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平田甲太郎家文書<入会山から売り薪伐り出し念書 文化5(1808)年 文書№736
<文書の解説>
文書の内容は概略次のように読み取れる。
「去年は大変な不作で、村人困窮。仕方なく三ヶ村の入会山から薪を伐り出して他所へ売ることにした。それで、売り用の薪とそれ以外の焚き用(自家用か)の薪も、二分は村へ差出すということで三ヶ村の了承を得た。
伐った木は沢を堰き止めた堤に貯め、そこを一気に破って引ノ沢へ流す。その木にも二分差出す。また、流した木が用水堰に当って破損させたら、三ヶ村から人足を出して用水引取りに支障が出ないようにする。
二分差出しのことは、前からの割合の通りで、三ヶ村で少しも異議はないし、今後も反対はしないこと。」
以上の内容で取り決めた念書なのだが、書き加えのようにも見える最後の一行には、次のようにある。
「この取り決めは、当区切りにて反故にすべきである。」
つまり、この年限りの取り決めで、次の年以降は入会山の木を売り薪にするのは認めないということ。入会山の木は村人の大事な燃料源で、他所へ売るのはやむを得ずの非常手段だからなのだろう。
二分差出しとあるのは、割合のことかと思ったら、最後に「二分銭」とあるので、金二分に相当する銭(約3000文くらいか)を村に拠出するということ。
入会山の木は共有財産だから、薪を売った利益は、村人で分けるのだろう。だから、用水堰破損の際は村人全員人足に出る。ということは、二分はあくまでも村への拠出ということ。二分宛(ずつ)ではなく、「二分通り」とは三ヶ村に二分の意味か。二分を二回で四分、つまり一両。全体でどれくらいの利益が出たものか。

それにしても、おもしろいのは、木伐り人と百姓代、組頭が庄屋に宛てた文書になっていること。庄屋を含む村方三役が了承した、というより決めた伐採なのだろうが、そうすると文書の宛先がなくなるので、こういう形式にしたのだろうか。この時代の、村の自治の行われ方が垣間見える。
釈文
読下し
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