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せきかわ歴史とみちの館『古文書WEB分館』 
歴史館会報「いわかがみ95号」(2023年12月発行)⇒こちらから
古文書でタイムスリップ・江戸時代わが村の暮らし
歴史館保管「平田甲太郎家文書」の解読と紹介のページ
筆・渡辺伸栄watanobu(新潟県関川村在住) watanobu634@gmail.com
平田甲太郎家は、代々、小見村(現関川村小見)の庄屋を務めた家
江戸時代の、関川村の人々の暮らしが記録された貴重な文書(歴史館保管819点)
江戸時代の社会は、意外なほどに発達していたし、現代の私たちの暮らしに繋がっている
興味深いものから解読作業を継続中
解読の終えたものを、ジャンル別に整理して、ここに掲載
    (平田家文書以外の文書も、末尾に、若干掲載してあります)
<ジャンル>
村の自治 山林 事件・争い 新田開発 納税 交通 村の暮し  明治維新 その他

原文を次の三種類の文に解読し、解説を加えた
「釈文」・・・くずし字を現代の活字になおした文(翻字、翻刻ともいう)
「読下し文」・・・最小限の現代語訳(実際には、このように読んでいたのではないだろうか)
「意訳」・・・意味が分かるように、現代の言葉に大胆に訳した文
    (「読下し文」で意味が分かる文書は「意訳」を省いた)
関川村広報紙に平田甲太郎家文書の紹介を連載中‼
記事と原文や解説を、下の文書一覧から見られます
<連載記事の一覧は ⇒こちら
<ジャンル別 解読文書一覧>
街道と川・海の交通
1 スクーネル船乗廻し御用願 安政3(1856)年  平田家文書№105  村広報紙連載㉛
2 米沢街道・下関村上関村宿場出入一件 文化7(1810)年  平田家文書№670  
村広報紙連載⑦   村広報紙連載⑧   村広報紙連載⑨   村広報紙連載⑩          
  越後米沢街道十三峠道の起点宿場だった下関村と上関村との間に係争があり、街道荷物の継ぎ送りに関する取り決めについての和解文書。原則は月半分交代なのだが、複雑な例外規定を結んだ。隣接する二つの宿駅、競合し合ってなかなか大変だったようだ
     附;渡辺家文書「文化6年 下関村追訴状案」 この文書から、下関と上関の係争の経緯が分かる
3 米沢街道・赤谷橋の所属と管理にかかわる四文書    村広報誌連載①
 ① 大島村庄屋三太郎差出文書  延享2(1745)年6月  平田家文書№735
 ② 大島村庄屋三太郎差出文書  延享4(1747)年6月  平田家文書№630
 ③ 四ヶ村庄屋連名文書(下書) 享保14(1729)年5月   平田家文書№644
 ④ 四ヶ村庄屋連名文書(正文) 享保14(1729)年5月   平田家文書№579
  四文書とも大嶋村庄屋三太郎からのもので、赤谷橋と大嶋村との関係が書かれている。関川村の領主の変遷なども関係していて面白い文書。平田家文書に大島村庄屋の文書が残っているのも興味深いところ。小見村は、米沢街道筋の対岸で離れているが、田麦堀割訴訟でも大嶋村が加わっており、平田家と大嶋村の三太郎家は親しくしていたのかもしない。
4 渡船の舟賃に関して「覚」 正徳5(1715)年   平田家文書№669 村広報紙連載②
  海老江代官所から、川水の出水量別に舟賃の指示。馬は人の1.5倍。舟賃を取る人と取らない人の別。きめ細かい江戸からの指示
5 米沢街道・貝附村地内普請に関する二文書  平田家文書№690 №504  村広報紙連載③
 ① 小見村佐源太普請請負に付き証人連印  天明2(1782)年 平田家文書№690
 ② 貝附村地内川欠普請に付き奉答書  天明2(1782)年 平田家文書№504
