綿野舞(watanobu)猫額苑四季(ねこのひたいのにわのしき)2019
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11月9日 ラとロでは 一字違いの大違い
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玄関前にスロープをつけるので春に解体撤去した門をようやく復元した。復元と言っても、間口が倍になり屋根も二重にして重厚?なものに作り直した。重厚荘厳と言えばバロック建築だが、我が方のは、材料全て廃材のバラック様式。バラックと言えば、今西祐行の名作「一つの花」の、コスモスに包まれたとんとんぶきの小さな家を思い出す。敗戦直後の日本を代表する建築。屋根の表に打ち付けたのは、かつての我家の味噌樽・漬物樽。屋根裏に張り付けた古板の「六」「七」の意味するものは何か?
渡辺伸栄watanobu
以前の門はこのほぼ半分の間口だったから、旧材料を全て使っても足りない。不足分は買い足さないで家にある古材廃材を使うことにした。だから材料費ゼロ、人件費もゼロ。ところが、10数年来愛用のインパクトドライバーのバッテリーが劣化していて、2個交代で頻繁に充電しても数分使用すれば放電。ついに作業途中で1万5千円也の新品に買い替えて、大出費となってしまった。それでも能率向上この上なしで、買替以来順調に工事が進み、古材も全て使い切ってこの日完成。屋根が二重になって相当重くなった門を上に張り出した松の大枝と後ろのブナの株立ちの木が支えている。
表側の屋根は全て樽材で張り終えたが、内側の屋根は樽材がなくなり、以前雪囲いで使っていた板を適当な長さに切って張付けた。それで、いかにもバラックという風情になった。樽材は全てタガが壊れて分解してしまったものを捨てずにとっておいたもの。大樽と中樽がもう一個ずつあるにはあるのだが、まだしっかりしていて壊す気にはならない。かと言って使い道もなく、玄関で植木台などにしているのだが。屋根は表側も内側も二重になっている。一重目は前の屋根と同じに下見板を横に張り渡した。それだけだと、屋根が薄っぺらでどうも面白くないと前々から思い、二重葺きにして厚みを出そうと前々から目論んで、そのために壊れた樽材を捨てずに車庫に保管してきた。それで、一重目の屋根の上に桟材を打ち、樽材他で葺いた。一重目と二重目の隙間を覗くと飛び出した釘が多数見えるので、隙間に丸木などを埋め込んでカモフラージュしてある。カモフラージュは何時の場合もお手の物だ。
さてこの「六」と「七」だが、話は少々長くなる。実は我が家は、私が生まれて以降でも爺様の代、親父の代、私の代と3回建て替えている。その都度廃材が出るのだが、使えそうなものは庇の下にわざわざ置き場などを作って残してきた。昔は燃料にもできたし、近年でも冬囲いの材料などにした。竹デッキに立てたぶどう棚の材料もそういった廃材を使った。それが時代が変わって、今ではコメリなどで木材はいくらでも買えるし、古い木材を積み重ねてネズミの巣にする必要もなくなった。それに、家の冬囲いに板を張り付ける場所もなくなったし、庭木の雪囲いは全て竹で間に合う。というわけで、今回、不要の古材を全て使い切ることにした。で、「六」と「七」だが、この板は実は私が生まれた家、つまり爺様が建て替える以前の家の床板だ。当時、つまり私の幼年期、季節は田植えの終わった梅雨入り前の晴天日だったか、冬前の秋の小春日和の日だったか、定かでないが、一年に一度全村一斉大掃除というのがあった。畳を剥がして外で乾して、一斉に細竹で叩く。村中埃だらけ、だから一斉なのだと聞いたことは微かに覚えている。畳だけでなく、床板も剥がして外に立て、その間に床下に石灰を撒いた。当時の家は床は低かったから、湿気対策だったのだろう。板も畳も十分乾かして元に戻す。床板の数字はその時の敷く位置と順番を示している。畳の裏にももちろん符号があった。数字ではなく、「イ」「ロ」「ハ」だったり「あ」「い」「う」だったように覚えている。「七」の板の切り欠きは、そこが柱のはまる部分であることを示している。この板、実は「七」でなく「十七」なのだが、半分に割ったのを上に重ねて張ってある。私の生まれた家は祖父で2代目だから、この板、床に張られてから100年は経っている。割れた後を見るとまだまだ綺麗な杉の肌をしているから、凄いものだ。で、捨てるには忍びなく、懐かしさもあって一番目立つ場所に使ったのだ。門を通るたびにこの板に頭を下げるか、この板を見上げるかの形になる。
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