山の記 2020
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3月29日 葡萄鼻へ 老若男女の冒険王
葡萄鼻山 最高点804m 新潟県関川村  地理院地図は→こちら 
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「せきかわ冒険王クラブ」は村の教育長肝煎の活動で、我ら阿賀北山岳会は、このクラブの登山のお手伝いをしている。公民館の登山事業や歴史館の古道歩きのお手伝いを含めて、我らの会の社会貢献というわけだ。村から何がしかの謝金が出るから、それを我らの会の活動費に充てる。一緒に登山を楽しめるし、一石二鳥というわけだ。が、主管者としてそれなりの責任はある。だから結構気を遣うし体力も使う。「無事」の二文字が最大の使命。楽しかった、面白かった、登ってよかったと言う参加者の笑顔が我らのやりがい。一人でも多くの人に山を楽しんでもらえればそれで十分。一石が三鳥にも四鳥にもなるお手伝いというわけだ。これぞボランティアの心意気。
 渡辺伸栄watanobu
3日前の下見は快晴。ところが本番前夜に降雪。山は白一色。時ならぬ春の雪山。これはこれで「冒険王」にふさわしい山登りとなった。山の冷気にキリッと身がしまる。
標高500m程にある「梁山泊」という名の山小屋に着いた。ここから先は厚い残雪の上を歩く。ローカットの靴に雪が入らないようにと即製のスパッツを巻くように勧められた人。何を着けても似合う人というのはいるものだ。弁当包みのビニル風呂敷を貸してくれた人。いつの場合も機転の利く人というのはいるものだ。スパッツとはズボンの下にはくタイツのことだと思っていた人。いつの時も勘違いというのはあるものだ。紛らわしいので、これからはゲイタ-と言うことにしようではないですか。
残雪のダケカンバ林を進む。ダケカンバの別名が草紙樺で、この辺りを地元ではシカバ平と呼ぶという。紙樺の木とも言うと。薄く紙のように剥げるダケカンバの幹の皮に文字を書いてラブレターにしたというのは、いつの時代のことか。古雪が固く締まって、その上に軽く積もった新雪。急斜面では要警戒の状況だが、このくらいの緩斜面だと逆に最高の気分で歩ける。
いよいよ葡萄鼻山の尾根に登りつく。ここは斜度30度の急斜面を直登する。新雪の下に残雪はなく、土が滑る。立木につかまらなければ到底登れないほど。最大斜度の斜面には、用意してきたクライミングロープを垂らした。このロープ、登りもさることながら下りでの効果はてきめん。ほうほうの態で登った斜面を帰りにはあっさりと下って、意外と近かったねなどと安堵の笑いを見せる人。
急斜面を登り上がれば葡萄鼻山の山頂稜線。屏風のように上辺が平らになった山の形、この地形がブドウの名の元らしい。地名辞典にそう出ていることをネットで知った。ついでに、そういった地形が風を受けやすく、鉱石を溶かす炉を設置するのに適していて、だから葡萄の名の付く山には鉱山が多いのだとも。また、葡萄の房の形に鉱脈がつながるからとも。葡萄鼻山の周囲にも鉱山跡がある。地名の謂れはなかなか含蓄があって興味が惹かれる。平らといっても10m前後の凹凸を登り下りして山頂三角点を目指す。標高は800mに近いから、いい感じで冬山登山の雰囲気が味わえている。
その山頂稜線にマンサクの花。快晴の下見時と違って、寒気の中、未明までの雪を被っていかにも寒そうに咲いていた。今回の冒険王クラブの登山テーマは、残雪に咲くマンサクの花を見ることにある。雪の山で一番に咲いて春を告げる。地味な花だがこれを見つけたときの嬉しさは、長い冬に耐えた雪国の人間でなければ分かるまい。しかし、無雪の今冬を過ごした身に例年の感慨は薄い。たくさん花がつく年は豊年満作とも言われる花だが、さて今年は?
どの山も必ずあるのが山頂の憩い。彼のゲーテはいみじくも「なべての頂きに憩いあり」と言った。深田久弥はそこから持ってきたのだろう「百の頂きに百の憩いがある」と書いた。登山びとは、この憩いを得るために山に来る。やすらぎのひととき。 
一つの頂きでも十人いれば十の憩いがある。ずっと昔10代の終わりに山登りを始めたのに、部室が隣のワンゲル部に入らなかったのは、あの頃の雰囲気で山男たちといえば、山小屋でも山頂でも輪を作り飲んだり食ったり歌ったり大言壮語、それが嫌だったから。近年になって山登りを始めたら、山男も山女も静かな人たちが多く、昔のあれは私の誤解か偏見だったのだろうか。とまれ、現代の自立した人々のいる山は好ましい。たまにおしゃべりに来たのかと言いたくなる団体や個人がいて閉口するが、それはほんのたま。耳に栓して存在を無視するだけ。 
下山を前に登頂記念撮影。冒険王を以て任じる老若男女。最若手は8歳、最高齢は80歳超。平均年齢不明。カメラマンが入らないのは、どのTV番組でもそうであるように宿命。いずれドローンでその宿命を打破しようと目論んではいる。 
この少年、若年とはいえ侮るべからず。数年前、なんと飯豊連峰を完全縦走したつわ者。実績といい寡黙さといい、すでに一丁前の登山びと。寒気が去り始め雲が上がっていく。眼下に故郷の関川村盆地を一望する。山頂稜線の端っこのここが、この眺望の見納め場。青空も薄く見え始め日本海まで見えてきた。ギリギリセーフ、良かった‼ 
翌日からまた暖気の晴天日。登山の2日後、土手を走っていたら葡萄鼻山がきれいに見えた。いつも手に持って走るスマホで撮って即Lineに上げたら、どれが登った葡萄鼻山だ?ということになっていた。それで夜、山名を書き込んで再度UPしたら、かつての山女さんから朳も飯豊も大境もなつかしいなつかしいの連発。登った山を眺め只管山を想うOB・OGも立派な登山家だと本田勝一の本だったかに書いてあった。ヨーロッパでは Armchair Mauntaineer と呼んで尊敬されるのだと。ソンナヒトニワタシモナリタイ
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