  二通とも、当時(天明2年)上関村にあった米沢藩の代官所に宛てた文書。一通は、貝附村地内の街道が洪水で欠けたので工事を請け負わせてほしいという小見村佐源太の願出と、小見村庄屋と上関村庄屋外1名の保証文書。もう一通は、当時幕府領だった岩船郡内各村の代表庄屋から、佐源太請負の了解と差出し人足数についての念押し。高100石に付40人が仕来りで、それ以上は出し難いと、意外とはっきりと御上にも物申している
6 吹の沢川の架橋に関する二文書  平田家文書№441 №751
明治7年、小見村の平田平太郎と平田右源太の二人が、それまで橋が無く不便だった吹の沢川に自費による架橋工事を計画し、新潟県に願い出た。翌8年、橋が完成して県から褒賞として木盃を下賜された
村の自治 
1 博奕禁止請書  寛政4(1792)年 平田家文書№509
2 瀧原・上野山・小見三ケ村 村定め文書
 ① 盗難の取決め  天明3(1783)年 平田家文書№536 
 ② 博奕・野火禁止、小作の取決め  寛政2(1790)年 平田家文書№566 村広報紙連載㉙ ㉚
 ③ 博奕禁止、盗難、騒動の取決め  天保5(1834)年 平田家文書№533  
3 小見村庄屋の後役願い 文政3(1820)年   平田家文書№595 
4 小見村 村定め  寛政12(1800)年   平田家文書№522  村広報紙連載㉘
村の山林 
1 筏伐り出し稼業一札 嘉永2(1849)年 平田家文書№515
2 入会山から売り薪伐り出し念書 文化5(1808)年 平田家文書№736 
3 銅山試掘に当たっての取り決め證文 安政2(1855)年 平田家文書№697 村広報紙連載㉖
4 銅山案内訂正文  安政2(1855)年 平田家文書№684
5 炭焼きの三ヶ村取極め「鍛冶炭禁止」 天保13(1842)年 平田家文書№638  
6 ナタとられ詫状 二通 村広報紙連載⑥
 ① ナタ取られ詫状 年不詳元禄12年か?) 平田家文書№681 
 ② ナタとられ詫状 元禄5(1692)年 平田家文書№189   
事件・争い 
1 小見村の三村境 覚書帳 嘉永3(1850)年 平田家文書№431  
2 辰田新村と小見村の境界の定 元禄11(1698)年 平田家文書№702  
3 辰田新村と小見村の境界確認 享保元(1716)年 平田家文書№631     村広報紙連載㉞
4 辰田新村と打上村の地所争い 済口證文 文化3(1806)年 平田家文書№706   村広報紙連載㉝
5 金俣村 木伐り訴訟 済口證文 文化11(1814)年 平田家文書№547 
6 笹岡町の傷害事件調書一式 享和3(1803)年 平田家文書№34 村広報紙連載㉕
7 重兵衛 酒小売株争いの件 済口證文 天保5(1834)年 平田家文書№640
8 上関村庄屋利惣次病死による後役争い 村広報紙連載㉗
 ① 内熟済口證文 享和2(1802)年 平田家文書№514 
 ② 内取極證文   享和2(1802)年 平田家文書№626
9 田麦堀割を拡張された訴訟の記録
事件の全容が、「村上新聞夏季特大号」に掲載されました⇒こちら
 事件の全顛末の詳細「文化3年 田麦堀割訴訟顛末記」⇒こちら
 ① 大栗田勝手伐り出し連判状 文化2(1805)年8  平田家文書№529  村広報紙連載⑯
 ② 村上藩宛訴状 文化3(1806)年7月  平田家文書№543 村広報紙連載⑰
 ③ 幕府勘定奉行所宛訴状 文化3(1806)年9月  平田家文書№766  村広報紙連載⑱
 ④ 現地熟談破談の届 文化3(1806)年11月  平田家文書№747 村広報紙連載⑲
 ⑤ 再出訴の訴状と裏書 文化4(1807)年1月・4月  平田家文書№732 村広報紙連載⑳
 ⑥ 済口證文(合意文書) 文化4(1807)年4月  平田家文書№698 村広報紙連載㉑
村の暮らし
1 御高札書上帳 年不明 平田家文書№49  村広報紙連載㉜
幕末、会津藩御新領となったときの提出文書と推定  正徳元年、天和2年、明和7年の高札4本の書上帳
