綿野舞(watanobu)猫額苑四季(ねこのひたいのにわのしき)2018
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2月18日 冬籠り 炬燵でこちょこちょ あれやこれ
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土日の荒天が続いて山行計画が流れている。日々の課業は雪消しとドームRun。あとは炬燵で読書やらなにやら。今年に入り高村薫の「空海」と「晴子情話」、森敦全集第5を読み終え今は第2集。本に飽きるとArduinoで電子工作、たまにシェーバーの修繕など。炬燵からは、遊びに来るヒヨドリ君が老夫婦の慰め。新聞に、Run友NAGOちゃんの春待つ心の投稿あり、共感しきりとメールした。1ヶ月後は新潟ハーフマラソン、それまでに土手Runができるのかどうか、春が待たれる。
渡辺伸栄watanobu
庭に来るヒヨドリ君。実際には2羽交互に来ていて幼い方が警戒心は薄い。親鳥はガラス越しの影が動くだけでも飛び立つ。長く生きるということは心身ともに傷つくことが多いのだろうか。
 
ついに車庫の屋根雪も落として、この辺りは雪の山だった。2日前、暖気が入ったときに雪山を削って通路を確保した。屋根から落とした雪はガンガンに固く、鉄スコップを何度も突き刺して四角いブロックにして運び出した。子どもでもいれば鬼ごっこで駈け回りそうな雪の通路ができた。
去年の今頃は下駄ばきで風呂に行っていた。素足の甲の湿布を隣家のWさんが見咎めて、秘薬をいただいたのだった。去年の足の状態からすれば、今年は上々。ただ、吹雪の日が続いて気合が入らず、前半、少々サボってしまい、今、気合を入れ直しているところ。
高村「空海」・・・司馬遼と違い空海をさも分かったように書いてないところが気に入った。簡単に分かりようもないほど遠く大きい人、ただ、その後の人たちが自分たちに都合良く(想いに合わせて)空海を造ってきた(描いてきた)。それが、高野山の底抜けの明るさと。すごく共感できた。高野山の雰囲気の良さは、今も強く印象に残っているので。
高村「晴子情話」・・・重く暗い。彰之、人はここまで深く重く自分と対話する者か。晴子、人はここまで自分の運命を素直に受け入れられるものか。重く、深く、暗い渦の中に引き込まれそうになって、「リア王」に進むのを一旦中断。森敦の愉快さが恋しくなった。
森「第5集」・・・幼年期、少年期、青年期の自伝的作品三部。読者を囲込む構造、手腕、これぞプロの創作者。幼年期はとにかく愉快、出てくる人が皆可笑しい。少年期は戦前の旧制中学、自分の頃もその名残があったと懐かしく。青年期は文壇外史。この作家、愛されるべき天才だったのだと。
森「第2集」・・・おくのほそみち、芭蕉の創作手法は対応にありと。マンダラ紀行、難しくて理解困難、ただ老いてもなお人から愛される森の魅力が伝わる。意味の変容、いま読み始めたところ。これまた難しそう。
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