山の記 2020
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9月22日(火) 栗駒や 友に引かれて頂へ <東北山旅3日間の3日目>
栗駒山1626.5m 岩手県一関市・秋田県栗原市 地理院地図は→こちら
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1590m付近まで登って、山頂まであと40m。Okkaaはここまでで目一杯「もうここでいい」と言う。二人だけなら「じゃ、後からゆっくり来い」と言うところ。Keynさん、やおらストックの片端を持って、引っ張り始めた。イッチニッ、イッチニッと声かけながら。傍らでUnqさん不審顔、「それでホントに楽になるのかな?」と。私も同感で、ならば試しにと引っ張ってもらったら、それが案外に楽。お陰でOkkaaは難なく山頂に到達。その喜びたるや。寄らば大樹の陰、持つべきは友。
 渡辺伸栄watanobu
時間は朝に戻って、登山口の須川高原温泉の駐車場。バックに秀麗な山。昨日までずっと岩手山の周辺にいたので、200㎞も南下したことに意識が追い付かず、あの山は岩手山で向こうが北方向とばかり思い込んでいた。後で分かったのだが、バックのあの山は鳥海山。だから、向こうは西と分かったのは、登山を開始してしばらく後。
登山口には、温泉の川。白く濁った独特の湯が惜しげもなく流れている。6年前に栗駒に登った時は、下山後入浴した。Youmyさんがいかにもいたずらっ子の表情で、何を見ていたのかは今もってナゾ。
名残ヶ原には紅葉が降りてきていた。Unqさんの笑顔がこんなに度々写っている山行は、多分、前代未聞にして空前絶後。
ルートには徒渉地点が2ヶ所。どちらも割と大きな沢で、大雨だとこのルートは閉鎖になるという。下りの、その1ヶ所で先頭の小生がスリップ。たまたま後ろに続くOkkaaの足に身体が引っかかって、川中ダウンを免れた。悪いことに後続の3人には丸見え。夫倒婦支の現場を目撃したと、大喜び。Unqさんの顔はますますタガが緩むのでした。
後ろから追い越してもらった屈強の登山人が、あの山は鳥海だと言って、それで一同、アーソーカと200㎞南下していることに、気がようやく至った次第。もっともKeynさんはそれを聞いて、岩手山にしては形が少し違うと思っていたのだと宣う。駐車場でそれを言っていれば、株はいやが上でも上がったのにと惜しむUnqさん。笑いは何があっても止まらない。
冒頭の引っ張り場面の8分後、先頭で山頂に到着して、この表情。
で、何はともあれの登頂記念撮影。オートタイマーをセットして駆けつける撮影人のための席を真ん中に空けてくれていた。
こちらは、真の北方。すぐ目の前に焼石の山塊、その肩にちょこっと顔を出したのが、真の岩手山。とすると、左方奥のは真昼や和賀の山塊だろうか。だとすれば、まだ見ぬ山 
ぐるっと向きをかえて、鳥海山をバックに。岩手山と間違えたことを謝りつつ。 
ここからはドローン。足下の昭和湖、賽の碩、名残ヶ原、そして登山口の須川温泉、ずっと左の先にキャンプした須川湖。山肌に紅葉が始まっている。今年の紅葉は遅いらしい。
栗駒山山頂、三々五々の登山人。 
天狗平。6年前は昭和湖から天狗平を通り、眼下の道を登った。あの時は、紅葉真っ盛りで、眼下のここは赤一色だった。 紅葉で名高い栗駒でもかなり特異な年だったらしい。
山頂に憩う一行に、空中からご挨拶。 
下山時のノリウツギ。夏の変哲もない花でも、この時期となれば人目を惹く。裏返って赤くなる不思議な形態。 
これは多分、ズダヤクシュ。地味な植物だが、この草の葉もこの時期になれば、なかなかのグラデーション。
下山は賽の碩コースへ。荒涼とした光景の中を歩くのも味わいあるもの。
賽の河原をなぜ賽の碩と書くのか、6年前に来た時、調べたような気がして当時のHPを見てみたが、碩は大きくてすごいの意とか書いてあって、結局当時も分からなかったようだ。
そんなことはどうでもいい人たちは、とにかくよく笑う。3日間、笑い続けたよう。とにかくみんな、いい笑顔。こんな写真をとったのは初めてのような気がする。いや間違いなく初めてだ。前代未聞であっても空前絶後にはしたくない。
<コースとタイム> 登山口発6:46-7:13名残ヶ原-7:31昭和沼分岐-9:17産沼-10:07山頂11:15-13:17賽の磧分岐-13:53下山口着 (昭和湖のルートは火山ガス発生で閉鎖中) 
YouTubeはこちら⇒ 第2部 栗駒山
Unqさんの山行録は ⇒こちら
※ Unqさんの山行記を見ていて、今になって気が付いた。「碩」は間違いで「磧」。この字は「川原」のこと。何のことはない「賽の河原」。改めて6年前のHPを見たら、両方の標示が混在していたようだ。 
 
3日間の東北山旅テント泊、ぐるっと回って900㎞。思い出深いいい旅でした。同行の皆さん、ホントにホントにありがとうございました。運転のUnqさん、お疲れ様でした。 
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