2 所払い回避の反省文 寛政2(1790)  平田家文書№691  村広報紙連載⑪
不品行な若者も所払いにすると言われれば、目を覚まして立ち直るほど怖いお仕置き、当時の人たちの人情が伺える
3 御侍衆通行中の越度 享保9(1724)年  平田家文書№649  村広報紙連載⑭
通行中の御侍衆に対する農民の態度について、不敬は当事者だけでなく村役人の越度(落度)でもあるとの念書
4 野火禁止 文政13(1830)年 平田家文書№699
野火は今の時代も禁止。江戸時代も相当厳しく禁止していた。それだけ困っていたということ
5 長脇差、鉄砲禁止御触書 年不明 平田家文書№741  村広報紙連載㉒
世情騒然とするような物騒な情況が発生することもあったようで、死罪などいう恐ろしい文面
6(1) 戸籍異動通知書  三通   
嫁入り養子入りにともなう戸籍の異動は、庄屋同士の通知書によって行われていた。庄屋は村の役場。現代で言えば、役場同士の移籍通知。当時の行政の仕組みが分かる
 ① さた除籍通知状 安永6(1777)年 平田家文書№657  村広報紙連載④
  下関村庄屋から小見村庄屋への戸籍異動通知状。下関村の16歳「さた(さだ)」が小見村の平太郎家へ嫁に行った。それで、下関村の戸籍を抜くので小見村の戸籍に加えてほしいとの依頼状
 ② しと入籍通知状 安政4(1857)年 平田家文書№758
  小見村庄屋から聞出村庄屋への戸籍異動通知状。聞出村の26歳「しと」が小見村の甚五郎家へ嫁に来た。それで、小見村の戸籍に入れたので、聞出村の戸籍を抜いてほしいという依頼状。①の除籍通知だけの一方向でなく、このように入籍側からの双方向の通知状で確認をとっていたもののよう
 ③ 乙吉除籍通知状 嘉永2(1849)年 平田家文書№658
  小和田村庄屋から小見村庄屋への戸籍異動通知状。小和田村の32歳「乙吉」が小見村の喜次右衛門家へ養子縁組。それで、小和田村の戸籍を抜くので小見村の戸籍に加えてほしいという、①と同様の依頼状
6(2) 戸籍異動通知書  一通 
 ④ しゅん除籍通知状 寛政8(1796)年 平田家文書№453
    村上領新保村庄屋から小見村庄屋への戸籍異動通知状。小見村の「しゆん」21歳が新保村の順平の妻になって来た。それで、こちらの人別帳に加えるのでそちらの人別帳から除いてほしいと。
7 長寿褒賞 文化11(1814)年  平田家文書№286  村広報紙連載㉔
川内村(現・河内)の104歳仁蔵さんへ、江戸幕府(代官所)からの報賞状。褒美に米10俵と絹1疋、江戸城にいる老中・松平伊豆守(いずのかみ)様からのお声がかり、すごい‼
8 詫證文 天保12(1841)年  平田家文書№516
  乙(現・胎内市)の花火大会の出来事。羽目を外した若い衆のやることは、今も昔も変わらないようで、庄屋の忰さんには、とんだ災難。後始末に、親たちは大慌てのようす
新田開発
1 天明年間の佐源太による小見前新田開発とその後 関係文書九通  村広報紙連載⑫
  佐源太から代官所へ 小見村前川原の開発願 天明元(1781)年 平田家文書№734 
  の新田開発について尋問と回答の記録 天明元(1781)年 平田家文書№654 
  平内新・高田両村地先川原の開発願 天明元(1781)年  平田家文書№545 
  の新田開発についての尋問と回答の記録 天明元(1781)年 平田家文書№695 
 ⑤ 佐源太についての問い合わせに対する回答 天明2(1782)年 平田家文書№593   
   佐源太の子十兵衛の小見前新田用水路承諾 享和元(1801)年 平田家文書№567 
  小見村役人の小見前新田の用水路承諾書 享和元(1801)年 平田家文書№121 
 ⑧ 小見前新田を渡辺三左衛門に譲渡承諾願 享和2(1802)年 平田家文書№710  
