地理院の基準点閲覧サービスで、この三角点の「点の記」を見ると、明治38年設置時作成のままの縦書き手書きだった。多くの三角点はGPSタグを埋め込んだ時点で書き換えがなされているらしく、横書き活字に変わっている。そんな中では、貴重な三角点。「点の記」の、ここの点の名称は「持倉」。所在地として、黒川村大字持倉字大沢、俗称牟礼山となっている。縦書きの原初の「点の記」には、三角点を設置するにあたって材木をどこでいくらで購入したとか傭人の給金35銭などと細かいことが書いてあって興味深い。書き換えられた横書き活字ではその辺りのことは一切省かれてしまっていて、甚だ情緒に欠ける。
因みに牟礼山を、土地の古い人はモレ山と呼ぶ。モレはモリに通じ、モリ・モレ・ムレは、元来同じ意味の言葉の変化らしい。東北地方で土地の盛り上がり、つまり山をモリと呼び、森の字を当てているのと意味は同じ。だから、何やら奥深い意味のありそうな牟礼の字は、単なる当て字ということになる。
<コースとタイム> 登山口発7:48-9:35山頂11:55-13:09登山口着 
これまでどの山が牟礼山か山座同定することができなかった。今回登ってはっきりした。関川村の盆地から、方角としては二王子岳と朳差岳の中間に見える。知ってしまえば片側が切れ落ちた特徴ですぐに同定できる。荒川の土手の上から確かめたら、何のことはない、ドームから大島往復10㎞走の間ずっと見えていた山だった。山は登ってみなければ分からない。これで牟礼山も完全にオレの山。それではということで、この機会に、故郷の踏破した山、未踏の山を地図に落としてみた。
は登山道のある山、は道がない山。黒の山名は登った山、赤の山名はまだ登ってない山で、できればいつか登ってみたいと思いながら眺めている山。標高で示したのは無名の山。荒川の土手沿いに大島から丸山大橋の間を走ると、高知山と倉手山と大日岳を除き、これらの山々を見ることができる。大朝日岳も、女川流域でただ一か所見える場所があるのだが、この地図には入れてない。 
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