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平田甲太郎家文書<明治7(1874)年 ふきの沢川架橋> 文書№441 №751
明治7年、小見村の平田平太郎と平田右源太の二人が、それまで橋が無く不便だった吹の沢川に自費による架橋工事を計画し、新潟県に願い出ました。翌8年、橋が完成して県から褒賞として木盃を下賜されました。明治になると、江戸時代の文書とは文字の書き方も変わり、漢字の形も変わっていたり、言葉遣いや用語も違っていて、読み取り難い箇所もありますが、そういったところからは、庶民はいつも時勢に合わせるのは早く上手く、御上が誰になろうと、自分たちは自分たちでたくましく生きていくと、そんな姿勢が伝わってきます。
釈文
読下し
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