  三左衛門への譲渡についての仲介調停 享和3(1803)年 平田家文書№598
2 荒川中島の新田開発 関係文書四通   嘉永3(1850)年  村広報紙連載㉓
 ① 5月 上関村庄屋寅吉から三ヶ村役人宛「対談取極め書」 平田家文書№531
 ② 10月 三ヶ村役人から水原代官所吉岡賢助宛「譲渡上申書」 平田家文書№525
 ③ ②の下書き 平田家文書№597
 ④ 11月 中島の地主42名連名 上関村庄屋寅吉宛「譲渡證文」 平田家文書№594
3 享保年間 平太郎の上野中野新田開発 関係文書 五通  村広報紙連載⑬
 ① 平太郎から御役所宛 願書 享保12(1727)年  平田家文書№614
 ② 三ヶ村百姓38名から平太郎宛 證文 享保13(1728)年  平田家文書№502
 ③ 三ヶ村三役から平太郎宛 證文 享保13(1728)年  平田家文書№557
 ④ 三ヶ村三役から御役所宛 願書 享保13(1728)年  平田家文書№526
 ⑤ 上野山村田主から平太郎宛 證文 享保17(1732)年  平田家文書№532
4 新田の悪水除き堀普請 念書 安永4(1775)年  平田家文書№639 
納 税 
1 小見村の年貢割付書  安永4(1775)年  平田家文書№768  新
    小見村へ納税指示書。10月にこの指示書が出され12月10日までに完納するようにとあります。
   上野山村の皆済目録と比較すると、両村の年貢徴税の違いが分かって面白い。それにしても徴税は細かい。
 
2 上野山村の皆済目録  安永7(1778)年  平田家文書№601
     上野山の納税完済証明書。どのような税目でどのように納税していたのか細かく分かります。
    金納の比率が8割弱と、意外と高いのに驚きです。それにしても、税目の細かいこと!
3 六ヶ村定免願  嘉永2(1849)年  平田家文書№559
     小見村・若山村・上野山村・上野新村・新保村・瀧原村連名の定免願。4「小見村の定免願」の10年前の願
4 上野原見取検地帳  寛保2(1742)年  平田家文書№19
    小見・上野山・滝原三ヶ村入会地の上野原を新田開発した際の見取検地帳で、三ヶ村の内、小見村の分
5 小見村の定免願  安政6(1859)年  平田家文書№705
    10年間の定免期間が終わったので、改めて、次の10年間の定免を願い出た文書。
    定免とは年貢賦課率を一定期間変えない課税法。年貢課税の率など具体的に分かって面白い。
6 海老江湊廻米関係文書  四通 村広報紙連載⑤
各村々から集めた幕府領の年貢米は、日本海を運行する千石舟に積んで新潟、大阪を回り、江戸へ送られた。これを廻米という。①②③④四通の文書から、廻米の仕組みを読み取ることができる。米で納税する制度というのは想像以上に大変な作業であり、仕組みであることに驚かされる。
 ① 海老江住人からの貸付依頼状 嘉永2(1849)年  平田家文書№666
海老江村と小見村との間には、意外な関係があった。その関係を探っているうちに、当時の年貢米上納の仕組みが垣間見えてきた
 ② 御廻米諸入用取極書 文化10(1813)年  平田家文書№632
年貢米を江戸まで届けるのも納税する百姓側の責務だった。そのための費用を少しでも減じたいという、幕府領の蒲原郡・岩船郡代表庄屋による取決め書。米による納税がいかに大仕事であったか、思いやられる
 ③ 江戸廻米入用受取書 文化14(1817)年 平田家文書№685
小見村庄屋平太郎は、この年、海老江湊詰めの当番だった。このことが、①の貸付依頼に繋がる 
 ④ 京屋七左衛門差配御用船積立一件  天保3(1832)年  平田家文書№627
年貢米が無事江戸浅草の幕府御蔵に納まるまでが、納税側の代表庄屋たちの責務。そのためにかかる莫大な経費をどうやって捻出するか、なかなかうまい仕組みを考えたもの
