山の記 2020
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4月14日 古道ゆく 峠越えれば春の花 
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歴史館の古道探索、道なき道の藪漕ぎは結局ダニとヒルの猛攻に如何ともし難く、撤退となって今年は旧米沢街道の十三峠を全踏破する企画になった。次の土曜日18日はその一回目で、越後側からの第一峠・鷹巣峠と第二峠・榎峠を越える。今日はそのための下見。当日、館長代理を務める学芸員のTamuちゃん、張り切って新調した登山靴を履いてきた。その日に備えてウォーキングも欠かさなかったとか、見上げた職業魂というもの。その甲斐あってか、下見も峠二つ快調ペースで越えた。この季節、峠の道は明るく、行く先々に春の花が待っていてくれた。カタクリ、ショウジョウバカマをはじめ、ヤマザクラに、モミジバイチゴに、テングスミレに、イカリソウに、ヤマネコノメソウ、まだ蕾ながらオオイワカガミの大群落、予想外だったのはヒトリシズカの群落。まだ咲き始めたばかりで葉の間からちょこんと出した頭が愛らしい。もっと意外だったのは、ルリソウ。村内の山中で一ヶ所だけ見たことがある、滅多に遇えない花。それが道端に群落になって咲き誇っていた。18日の参加者には見ていただける。そして、当日はTamuちゃんのデビュー戦、どうか晴れますように。
 渡辺伸栄watanobu
旧米沢街道十三峠の道は、大永元(1521)年に、当時米沢の領主であった伊達稙宗(たねむね)が大里峠を開削したことに始まり、明治18(1885)年に国道113号線が開通するまでの360年間、越後と米沢を結ぶ重要路であった。
その間、どれほどの人々がこの道を歩いたか、どれほどの荷がこの道を運ばれたか。あの良寛様も文政4(1822)年秋に、この道を歩いて米沢に向かった足跡を漢詩二編に残している。そして現在、国道開通後135年もたっているが、その道は荒れることなく残っている。稀有のことといってもいいのかもしれない。
越後側からの第1峠は鷹巣峠。上の地図でS1から山道に入るが、間もなく林道に出る。200m程林道を歩いて再び山道に入り標高130m程の峠を越す。峠は尾根筋を断ち切った切通になっている。谷筋に下ればそこは谷地田の廃田跡。登りの山道はすぐにまた林道と合流し、2度目の峠は林道上にある。ピークを越えれば林道と別れて山道を下り、JR米坂線トンネル出口の上を通って国道工事の現場の中を抜け、国道113号に出る。G1からS2までは国道113号の歩道を歩く。
今は、鉄道をトンネルの上で越えて国道へ出る道になっているが、本来は、鉄道に沿う形で道があって大内渕集落へ出ていたはず。そこには羽越国境を固める番所が置かれていた。
S2が榎峠への入口。国道から急階段で山道へ入る。峠への途中、水流で削られた箇所や南側(進行方向右側)が急傾斜になった斜面を横切る箇所があって、それほど危険個所ではないが山道不慣れな人にとっては要注意箇所。
榎峠は、先ほどの鷹巣峠以上に大規模な切通となっていて、台地状に均された地面に石仏が建っている。峠の地蔵という趣。ここは、戊辰戦争の古戦場、戦死者も出た激戦の地。台地状のそこは、多分陣地が築かれた跡かもしれない。峠に立って暫し往時を偲ぶ。峠を下った標高125m程の中腹には無名戦士の墓が建てられている。道を下れば、沼集落の入口G2に出る。沼集落にはかつて宿場が置かれていた。
ここまでが、今回の踏破ルート。

<タイム> S1発8:25-8:54鷹巣峠①-9:05鷹巣峠②-9:24G1-9:37S2-10:27榎峠-11:15G2着

つとに名高い旧米沢街道十三峠だが、個人で歩くとなると交通手段に難点がある。登山なら登山口に置いた車に戻ればいいだけだが、峠歩きはそうはいかない。こちらとあちらに2台必要になる。その点、村のバスが使える今回のような企画は峠歩きには絶好のチャンス。ぜひこの機会に村内の方々大勢参加していただきたいものだ。
コシノコバイモ。Tamuちゃんは花をよく見つけた。カドメの良い人だと思ったら、翌日脚ならぬ首が痛いとおっしゃる。理由は、緊張して下ばかり見ていたからとのこと。本格的に山道を歩いたのはどうやら初めてのことらしい。それだけに新鮮さがあったのだろう。花の姿かたちにいちいち感心し、花の名を教えるとそれにまたいちいち感心。山に登り始めた頃Yoko長老から花の名を教わり、一生懸命それを覚えようとして音声録音までやった昔を懐かしく思い出した。あの頃の新鮮さを忘れかけていた。
綺麗な形の花ですねぇとカメラを向けるTamuちゃんに、イカリソウなどどこの山にもある花だなどと、すっかり気持ちがスレていたことを思い知らされた。(Tamuちゃん撮影)
ここがJRのトンネルの上。トンネルの上を渡るなんぞは滅多にない経験。ここのところに、ヒトリシズカの群落があった。私もこの花の自生群落を見るのは初めて。
榎峠への国道113号からの入口。各所にこのような案内看板が立っていて、実に分かりやすくなっていた。大事に守る人たちがいてこその135年。
峠へ向かう途中、道端に紫の花の群落。遠目にタチツボスミレかなと思い、近づいてよく見ればルリソウ。これはびっくり。珍しい花ではなかったが盗掘されて村内外近辺では見られなくなったのだと聞いた。これまで見たのは朴坂の滅多に人の行かない山中だけ。
庭のワスレナグサとそっくり。ルリソウ、ヤマルリソウ、エチゴルリソウとあるそうだが、違いはよく分からない。ルリソウでいいじゃないと、花も言っている。紫の綺麗な花だ。どうか盗らずにこのままにしておいてほしい。山の花は山で見る方が美しいのだから。
榎峠。尾根を7~8mは掘り割ってある。まさに峠の開削というのはこれのこと。重い荷を担いでこの尾根を越えることを思えば、いくらかでもなだらかにしたかった思いが伝わってくる。中世の山城を築く技術からすれば尾根を一つ切り削るくらいは朝飯前か。
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