7 関組庄屋連名上納金延納願 天保4(1833)年  平田家文書№703   村広報紙連載⑮
江戸時代の税は年貢米が知られているが、それ以外にも、臨時的な税として金銭で納める上納金があって、月割で納めていたようだ。天保4年は全国的に飢饉と米価高騰で大変な年。関組(一部を除く現在の関川村一帯)各村の庄屋23名が連名で水原代官所に提出した、上納金の月送り(延納)要望書
徒歩の旅
1 道中記 寛政4(1792)年 津野家所蔵
 寛政4(1792)年2月16日~閏2月~3月22日 関川村下関の住人津野与四郎が記したお伊勢参りの道中記。全行程2380㎞、66日間の旅。「日めくり道中記」にして、1日ごとに、地図に行程を入れてみた
2 道中記 万延元(1860)年~ 近祐司家所蔵 
 万延元(1860)年11月19日~万延2年2月6日、関川村上関と下関の住民5人が日光・伊勢・金毘羅を参拝したときの旅の記録。歴史館では、平成30年度から「道中記解読会」を開き、丸3年がかりで令和4年1月26日に読み終えた。
明治維新前後、激動の時代の記録
1 明治元年諸觸書留帳  明治元(1868)年 平田家文書№42
2 明治元年諸書留帳  明治元(1868)年  平田家文書№47
 上の2通は、維新の直後から、主に村上民政局から次々に出されてくる触書を書き写し、村民へ伝えたもの。外に村々の回状などもある。2つの書留帳を合わせ読むと、明治維新の年のあわただしい世の動きが刻々と伝わってきて、激動の時代にいるような臨場感がある
3 硝石製造の土集め大庄屋所廻状 幕末 津野庄衛氏所蔵
 時世を反映した文書。幕末、越後の各地は会津藩領となった。そこを管轄する(会津藩の)「福岡代官所」と郡役所から出された、硝石(火薬の原料)製造のための協力要請文書。ということは、幕末戦乱に備えてのことかと一層興味が惹かれる。当時、硝石は民家の床下の土を採集して製造していたようだ。戊辰戦争にも使われたのではないだろうか。小見組の大庄屋から回状として出されたことが読み取れる
4 福岡代官所から上関村庄屋宛  元治元(1864)年前後  渡辺家文書
5 郡役所から岩船郡大庄屋宛  元治2(1865)年  渡辺家文書
6 渡辺友之助から渡辺三左衛門宛 元治2(1865)年 渡辺家文書
 上の3通は、歴史館の田村さんが重文・渡辺邸の書画を調査していて偶然発見したということで、多分、渡辺家文書リストにも載っていない新史料だと思う。3の文書同様、阿賀野市(旧水原町)に置かれた会津藩の「福岡代官所」関係の文書。幕末の関川村は米沢藩だけでなく、会津藩とも深くかかわっていたことが分かる
そのほか古文書いろいろ
1 大石村古絵図 天保8(1837)年  高橋正衛家伝来
 大石村の絵図面。残念ながら末尾が欠如しているが、絵の具の色などきれいに残っていて、添えられた文章もなかなか興味深いものがある。 大石川支流の沢沿いに点々と田があり、その箇所を役所に報告したものか
2 上杉景勝書簡 天正19(1591)年か 重文・渡辺邸所蔵
 重文・渡辺邸所蔵の上杉景勝の書簡。1週間かけて苦労して何とか解読したら、上越市発行の市史にきちんと掲載されていることが分かり、照合すると94%の出来だった。中世文書は、近世の御家流崩し字とは違った風格があって難しい
 
「村上町年行事所日記」流し読み ⇒こちらから  
 江戸時代の村上町役場の業務日報。村上史楽会の皆さんが現代の活字に直して継続的に出版している。漢字の羅列でとっつきにくいが、お茶の時間にペラペラめくって流し読みしていると、時々面白い記事が目につく。当時の庶民の暮らしがリアルに浮かんで、さながら山本周五郎の人情時代劇のような話。
 そんな記事を紹介して、時々追加していくつもりだったが、中々そこまで手が回らず、ストップ中
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